先にNo.1938で書いた「前衛写真とはなにか?」の具体的内容について、補足的に追記したいと思います。
まずは、「浪華写真倶楽部」と「前衛写真協会」のどちらに軍配を上げるか? ということがテーマになります。
これは、いずれかが一方的に正しいというものではなく、結局どちらも正しい、と思います。「前衛写真」には、様々な可能性があり、なにか1つの様式、傾向、方向性が唯一の解ではない。とにかく、瀧口修造の議論は、当時の関西の動向の限界を鋭く指摘する議論で、世の前衛写真のとらえ方に一石を投じるとともに、新しい世界を切り開く可能性を持っていたといえます。
ただ、瀧口修造の主張は当時は実作品による現実化が十分にできないままになってしまい、瀧口にとって状況は不利だったといえましょう。ようするに、戦争がすべてを停止させてしまった。
そして、次に、そのように戦争が停止させるまでの、日本全国の「前衛写真」の実例の紹介を網羅的、徹底的にお願いしたい。このことにより、日本の前衛写真の可能性と多様性を探ることができると思います。実は、その中に、瀧口の主張をよりよく実践している例もあるかもしれません(瀧口とは独立して)。しかも、単なる羅列的な紹介にとどめず、系統的な分類をしてもらいたいものです。その分類の際に参考になるのは、もちろん、欧米の前衛写真の動向です。その結果、さながら、世界を対象とした「前衛写真図鑑」となるような展覧会カタログを期待いたします。
最後の3点目としてご紹介いただきたいのは、最近は次第に普通のとらえかたになってきていると思いますが、戦前から戦後に「前衛写真」は続いている、一旦切れていたりはしない、という点です。例え、戦後繁栄した「報道写真」の陰に隠れてしまっていたとしても。従来は、「戦前の前衛写真は戦争のために消滅した」というような言われ方もありました。しかし、ポイントは、戦前が戦後に接続している、引き継がれているという点です。戦後間もない時期の日本全国の前衛的な作品群によって、その点もしっかりと示していただきたい、と思っています。
以上、大風呂敷を広げすぎているという気も致しますが、ぜひとも実現をお願いしたいと思っています。