いずれにしても、なかなか、以上のような情報でさえ、ネット上には存在しません。
ちなみに、Googleで「"紅村清彦"」で検索しても、No.1931にその名前を掲載しているのですが、このページはヒットしませんね。Googleの検索でヒットするヒットしないの境界は何なのか、未だによくわかりません。
それから、「なごや・ふぉと・ぐるっぺ」(1934年結成)と「ナゴヤ・フォトアヴァンガルド」(1939年結成)の関係ですが、どうやら、「ナゴヤアバンガルドクラブ」発足(1937年)ののち、「なごや・ふぉと・ぐるっぺ」が「ナゴヤアバンガルドクラブ」の「写真部」という位置づけとなり(または、その母体となり)、そののち「写真部」が「ナゴヤ・フォトアヴァンガルド」として独立した、というように、つながっているようです。しかし、この点について明確な資料があるんでしょうか?
最後に、1章から4章の各章初めの解説の小見出しを掲載しておきます。
I 写真芸術のはじめ
山水観照の方法/光の要素/光と影、リズムと構成
IIモダン都市の位相
名古屋の「新興写真」/アマチュア写真の沸騰/写真雑誌『カメラマン』/紅村清彦と坂田稔
IIIシュルレアリスムか、アブストラクトか
坂田稔-前衛の論客/前衛写真の再検討/前衛写真の動向/写真雑誌『カメラマン』の終刊
IV客観と主観の交錯
前衛の復活/リアリズムの攻勢/写真作家集団35