http://gold-fish-press.com/archives/66460
見つかりました。次の作品です。
難波田龍起『ヴィナスと少年』昭和11年(1936年)
油彩、カンヴァス、タテ60cm×ヨコ72cm
板橋区立美術館蔵
いったいどこ(どの本)で見たんでしょうか?
もうわからないかもしれません。
とりあえず、関係しそうな何人かの名前だけを挙げます。
糸園和三郎(p67)
諸町新(p71、p145)
島津純一(p81)
遠藤倫太郎(p137)
吉井忠(p145)
なお、
吉原治良(p39、p55)
ちなみに、この本に、難波田龍起の形而上絵画的作品が掲載されていたと思っていたのですが、見つかりませんでした。別の本と勘違いしているのかな? それとも、難波田龍起に形而上的作品があるということ自体が勘違いなのかも。冷や汗が出てきます。
以前、オンライン美術館(1878).で書いたことの続きといいますか、すでに一部実現していることをご紹介します。
展覧会の開催中に、ご担当の学芸員のかたによる、会場での作品の解説や説明、という行事がよく開催されていますが、日が限られていて(それはそうでしょう、さすがに毎日実施とか無理ですから)、日時が自分で行った日や時間帯と異なっていたり(当方の経験としては、午前に行ったら、その日の午後に開催されて参加できなかったなどということもありました)、聞いてみたいのに、なかなか、そのタイミングにうまくぶつからない、といったご経験はないでしょうか?
また、講演会や、大きな企画ではシンポジウムなども開催されていますが、それについても、同じように、タイミングとして、つねに参加できるとはかぎりません。
このような作品の解説や説明の企画等になかなか出会えないという問題について、最も簡単は解決方法は、文字にして作品の横に掲示する、または、紙に印刷にして配布する、さらには、インターネットのホームページに掲載する、ということがあり、いままでも行われていたと思います。
また、一部の大型企画でよくみられるのは「音声ガイド」というもので、これは入口で専用の装置を借りて、指定された作品のところでその装置を作動させると解説を聞くことができるというもので、俳優さんや声優さんが解説をしてくれていることが多く、話題性もあります。ただ、これは実施されている企画が限られますし、有料という欠点もあります。
そこで、より臨場感があり、制作する美術館側としても、それほど大きな費用も手間・負担もかからない(?)、しかも、見る側は無料で見られるというものとして、YouTubeにおける作品解説があると思います。
展示会場で実施された「解説会・説明会」をそのまま録画してもいいですし、学芸員によるオリジナルでも構いません。手間がかかるようになりますが、その2つを組み合わせるという方法もあるでしょう。1つ1つのビデオは、そんなに長時間である必要はありません。
ただ、講演会なども、YouTubeで公開していただきたいところですが、これは、講演者との合意や権利・費用の問題もあって、なかなか簡単ではないかもしれません。
また、YouTubeの利点は、「音声ガイド」と同様に、会場のその場で、実際に作品の横で見られるということです。イヤホンをしていれば、他のかたにも迷惑にはなりません。
作品の解説であれば、その企画限りではなく、それ以降、すくなくとも10年単位で使い続けられるのではないでしょうか。例えば、所蔵作品について、計画的に少しずつ撮影を継続すれば、書籍(図録)ではなく、ビデオによる「所蔵作品図録」になります。
ざっと見た限りでも、東京都写真美術館、東京国立近代美術館(MOMAT60th)、福井県立美術館などですでに実施しておられる例があり、独立したチャンネルがあります。また、「Internet Museum」というチャンネルでは、様々な美術館のビデオを公開しています。
皆さんも探してみてください。
このような方向性の最大のハードルは著作権の問題かもしれません。特に、海外から借りてきたような作品であれば、権利の関係で、YouTubeでの作品解説の公開は難しいのかもしれません。
最後に、つい先日公開された、典型的な実例をご紹介します。
https://www.youtube.com/watch?v=r0c_EwTZQ2c
東京国立近代美術館の大谷省吾さんのトークです。
この北脇昇展については、No.1867とNo.1870、No.1871、No.1872、No.1873、No.1874でご紹介しました。会期が10月25日(日)まで延長されていますので、ご関心のあるかたは、感染予防をなさったうえで、どうぞご訪問ください。
「日本の未来派・ダダ展(1898)」において話題に挙げた日本における未来派・ダダ・構成主義の区分について、『大正期振興美術運動の研究』(五十殿利治・スカイドア・1995年)を読んでみました。
取り急ぎ、序論だけですが、そこでは、日本の大正期の新興美術運動に対して、「前衛」という言葉を使うことに否定的でした。そもそも「前衛」の厳密な解釈・検討が必要、しかも、この大正期の運動の中には、必ずしも「前衛」とは呼べないものも含まれている(例えば「アクション」)、この運動を一体のものとしてとらえるためには、「前衛」と呼ぶかどうかにこだわることなく、「大正期振興美術運動」と呼ぶことが望ましい、としています。
この本では、日本における未来派・ダダ・構成主義の区分についてふれてはいないようですが、この「前衛」に関する議論を読むと、「未来派」「ダダ」「構成主義」という区分を、一般論として、日本の美術にわざわざ当て嵌める必要はない、という結論であろう、と推測されます。例えば、「大正期新興美術運動」のままでよく、その中で、イズムごとに分ける必要はない、と
例えば、ヨーロッパの考え方を無理やり日本に適用しようとすると、「未来派美術協会」の中でもAさんのこの作品は未来派ではない、などという、無意味な区別をしなくてはならなくなるおそれがあります。それでは、日本の大正期の美術運動を一体的にとらえられなく恐れがあります。
ただ、きちんと理解しておかねばならないのは、日本は、その移入時期のの重なりもあり、様々なイズムがいろいろと混交しているということです。そして、場合によっては、個別の作品について、外観だけではなく、その思想的な背景を含めて、どのイズムに帰属させるべきかを検討する必要が今後出てくるかもしれません。
なお、念のため、2点注意点を。
まず、日本においてイズムが混ざってしまっているということは、思想的な脆弱性につながっている可能性があります。日本的な特質と言えます。外観に重点を置きすぎているのかもしれません。他方、その「脆弱性」は、西洋の観点から見たら、ということかもしれません。日本独自の思想が入っている可能性も高く、その点も忘れてはなりません。
次に、「前衛」(アバンギャルド、アヴァンギャルド)と作品や作家のことを呼ぶかどうかという問題とは別に、西洋美術の思想の理解を前提として、日本における前衛とは何か、どの範囲を「日本の前衛」と呼ぶことができるのか、について検討することが、引き続き必要であることは間違いありません。実際には非常に難しい問題ではありますが、その点は、別途検討したいと思います。
木村専一展(1896)の続きになりますが、「日本の前衛写真展(戦前篇)」の企画をお願いします。
No.1896で、当時の座談会で、瀧口修造が関西の写真家にかみついているというようなことを書きましたが、それ以外の座談会も、『コレクション・日本シュールレアリスム3 シュールレアリスムの写真と批評』(竹葉丈・編、和田博文・監修、本の友社、2001年、本体12000円+税)で、ちらちらと読んでいます。なお、この本は、1930年代1940年代にかけて(中心は、1938年、1939年、1940年)の雑誌記事を中心に複製した資料集で、竹葉さんが当時の資料を渉猟した跡がうかがわれる恐るべき本で、かつ、とても便利な本です。
座談会の内容的には、関西の浪華、丹平、アヴァンギャルド造影集団といったグループのメンバーが、様々な技巧を凝らした作品を発表し、関東の写真家たちを閉口させたり、逆に、瀧口修造が関西の写真家たちを攻撃したりと、関西と関東の温度差を感じられます。
非常に簡単にまとめると、関西側は、「形式・様式」「表現」「技術」(ソラリゼーション、フォトグラム、フォトモンタージュなど)を前面に押し出し、とにかくアマチュア的な自由さで、他方、場合によってはあまり時間もかけずに、「楽しさ・面白さ・新しさ・風変りさ」で作品を次々と打ち出してくる。これに対して、関東側は、特に前衛写真協会が、「技巧に走っている」「主観的」「タイトルを含めて意味がわからない、わかりにくい」「思想・イデオロギーがない(作品に理由や意味がない)」「道楽でやっている」といった批判をする。これでは、議論がかみ合わないこと甚だしい。この違いが明らかであるのに、この議論のかみ合わなさを何とかしようとする動きもない、まあ、解決しようもなかったのかもしれませんが。
また、個人的に大いに不満なのは、総論的には、以上なのですが、個別の作品への関東側の批判になると、きわめて抽象的になり、しかも、前衛写真協会のメンバーの中でも、意見が一致しておらず、さて、ではどういう作品にすればいいのかということが示されていない、ということです。これはダメと批判することは簡単で、ではどうすればいいのかということが完全に欠落している。そして、それは、第二次世界大戦のために、永久に補われることがなくなってしまったわけです。
なお。関西側からは、アマチュアリズムを擁護する反論はありますが、関東(前衛写真協会)の個別の作品に対する批判のようなものはありません。自分たちも自由にやっているのですから、他人が自由にやっていることに批判も何もないのではないかもしれません。しかし、「前衛写真座談会」(出席者は後掲)では、前衛写真協会の作品も俎上に挙げたらよかったのではないかと思います。
以上を受け、今後希望する企画は、「新興写真」に次ぐ「前衛写真とはなんだったのか」を探る企画です。関西と関東をどう融合・統合させるか、どう止揚するか、全く別々な傾向として整理するのか、共通点を見つけ出すのか、とにかく、現存プリントのみならず、雑誌からの複製作品も含めて、すべてを机の上にいったん挙げてみようではないか、そういう企画を望みます。中断し再開することのなかった議論を、いまここで結論までもっていくという気持ちで。
ちなみに、東京(関東)では、前衛写真協会以外に、前衛的な動きはなかったのでしょうか? この竹葉さんの本にも前衛写真協会以外の関東での記事がほとんどないので、おそらくないんでしょうね。そうだとしたら、それは何故なのでしょうか? 何故、関西ばかり突出していたのでしょうか? それとも、この本その他の資料で、その部分ばかりを紹介しているから突出しているように見えるだけで、実は関西でもごく一部の動きに過ぎなかったという可能性もあります。そのような点の検証・分析もお願いしたいところです。
なお、『コレクション・日本シュールレアリスム3 シュールレアリスムの写真と批評』ですが、この本でしか見られない(というか、当時の雑誌にしか掲載されていない)写真図版もかなり多いので、貴重です。ただし、図版は探しにくいの困ります。図版索引があればよかったのでしょうが、贅沢な希望ですかね。また、複製した雑誌に掲載されていない図版も、「参考」として、もう少し掲載していただきたかったと思います。小石清の『初夏神経』『半世界』はあるのですが。
あと、印象ですが、中山岩太、安井仲治の記事がほとんどありません。活躍はしていたが、雑誌等における発言が限られていたということでしょうか。、
なお、面白いと思うのは、フォトタイムス1938年9月号に、次の2つの座談会が併せて掲載されていることですね。かなり重複感があるのですが、雑誌側としては、どういう意図だったんでしょうか? 単純に、東京側メンバーの都合が合わなくて、あるいは人数が多すぎて、2日に分かれてしまったということなのでしょうか?
「前衛写真座談会」(出席者(順不同):瀧口修造(前衛写真協会々員)、阿部芳文(前衛写真協会々員)、永田一脩(前衛写真協会々員)、村野四郎、福澤一郎、澁谷龍吉、今井滋(前衛写真協会々員)、小石清、花和銀吾、坂田稔、樽井芳雄、今井清、服部義文、奈良原弘、田村榮、15名)
「浪華写真展座談会」(出席者(イロハ順):板垣鷹穂、花和銀吾、服部義文、西山清、樽井芳雄、田村榮、奈良原弘、小石清、坂田稔、齋藤鵠兒、森芳太郎、11名)
また、これに加えて、同じ号に、次の前衛写真協会会員による無記名批判会も掲載されています。
「丹平写真展を見る」(N氏、T氏、H氏、S氏、A氏、I氏、6名)
メンバーはおそらく、
N:永田一脩
T:瀧口修造
H:濱谷浩
S:柴田隆二
A:阿部芳文
I:今井滋
ではないでしょうか?
なお、1941年に、治安維持法違反容疑で特高に逮捕されたのは福沢一郎と瀧口修造の2人ですが、この2人とも、上記「前衛写真座談会」に出席していたというのは、恐ろしいことです。そして、その座談会の関西側の出席者からは逮捕者が全く出ていないのは、もちろん偶然ではないでしょう。この点についても、様々なことを議論できるように思います。
『コレクション・日本シュールレアリスム3 シュールレアリスムの写真と批評』掲載の資料も、1941年になると、掲載記事が激減します(わずか2点。うち1点は、安井仲治のあの講演「写真の発達とその芸術的諸相」)。そして、1942年は山本悍右の記事1点のみで、1943年以降は掲載記事はありません。