次の本が刊行予定です。
物語昭和写真史
桑原甲子雄
月曜社
2020/12/14
¥2,640
ISBN-13 : 978-4865031065
商品の寸法 : 18.8 x 13 x 2.5 cm
この本は、日本写真史的には必読でしょうが、何かの復刻ですか?
雑誌『アサヒカメラ』(1985年1月~1986年12月)に連載されたまま、単行本化されてなかった、ということですかね?
しかし、そうだとしたら、今になってなぜ?
いやいや、ごちゃごちゃ言わないで、楽しみに待ちましょう。
次の本が刊行されています。
関東大震災 鉄道被害写真集: 惨状と復旧 1923-24
東京鉄道局写真部 (編集)
吉川弘文館
2020/8/28
¥19,800
これは当時刊行されたものの復刻ということなのですが、いったい、何の復刻本でしょうか、これは?
申し上げたいのは、なぜ、こんなに極限的にテーマが絞られた本が残っているのかということです。もし現在なら、このように絞られた被害報告を公刊することはないでしょう。せいぜい、内部報告にとどまるでしょう。
それから推測すると、やはり、当時は現在よりも鉄道が重要であり、かつ、鉄道の被害が甚大だったということでしょうか。
と考えてくると、この本の趣旨とは異なりますが、例えば、阪神淡路大震災や東日本大震災で被害にあった鉄道とその復興を写真でつづる、という趣旨の写真集であれば、現在でも十分に成立しうると思いはじめました。写真集までではなくとも、写真展としてなら、余計にありうるのかもしれません。
鉄道に対象を絞らなければ、逆にありふれているでしょう(重要でないという意味ではありません)。これに対し、鉄道に対象を絞ることによって、より特徴やテーマを強く打ち出せるのではないか、という気もしてきます。
次のような面白い本が刊行されています。
AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争
庭田杏珠×渡邉英徳(「記憶の解凍」プロジェクト)
光文社新書
2020/7/15
1650円(税込)
そもそも、「昔の写真」ということで刊行される本というと、たいてい、江戸時代末から明治にかけての写真か、戦後昭和30年代・40年代の写真を扱う本ばかりで、その間の大正・昭和戦前期(20世紀前半)の写真が対象になるということがまれであったりします。
そんな中で、この本の対象が、昭和戦前期(戦後まもなくまでが少し入っていますが)だというのが、まず特徴です。
次に、これが、この本の最大の特徴ですが、もとの写真は時代からいってほとんどモノクロ写真ですが、これをカラー化して掲載しているいう点。一部は、オリジナル写真とともに掲載している場合もありますが、かなりはカラー化した写真のみの掲載のようです。
最後に、ほとんどが一般のアマチュアによる日常生活の写真であるという点が第3の特徴でしょう。一部ニュースの写真と考えられるものも含まれていますが、たいていが街角で普通の市民が撮影した写真のようです。そして、それからすれば当然ですが、必ずしも撮影者が誰かがわからない(または撮影者を明記していない)作品がほとんどを占めているようです。撮影者の記載ではなく、誰から提供された写真なのかが記載されていたりします。以前少し書きました、要するにアノニマスの写真ですね。すなわち、ニュース性を持った写真や有名な人・物・事を撮影した作品も含んではいるもののそれに限られない極めて日常的な写真が多く含まれる、にもかかわらず撮影された対象に関心の目が向けられる写真ということになります。
さて、第2の点について少し書いてみます。個人的には、必ずしもモノクロ写真のカラー化に関心があるわけではなく、それに賛同するものではありません。モノクロ写真にはモノクロ写真の良さがあり、それをわざわざカラーにする必要はどこにあるのだろうかという素朴な疑問を持っています。場合によっては、撮影者の撮影意図を否定しかねません。当方と同様にそう反発を感じる方も多いでしょう。特に、写真史の中にすでに位置付けられているような写真作品についてであれば、皆さんにもご理解いただけると思います。
しかし、
カラー化された写真を実際見てみると、その力に驚かされます。なまなましく、写真に映されたものが立ち上がって来るのです。決して見たことはないはずの風景や事物が。人間というものは不思議なものです。
おそらく、カラー写真とは何かという問題を突きつけていると思います。写されたものと記憶や体験、その関係が、カラー化によってどう変わって来るのか、そこを考えねばならないのではないでしょうか。別な言い方をすると、「見ること」と「カラー・モノクロの違い」との関係です。単純に、「リアリティ」という一言で片づけられないものがあると考えています。個人的には、何か心を揺さぶられる感じがします。見たことがないはずの場面であるにもかかわらずです。人間の「印象」「感受性」とは何なのか、恐ろしく思います。
皆さんにも、この感覚をぜひ体験していただきたいと強く思います。
(なお、実際に体験したことはありませんが、テレビがカラー化されたときにも、同じような感覚があったのかもしれません。)
また、すでに頻出しているありふれた問題ですが、オリジナルとは何なのか、という問題も改めて惹起されるでしょう。権利者が誰なのか、という武骨な問題も当然ながら、むしろ、無限のオリジナルがありうる(しかも、質にこだわらなければ、誰でも簡単に、しかもきわめて大量に制作できる)ということになって、これは「美術」の観点からはどういう把握をすればいいのか、という問題のほうがかえって重要なのではないかと思います。今のところ、当方はどう考えたらいいのか、さっぱりわかりません。
なお、カラー化ですが、いわゆる「プロの写真」については、著作権(著作者人格権?)の問題があって、ご本人かご遺族のご了解がなければ、発表することは無理でしょうね。残念なようなほっとするような感じです。ただ、アマチュアだからご本人かご遺族のご了解が一切不要だということはないでしょう。プロアマかかわらず、著作権は発生しますので。今回は、どういう処理をしているのか、説明が本書の中にあるのかもしれません。
最後に、新書に期待するのは酷でしょうが、必ず、もとのモノクロ写真とカラー写真を対比させていただきたかった。やはり、オリジナルのモノクロ作品を見て、いちいち対比したかった、というのがあるからです。
いずれにしましても、単純に孤立した成果というわけではなく、きわめていろいろな問題が付随して出てくる問題作といえるでしょう。今後の様々な議論とともに、続篇に期待します。
デジタルの話題ばかりですみません。
先日、NHKのニュースの中で、新型コロナの影響で延期や中止になった公演のチラシを、早稲田大学演劇博物館がオンライン展示をしたというニュースを見ました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201007/k10012651951000.html
さすが、演劇博物館は面白いことをするな、と一瞬思ったのですが、いやそれは、演劇という別の世界だけの話ではないですね。
以前に書いたかもしれませんが、美術展企画のチラシというものは、それだけで、独自の世界や価値があり、演劇におさおさ引けを取るものではありません。そういう意味で、延期や中止というケースに限らず、チラシの整理、保管、管理、(公開期間を限定しない)公開等というものがぜひ必要だと思うのですが、どこかの美術関係の図書室とか機関が実施しているのでしょうか? あまり聞いたことがないので、していないのかもしれませんが、それだとしたら、あの膨大な情報は、過去に消えていってしまうのでしょうか?
それに、美術の世界では、チラシだけではなく、個展案内の葉書も貴重な資料です。このスレッドの対象である20世紀前半の美術において、そのような葉書が重要な資料という位置を占める場合もあることは、周知の事実でしょう(特に図版であるとか)。しかし、それは、残っていればの話です。現在きちんと残しておかねば、将来、「なぜあの時、保管しておいてくれなかったのだ」と未来の人をがっかりさせかねません。
あまり範囲を拡大しないほうがいいとは思いますが、実は、チラシ、葉書だけでなく、ポスター、チケット等々と関連アイテムはたくさんあります。
このような資料について、後々誰でもが簡単に検索、参照できるように、ぜひネット公開までもっていっていただきたいところです。
これは、想像すればすぐに推測できるように、大変な重労働になるのではないかと思います。整理、保管、管理、公開等そのものをすべてAIにしてもらう、くらいの大きな発想転換が必要ではないかと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
来る2020年10月25日(日)に、東京国立近代美術館工芸館が、金沢に移転し「国立工芸館」としてオープンするそうです。
個人的には事前にあまり広報活動がなかったような気がして、この移転には唐突な印象があります。
首都機能の分散化の一環とも聞いていますし、移転の結果、日本海側初の国立美術館となるということで、そのこと自体はいいことだと思います。ただ、この関係で、政府や美術館関係者の皆さんの間での美術館(および図書館)の未来像はどうなっているのでしょうか?
もともと東京にあったわけですから、移転で金沢や北陸の皆さんにとってはうれしいということになるのでしょうが、関東の皆さんは不便になるということです。そしてこのことは、工芸館が大阪に移転しようが、北海道に移転しようが、どこに移動しても、同じ問題が生じます。それは、仕方ないということなのでしょうか? 新型コロナとも関連付けて何回か書いておりますが、もっと、作品、資料、文献等を徹底的にデジタル化や映像化して、美術館(とその図書室)がどこにあろうとも、日本全国どころか、それこそ世界中で、あまり不便なくそれらをじっくり見ることができるようになる、これこそが未来像・将来像ではないでしょうか?
また美術館ではなく図書館についても同様の問題があり、美術関係の書籍・雑誌についても、いちいち国立国会図書館に行かねばならないとか、国内の特定の美術館図書室に行かねばならないとか、アメリカ・ワシントンDCのLibrary of Congressに行かねばならないとか、そういう状況はいい加減にやめてほしいところです。専門の研究者のかたならともかく、当方のような素人は、日本国内ですらあちこちに行くなどという余裕(時間的にも金銭的にも)はありませんし、素人(「仕事」ではなく「趣味」)だと専門の研究機関からは断られることが多いでしょうからから、要するにあきらめろということになります。
別に新首相のご意見に依拠するわけではありませんが、あまりにデジタル化が進んでいない。おそらく、美術の世界で大きな障害となっているのは、著作権でしょう。新しい「デジタル庁」関係のどなたも美術の分野(作品についても書籍についても)まで頭を回していただく余裕など到底ないとは懸念しますが、「デジタル庁」が美術の分野を念頭に置いて著作権にもメスを入れてくれないものかと、ある意味期待しましょう。ただし、もちろん一方的に著作権者が我慢しろなどというつもりは全くありません。バランスよく著作権者にも利益を与えつつ、利用者の利便性を格段に大きく高めていただきたいということです。一般的な言い方をすれば、「デジタル時代の著作権」を考えていただきたということです。遅きに失するような気もしますが、それでも、これには、並大抵の人間には考えつけないような、卓越した相当の工夫が必要ではないかと思います。どうぞ、よろしくお願いします。