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開催してほしい展覧会(20世紀前半篇)

「日本のダダ」と写真(1849)

>>1848

先にご紹介した、「前衛誌
日本編: 未来派・ダダ・構成主義」にちなんで。

 

日本の場合、シュルレアリスムの豊かさや多様性、さらに広範囲な影響とは対比して、ダダは、不十分な発展にとどまったような感じがします。MAVOやアクションといった動きがあり、豊かではない、とは申しませんが、少なくとも、量的な不十分さがあったとはいえると思います。また、西洋では、それが「正しい」道かどうかは別として、ダダがシュルレアリスムに発展的に解消されたのに対して、日本では、その道だけではなく、例えばプロレタリア美術などに「分裂」したという状況があり、独自性が見られます。

 

そのような全体像を背景として、「(戦前期の)日本のダダ」と写真、というテーマ設定が可能ではないかと思います。

この時期、1920年代前半は、日本の写真にとっても転換期で、「芸術写真」から「新興写真」に向かっている時期です。淵上白陽の『白陽』創刊が1922年。まさに、日本のダダイストである、岡本唐貴や浅野孟府との接点を持ちつつ、いわゆる「構成派」という表現に向かい、「芸術写真」から「新興写真」への橋渡しをした、と言われています。

ただ、それだけでしょうか? このような、きわめて直線的な「進化」だったのでしょうか? いや、そんなことはありますまい。それは誰でもわかっています。新興写真に向かっていったという大きな流れは間違いないものの、新興写真の思想を取り入れつつ、芸術写真はその後も残り、新興写真も、1920年代のどこかで、急に始まったわけではありません。そういう意味で、1920年代の写真作品を11点つぶさに見てみると、「日本のダダと写真」が見えてくるのではないでしょうか? 「ダダイストによる写真作品を探せ」ではなく、「写真の中のダダを探せ」ということです。

従来は、写真史の世界で、そこまで個々の写真作品に深く入っていくということは難しかったように思います。正直なところ、「芸術写真」から「新興写真」へという二分論的な全体像の把握がまず必要で、それ以上深入りは、その後に任せられたのではないか、と。

しかし、すでに、21世紀に入って20年近くがたとうとしています。ここで、「芸術写真」と「新興写真」のはざまを「日本のダダ」という視点で、切り裂くことができるのではないでしょうか? 今まで知られていなかった多くの写真家の作品も参照しつつ(主として、当時の写真雑誌や写真年鑑を渉猟することになるでしょうか)、ダダの観点で照らしてみるということです。それが、日本写真史の直線的でない進行、紆余曲折をあらわにし、逆に「日本のダダ」の特質も見せてくれるのではないでしょうか?

(ちなみに、No.1841でご紹介した「KPS.」は1921年ごろ設立だそうです。)

 

さて、以上のような企画、ぜひともお願いしたいところです。

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Akihoshi Yokoran
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