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開催してほしい展覧会(20世紀前半篇)

仕組・手法と内容・情報(2008)

インターネットをはじめとしたさまざまなデジタル的な仕組や手法により、情報は探しやすくかつ入手しやすくなり、世の中はとても便利になりました。

 

しかし、この場で何度もそのような趣旨を書いているように、そういった仕組・手法がいくら発展しても、その中のコンテンツの内容が充実していなかったり、そもそも情報がなかったら何にもなりません。そして、実際に、情報が存在するのにネット上になく、わざわざ国立国会図書館や美術館の図書室に出かけねばならないこともあります。それでも、これはましな例で、ネット上では情報が発見できない(Googleの問題もありますが、これは後日)、または情報が存在せず、情報自体を自分で捜し歩き、全体をまとめ構築しなければならないことすらあります。

 

懸念は、仕組や手法のほうにあまりに偏った力の入れ方をしているのではないかということです。極端に言えば、仕組・手法さえ用意すればそれだけでいい、あとは別の問題だ、内容はあとからついてくればいい、ついてくるだろう、という感じさえするのです。

かつて、バブル経済のころ、「箱物行政」と呼ばれた現象がありました。これが、現在、ネットの世界で繰り返されているのではないかと、強く懸念します。反省をしていないのでしょうか? 同じことだと理解できていないのでしょうか?

現在、「内容」について全く顧慮されていないわけではありません。しかし、偏りは極端です。そして、「箱物行政」の時代でも、もちろん「内容」にも一定の対応はなされていたのです。要するに、同じなのです。

 

今後、もう少し具体的に書いてみたいと思います。

 

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Akihoshi Yokoran
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