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開催してほしい展覧会(20世紀前半篇)

日本写真史における新興写真と前衛写真(1994)

東京都写真美術館の企画に関連してNo.1992の終わりのところに書きましたが、日本写真史において新興写真と前衛写真とはどういう関係にあるのでしょうか? その辺りをもう少し書いてみます。

 

日本では、一般に、新興写真から前衛写真が生まれたというような捉え方をされていると思います。

しかし、新興写真がドイツの「ノイエ・フォト」を基にしているというのであれば、ノイエ・フォトは、ノイエザッハリッヒカイトやロトチェンコなどのロシア的なストレート・フォトグラフィと同時にフォトグラムやフォトモンタージュといった前衛的な表現もすでに含んでいます。その後に前衛的な表現が生まれたわけではないのです。

 

日本においても、伊奈信男の『写真に帰れ』(『光画』創刊号、1932年)では、新興写真に次の3つを含めています。

・対象の新しい美を表現しようとする写真

・時代の記録や生活の報告としての写真

・光による造形としての写真である。

1点と第3点は、ドイツの状況を踏まえてすでに前衛写真の萌芽をとらえています。やはり、新興写真の中から前衛写真は生まれたと考えてもよさそうです。ちなみに、残る第2点が報道写真となってくのでしょう。

 

それでは、どの時点というか、どの局面で、新興写真から前衛写真が生まれたのでしょうか? 新興写真と前衛写真の境界はどこにあるのでしょうか? 

もう少しわかりやすく、ただし、奇妙なことを書いてみますと、例えば、小石清の作品は、どこまでが新興写真でどこからが前衛写真なのでしょうか?

1933年刊行の『初夏神経』は一般的には日本の新興写真の記念碑的な作品集とされています。

では1936年の「泥酔夢・疲労感」は?

https://museumcollection.tokyo/works/82588/

1938年の「燐素」や「冬眠」や「叫喚」は?

https://museumcollection.tokyo/works/83782/

https://museumcollection.tokyo/works/83785/

https://museumcollection.tokyo/works/83788/

1940年の「半世界」のシリーズは?

https://museumcollection.tokyo/?s=%E5%B0%8F%E7%9F%B3%E6%B8%85++%E5%8D%8A%E4%B8%96%E7%95%8C

 

こう具体的に見てくると、「いやそもそも、『初夏神経』が前衛写真なのではないか?」という疑問すらわいてきませんでしょうか? ただ、ここで申し上げたいのは、結論としては、新興写真と前衛写真の境界は曖昧であるというだけではなく、やはり区分できないのではないかということです。これが、現時点での当方の立場です。

 

さて、東京都写真美術館の企画では、その境界をどこに引いてくるでしょうか? あるいは、線を引かないかもしれません。いずれにしても、楽しみです。

 

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