先週の続きですが、より一般化して、写真における撮影者不明・撮影者不詳(anonymous)の問題です。
絵画などの世界と異なり、写真の世界では、アマチュアであることはもともと問題になりません。
さらに先に進めば、誰が撮影したかわからなかったとしても、いいのではないでしょうか?
例えば、名も知れないある人が家族の写真を撮る、そのプリントを貼り付けたアルバムがある、これも、価値があるわけです。そのような作品を集めた展覧会企画も可能で、実際に実現された例も過去にあったのではないかと思います。
そして、現在のスマートフォンのカメラで撮影された写真、写真、写真。
無限ともいえる作品が構成する、このような写真におけるanonymous(アノニマス)の世界は、今後どうなっていくのでしょうか?
この項目再説しますので、今日は簡単ですが、お許しください。
写真史に関した本を探していると、しばしば、「写真の歴史」ではなく、「写真で見る歴史」の本だったということで、がっかりすることがあります。要するに、写した側(写真家)ではなく、写された側(写された対象)のほうに(または、そちらだけに)重点を置いている資料です。写されているのは、歴史上の人物であったり、街並みであったり、歴史的な事件や行事であったり、、、。しばしば、誰が撮影したかがわからなかったり、わかっていても示されていなかったりします。
では、このような写真作品は、歴史に関する資料としては価値があることは間違いないにしても、写真史的には価値がない、または価値が低いでしょうか?
いや、当然ですが、そんなことはありません。いわば、「芸術としての写真」と比べても、ほぼ同じ価値があるということが原則だと思います。ただし、どう取り扱っていくのか、写真史の中にどう位置付けていくのかについては、正直なところ当方にはよくわかりませんし、いまのところは、「写真史」という世界にはほぼ存在せず、世の中でも「写真史」という観点からのとらえ方はまだまだ一般化していないと思いますので、今後の十分な検討が必要でしょう。美術館が取り扱う場合には、博物館との棲み分けが必要かもしれませんし、美術館と博物館がコラボレーションができる可能性があるという意味では、新しい動きにつながるかもしれません。
このような問題を正面から取り上げているわけではなさそうですが、問題検討のヒントとなるかもしれない本が間もなく刊行予定です。
次の本です。
中国革命と写真;黎明期から文革まで
岡井耀毅・著, 岡井禮子・編
彩流社
ISBN-10: 4779127009
ISBN-13: 978-4779127007
発売日: 2020/8/25
2750円
目次
はじめに 岡井禮子
本書によせて 田沼武能(日本写真家協会前会長)
第一章 黎明期 民主独立闘争の中で目覚めていく中国写真界
第二章 発展期I 芸術から報道へと傾斜していく激動の時代
発展期II 先鋭化するナショナリズムとニュース写真
第三章 展開期 革新勢力に呼応した「国防写真」
第四章 苦難期I 革命の聖地延安を目指した映画人・写真家たち
呉印咸が撮影した延安の中国共産党軍〈1938 ~ 1943年〉
苦難期II 『中国の赤い星』が世界に知らせた革命の大義
苦難期III 延安から新政府樹立まで
──革命を支援した解放区の写真政策
苦難期IV 吹き荒れる文革の嵐と写真家たち
第五章 開放期 聞こえはじめた自由化への胎動
中国近現代写真関連年表
参考文献・写真資料
あとがき 岡井禮子
これは、従来から多く刊行されている、単純な「写真で見る歴史」の本ではありません。
目次から見ると、田沼武能さんが「本書に寄せて」を書いておられるし、「中国写真界」「写真家」「写真政策」という言葉が見え、かなり「写真史」に重点が置かれており、「年表」も「写真関連年表」です。大いに期待できます。「写真政策」などは、写真史的な用語でいえば、「プロパガンダ」にほかなりません。
実物を見てから、またご紹介したいと思います。
なお、この辺り、「国宝ロストワールド(1857)」もご参照ください。
夏休みで1週あいてしまいました、すみません。
先に「日本の形而上絵画展」を提案しましたが、その結果、20世紀前半の時期で、「日本の○○展」で残っているのは、「日本の未来派・ダダ展」でしょうか。
大正期新興美術運動として、五十殿利治さん関係でかなり資料は出しておられますが、総ざらいをした展覧会は開催されていないのではないでしょうか? ここ30年で研究が著しく進んだ村上知義・柳瀬正夢も含めて、この機会にすべてを振り返り、一気に企画化? 実現したら、夢のような話ですね。
ただ、ここでやはりきちんと考えねばならないのは、日本における未来派とダダとの関係です。未来派美術協会、アクション、MAVO、第一作家同盟(DSD)から三科造形美術協会へ、という流れから考えると、日本における未来派とダダは分化していないように見えます。それに、「構成主義」も少なくとも一部はここに入ってくるでしょう。このような未分化状態は、単純に「日本的な特質」とだけで片づけないで、より深く検討すべきです。ただ、この辺の考察は、五十殿さんの大著(大正期新興美術運動の研究、スカイドア 1995。大正期新興美術資料集成、国書刊行会 2006)ですでになされているのでしょうね。勉強しなおします。
また、この流れで個人の回顧展ができないだろうかと考えると、ひさびさに「神原泰」展か「中原実」展、または、今まで開催されていないと思いますが(すなわち現存作品が極端に少ないということでしょう)、「普門暁」展、「木下秀一郎」展もいいですね。いずれも、開催されてしかるべきでしょう。ただ、個展をするのならば、それよりも前に、グループ展ですかね、未来派美術協会、アクション、MAVO、第一作家同盟(DSD)、三科造形美術協会。
なお、この関係で、以前にご紹介したことのある「前衛誌(日本編) 未来派・ダダ・構成主義」(2分冊、西野嘉章――著/東京大学出版会/2019年)ですが(前衛誌 日本編: 未来派・ダダ・構成主義(1848)、「前衛誌 日本編」について(1852))、値段が高すぎて(60500円。なお2016年の「海外編」は42900円)、ほとんどの公立図書館では所蔵していない状況です。今回見てみたいと思ったのですが、簡単には参照することができず、大変困りますね。こういう本は、いったいどうしたら、多くの人の目に触れるようにできるのでしょうか? 「全5巻」とかにして、1冊当たりの値段を下げる? 公立図書館として購入するならば、結局全巻購入しなければならないので負担せねばならないという意味の費用総額はへらないですし(分冊にするとかえって高くなりそうです)、巻が分かれると利用者としてはまとめてみることに手間がかかるようになるので(例えば、近くの公立図書館に所蔵されていれば5冊でも大して違いないかもしれませんが、近くの図書館に所蔵がなく、都道府県立図書館から「相貸」になるとしたら、5冊まとめて相貸は極めて大変です)、あまりいいアイデアではなさそうです。今の状態のままで、ごく限られた研究者のみが見ればいい、すなわち大学とか美術館など専門的な研究機関のみが所蔵すればいいと、諦めるしかないのでしょうか?
なお、今回の内容に関連して、「日本のダダ」と写真(1849)もご参照ください。
形而上絵画については、以前にも何回もしつこく書いていますので、その際に併せて書いてしまっているかもしれませんが、重複していたらすみません。
本場イタリアの形而上絵画の日本の展覧会企画における紹介についても、せいぜいデ・キリコくらいで(それでも、1910年代の作品は日本で何点くらい展示されたことがあるでしょうか?)、それ以外の作家・作品を含めた綜合的な紹介は十分になされていないので、それよりも前に「日本の形而上絵画展」というのは、順番が逆だと思います。しかし、いつまでたっても、イタリアの「形而上絵画展」が開催されませんので、仕方ありません。「日本の」であれば、比較的企画が容易になると思います。
具体的な作家としては、吉原治良 難波田龍起など。のちには、大きく形而上絵画からは(というより、具象絵画そのものからは)離れた作家であっても、初期の具象絵画作品を見直すことで、形而上絵画の日本への波及や影響、そして定着の有無を探ることができると思います。さらに、それが、日本のシュルレアリスムにどうつながったのか、それともつながらなかったのかも。
この企画は、「容易」と上で書きましたが、それはイタリア現地の作品を集めて日本で展示する企画との比較の問題であって、今まで日本の画家に対するこのようなとらえ方はなかなかなされてこなかったのではないかと思いますので、日本中心の企画だとしても実現はなかなか難しいでしょう。国立近代美術館レベルでの広い範囲にわたった調査・研究が必要ではないかと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
No. 1893・No.1894の続きですが、「木村専一展」をぜひ開催していただきたい。
「新興写真展」の続篇の1つのアイデアです。
書籍「『光画』と新興写真」に掲載されている、木村専一の経歴は以下のとおりです。
木村専一 きむら・せんいち 一九〇〇-一九三八
徳島県に生まれる。森芳太郎に師事し、写真乃友社に入社。『写
真の友』、『写真文化』の編集者となるが、オリエンタル工業(現サ
イバーグラフィックス)に移り、宣伝部長となる。同社から『フォト
タイムス』が創刊されると主幹に就任。一九三〇年に新興写真研究
会を組織し、機関誌『新興写真研究』を発刊。三一年に欧米視察旅
行に行き、多くの写真家や写真関係者と交遊した。その際に手に
入れた写真を日本に持ち帰り、『フォトタイムス』誌上で紹介する。
帰国後に同社を退社、武蔵野写真学校を設立し、写真教育に従事し
た。
これだけ見ても、わからないことが多すぎます。
・「森芳太郎に師事」とは、どいう経緯で、何をしていたのか、成果は何か
・「写真乃友社」時代の活動は?
・「オリエンタル写真工業」に移った経緯は? 20代という若さにして急に宣伝部長とは相当な期待だが、その背景は?
・『フォトタイムス』創刊から新興写真研究会結成への経緯は? オリエンタル写真工業の意図は? 経営者に理解があったということか?
・「欧米視察旅行」の詳細は? 交遊したという現地の「多くの写真家や写真関係者」とは誰?
・「武蔵野写真学校」とは? 設立の経緯・理念、共同設立者、講師は誰、学生は誰、何をどう教えていた、1934年の設立後4年ほどで木村専一ご本人は没してしまうので、その後はどうなったのか?
木村専一で、本が1冊書けますよね。
木村専一を超えてより広く考えると、「新興写真」の動きが、ごく短期間でなくなってしまった理由も明らかではありません。
「新興写真」が短命に終わり、結局、ほとんど東京と大阪の一部に限定された動き、しかも参加者も極めて偏っており、「新興写真研究会」と「光画」のメンバー同士も接点があまりない(ほとんどメンバーの重複がない。会員リストを見ると、せいぜい、飯田幸次郎と花和銀吾のみ)、重要な小石清や金丸重嶺もこれら2つの動きからはなぜか距離を置いていることなどを考えると、実は、当時、新興写真という呼び方は盛んにされたのかもしれないけれども、到底、日本写真界全体の動きだったとは言えず、「運動」としてはほとんど成立していなかったといっても過言ではないのではないでしょうか? しかし、そうだとしては、その理由は何か? その弱さは何か? 木村専一も、早々と「新興写真研究会」や「フォトタイムス」から手を引いてしまったのは、何故なのか?
新興写真は、その後、報道写真とシュルレアリスム系の前衛写真に分裂していったわけですが、シュルレアリスムと新興写真との関係も不明です。そもそも、「Film und Foto」ひいては「独逸国際移動写真展」が新興写真を非常に幅広くとらえていたので、バウハウス的な写真も、シュルレアリスム的な写真(特にフランス)も、両方がごちゃごちゃに含まれていたようです。(その確認のためにも、「独逸国際移動写真展」の出品作品リストの早期公開が望まれます) その理由は何だったのでしょうか? また、「前衛写真協会」の瀧口修造などのメンバーは、シュルレアリスムの観点から、座談会などで関西系の写真家たちとその前衛的な作品を「形式を重視しすぎだ」等と批判している向きがありますが、そもそも、新興写真はシュルレアリスムだけだったわけではなく、いわゆる「広告写真」なども含まれていることから考えても、関西系の写真家からすれば、おそらくシュルレアリスムのみを標榜していたわけではないので、このような批判には大きな違和感があったのではないでしょうか? 他方、瀧口らシュルレアリスム信奉者からすると、前衛的な写真家たち(の一部)による、シュルレアリスムを道具、と言って悪ければ、単なる表現の一手段として用いる姿勢が許せなかったのかもしれません。
いずれの疑問も「『光画』と新興写真」展では、充分には明らかになっていません。これは、同展を非難しているわけではなく、同展が開催されたからこそ、このような疑問点の数々が浮かび上がってきたのです。閉じていないという意味でも、この企画には大変大きな価値があったわけです。
例えば、木村専一を深く掘り下げることで、藤村里美さんの論文「新興写真とはなんだったのか」の続篇も当然に可能となるでしょう。
つづきはどうなるのか、強く期待して、楽しみに待っております。