次の本が刊行されています。
瀧口修造と前衛写真
伊勢 功治
作品社
2026/02発売
価格 ¥3,520(本体¥3,200)
当方にとってはかなり核心を突く内容です。
今まで、この点についてここまで書いている書籍はありません。異様に貴重な文献です。
また、全体の半分とまではいかないまでも、かなりの量の図版を掲載しており、その点においても非常に貴重です。
しかし、次の2点にはとりあえず不満が残ります。これらを含めた続篇に期待します。
・前衛写真協会の個別のメンバーや作品についての紹介がほとんどない。個別の作品についての評価もない。また、活動全体についてよく言われる「理論や思想は優れていたが、実作品としては理論や思想が十分に反映されていなかった」という点は正当な評価なのか? そうだとすれば、その理由は何か? この本の書名を少しもじって、「瀧口修造と前衛写真協会」という一章が欲しかったところです。
・関西(浪華写真倶楽部、丹平写真倶楽部、芦屋カメラクラブ、アヴァンギャルド造影集団など)との個別具体的な接点に言及がない。フォトタイムスの2つの座談会(要するに、議論がかみ合っていないこと)の紹介のみに終わってしまっている。特に、瀧口の日本の写真に対する発言が非常に少ないことが気になります。
この第2点については、長くなりそうですので、後日改めて書いてみたいと思います。
なお、挟み込みの「A3判 瀧口修造詳細写真年表」は大変興味深いのですが、これに基づく、写真史の執筆を伊勢さんにお願いしたいところです。
(そういえば、伊勢さんの、雑誌「写真空間」(青弓社)休刊により中断してしまった連載「一九二〇-三〇年代の日本の写真雑誌」(第4回まで)を何とか完結させていただいて刊行する、というのは無理でしょうか?)
最後に目次を掲載しておきます。
【目次】
瀧口修造 写真との邂逅
・瀧口修造の生い立ち
・県立富山中学校と卒業生
・慶大での挫折と小樽
・西脇順三郎との出会い
・詩誌と詩友たち
・写真との出会い
・最初の撮影
・鈴木綾子と前衛絵画クラブ
・写真評論への道
写真と物質 戦前の瀧口修造の写真論をめぐって
・前衛写真の受容
・妖精の距離
・写真評論
・植物の記録
・主体と客体、主題と物質
マン・レイと瀧口修造
・瀧口修造とマン・レイ
・「光の人」マン・レイの誕生
・メディアを越境する光線
・マン・レイとマルセル・デュシャン
・マン・レイの実験映画
・映画と瀧口修造
写真家・大辻清司と瀧口修造
・写真との出会い
・科学少年時代
・戦争体験と写真教育
・斎藤義重との共同生活
・モノへのこだわり
・タケミヤ画廊と実験工房
・瀧口から受けた思想
瀧口修造と前衛写真
・瀧口修造と写真評論
・ウジェーヌ・アジェ
・瀧口修造の『近代芸術』
・写真と超現実主義
・「前衛写真協会」と「前衛写真座談会」
・日本の「前衛写真」の問題点
・「浪華展をめぐりて関東関西座談会」
・日本的「超現実主義」写真
・「造型写真」と「写真造型」
・瀧口修造の拘留
・シュルレアリスムと共産主義
・写真における絵画性と記録性
・映画の前衛性と写真
・前衛写真の可能性
瀧口修造 写真関連年譜
参考・引用文献
あとがき 詩人と写真
初出一覧
附:A3判 瀧口修造詳細写真年表
次の本が最近刊行されています。
決定版 西洋画家図鑑
池上英洋
創元社
2026/2/5
320ページ
本のサイズ:A5
¥4,620 税込
「ビザンティンから20世紀の現代絵画まで
名だたる画家たち365名と
その代表作を編年で収録。」
ということのようです.
こういう、時期的に幅の広い概説書にどの程度意味があるのか、いまだに疑問がないではないのですが、20世紀前半についてどのような作家が取り上げられているのか、にやはり関心があったのでご紹介します。
ただ、実物をまだ見ることができていないので、見たうえで、掲載されている作家名のリストを再度投稿したいと思います。
少しお待ちください。
よろしくお願いいたします。
以前にも書いたことと重複しますが、実現していないので。
キュビスムに関する図版の多い和書を刊行していただけないものでしょうか?
理論的な面では、次の本が刊行されていますが、カラー図版はほとんどありません。
キュビスム芸術史 - 20世紀西洋美術と新しい<現実>
松井 裕美
名古屋大学出版会
2019/02
価格 ¥7,480(本体¥6,800)
他方、同じ著者の次の本は、キュビスムに関して網羅的かつ図版の多い和書はないのか?(2122)でご紹介しました。対象地域や作家が広がっているという意味では高く評価できるのですが、しかし、やはり図版が足りません。
もっと知りたいキュビスム アート・ビギナーズ・コレクション
松井裕美
東京美術
2023/10
価格 ¥2,420(本体¥2,200)
イメージ的には、次のようなものです。
・収録作家を多くしてほしい(ピカソとブラックに集中しないでほしい)50人以上、できれば100人近くまで
・図版を多くしてほしい、例えば400。しかし、価格を抑えるために、図版および本のサイズはむしろ小さくてかまいません。
(以前にも書いたように「マグリット400」の図版点数を念頭に置いています。)
キュビスムの作品図版を多く掲載した本は、洋書ではありそうですが、現時点では当方は知りません。
もしも刊行されれば、多くの個人に購入してもらえるかは定かであはありませんが、公立図書館に広く所蔵されることは期待できます、
ぜひ、ご検討をよろしくお願いいたします。
次の展覧会が昨日から開始しました。
流氓ユダヤと神戸の歴史
人道の港 敦賀ムゼウム
2026年3月14日(土)~6月14日(日)
https://tsuruga-museum.jp/modules/exhibition/index.php?action=PageView&page_id=25
https://tsuruga-museum.jp/modules/news/index.php?action=PageView&page_id=193
この「敦賀ムゼウム」というのは、ロシア革命や第2次世界大戦中のナチスやソ連を原因とするポーランド孤児やユダヤ難民を特に対象に、「人権」を考えるための博物館(「ムゼウム」はポーランド語だそうです)ということです。
なぜ、そういう博物館が敦賀にあるのかというと、かつて敦賀は、ヨーロッパからシベリア鉄道に乗ってアジアに逃れてきた難民の人々が、船に乗って日本にたどり着く入口だった、ということなのです。
その場所で、なんと丹平写真俱楽部の「流氓ユダヤ」(兵庫県立美術館蔵)が大きく取り上げられるという企画です。
ただ、どうも、「流氓ユダヤ」は、実作品ではなく写真パネルによる展示のようです(その分、、サイズが大きくなって見ごたえがあるかもしれません)。
とはいえ、貴重な企画です。そもそも、丹平写真倶楽部の「流氓ユダヤ」については、必ずしも中心的に取り上げれることはなかった、安井仲治や丹平写真倶楽部の広い活動の中の、または、日本の近代写真の動きの中の1つの作品群という取扱いだったのではないかと思います。それを補う意味でも、この企画は重要であると考えます。
特に思うのは、「流氓ユダヤ」を芸術的な観点だけでなく、むしろ、社会的な観点を強調して取り上げるという今回の企画のような方向性は、安井仲治など、この撮影にかかわった写真家たちも望んでいたことではないか、ということです。
日本では、「美術館」と「博物館」に「ミュージアム(ムゼウム)」が二分されているという状況があります。しかし、今回のように、本来、美術館がカバーしている写真作品が、越境して博物館側に流れ込むというような現象が起こるということは、今後も同様な交流の可能性がある、それが期待できるだろうと思います。
そのような融合的な企画を、ぜひとも、今後もよろしくお願いいたします。
3Dのスキャナーとプリンターによる美術作品(絵画、彫刻など)の複製が海外で普及しつつある、というニュースを見ました。
複製作品を展示して実作品のほうを保護することが目的であったり、他館への貸し出し用として制作する、教育のために制作する場合や、所有を目的に複製作品を制作して販売する場合などもあり、使い道は様々あるようです。
個人的には、基本はいいのではないかと思いますが、問題がまったくないわけでもなさそうです。
複製を所有することを、本当に認めていいのか?
複製を美術館で展示することも、認められることなのか?
いずれも、「複製」であることが明確であれば、許されるのだと思いますが、違和感がないわけでもありません。
よく考えてみると、従来から、特に「博物館」においては、例えば古代の土器や鉄器について、さらにそれらよりもさらに昔の化石などについて、「レプリカ」というような表現で「複製」を制作することも展示することも、珍しくはなかったと思います。原資料の保護が目的でしょう。
他方、絵画で考えてみると、従来の「複製」は、「写真(図版)」という形で、それこそ無限に存在しました。書籍(展覧会図録を含む)になっている場合もありますし、インターネットでもあふれています(勝手に画像ファイルがコピーされることも完全には防止されていません)。美術館のミュージアムショップなどでは。美術作品のポストカードなど必ず販売されているといってもいいくらいでしょう。さらに、ポストカードよりも大きいサイズの、より印刷の精密な複製作品(ただし写真なので平面)すら販売されていることも多いでしょう。
これらには違和感はありません。仮に書籍のレベルであっても、図版が美しく「所有欲」すら満たす場合があると思います。
とすると、3Dのスキャナー・プリンターによる「複製」への違和感の原因は何なのでしょうか?
おそらく、次の2点ではないでしょうか?
1.複製のレベル(特に、作品の立体性の再現。「3D」というくらいですから、それはそうでしょう)が格段によくなっており、本物との区別がつきにくくなっていること、それゆえ、例えば、複製を壁に飾ったとしても、本物を飾ることと比べてあまり遜色がない(だろう)ということ(作品のサイズのことはさておいて)
2.適切な装置を入手できさえすれば(とはいえ、日本の普通の個人が入手できるほどの価格とは思えませんが)、誰でも本物と見まごうほどの複製を制作できてしまうこと
後者については、さらに考えると、無制限に複製を制作をしても大丈夫なのか、という問題がありえます。美術館や博物館などの公的または公的な性格のある機関であれば、もちろん自制するでしょう。例えば、ルーブル美術館が「モナリザ」を大量に何万作も複製して、世界中の美術館や画廊や個人に売りさばく、などということは考えられないでしょう。
しかし、一般の画廊などであれば、すべての画廊に自制が期待できるでしょうか? 欲しいお客さんがたくさんいるのであれば、「ポストカード」感覚で、大量に「複製」したりしないでしょうか? ましてや、個人の所有者にいたっては、制限をかけることすら可能なのかどうかよくわかりません。著作権というものが、このような場合に効果的に役に立つでしょうか? でも、有名な作品は古かったりしてもう著作権など失効していますよね。
さらに、考えすぎかもしれませんが、粗悪な複製品(その分安価である)が出回ったりしたらどうなるのでしょうか? 誰かが止められますか? そもそも「粗悪」とは何でしょうか? 書籍に掲載された作品の写真図版のコピー(画質の悪い白黒コピーなど大量にあるでしょう)や、インターネット上の作品の写真図版のコピーを考えたら(インターネットの場合などは同じ作品でも画像ファイルにより色調が大きく異なることも多く、意図的な色の調整・変更もかなり可能です)、いちいちそれらのコピーのクレームしたり、使用の差し止めをしたりすることはしません。「所詮はコピーだから」という理解が浸透しているのでしょう。そうだとすれば、何をもって「粗悪」と言えるのか、簡単に基準を設定できるとは思えません。
今後、この方向がどうなっていくのかについては、注目していきたいところです。
最後に、この「複製」が贋作の補助や助長につながらないことを祈ります。