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開催してほしい展覧会(20世紀前半篇)

詳細目次:写真はわからない―撮る・読む・伝えるー「体験的」写真論(2021)

先週ご紹介した、「写真はわからない/小林 紀晴」の詳細目次を掲載します。

ネット上ですぐに見つかればいいのですけれど。

 

 

目次

 

はじめに

 

序章 「いい写真」とは

 

1章 世界は「撮り尽くされた」か

消費される写真

バブル絶頂期とアジア

「きみにタイはまだ若すぎるよ」

写真というメディア

カメラを替える

象を撮る

「伝来と消滅」

変貌するアジアへ

 

2章 カメラとの付き合い方

撮影とは

カメラと撮影者の心理

カメラの大きさ

何を撮るか、何を撮らないか

世界の見方が変わる

気持ちとカメラ

女性を撮る場合

「不自由なカメラ」を選択

男性を撮る場合

カメラは撮れる

カメラが緊張する

 

3章 「写真を撮る者」の条件

カメラマン?写真家?フォトグラファー?

写真家志向の強い若者

一人の青年の話

 

4章 写真は「窓」か「鏡」か

写真についての問い

「窓」としての写真とは

「鏡」としての写真とは

この写真は「窓」か「鏡」か――ケース①

この写真は「窓」か「鏡」か――ケース②

撮影者の「鏡」が観る側の「鏡」となるとき

 

5章 人物をどう撮るか

被写体の存在

別格のポートレート撮影

「セブン・イレブンのコーヒー作戦」

撮影はジャムセッション

俳優・本田博太郎を撮影

サッカー選手・宮本恒靖を撮影

 

6章 風景を読む

写真を撮る者とスポーツ選手

「いま、ここ」に対してどう臨むか

女優・鶴田真由を南インドで撮影

「いま、ここ」という瞬間をどう撮るか

「伝来/消滅」――アジアの遺跡群を撮る

どう削るか、どう括るか

「リングワンダリング」(ring wandering)の着想過程

どうしても必要な「言葉」

 

7章 過去を撮る

写真で過去が撮れる?

遠い日本の姿を撮る

「思い」をいかに伝えるか

「二万年の水流」

写真で未来を撮る?

古屋誠一『Mémoires(メモワール)』――写真は時間とともに意味を変える

同時多発テロ後に抱いた予感

「撮れないものの存在」について考える

 

8章 時代と写真

写真を真似ること

天才型写真家――川内倫子、佐内正史の写真

「ピントを外して撮る」――高木こずえの写真

写真を常に変わり続ける

「写真家」の出現

「不遇の時代」と「写真ブーム」

 

9章 写真に答えはない

写真に答えはあるか

学生の反応に言葉が詰まる

賞を受賞した二人の学生の例

乗物好きな学生の作品

原点に戻って考える

写真を通して「何がしたいのか」

 

終章 写真はなぜ「わからない」のか

写真は数値化できない

審査員が代われば選ぶ写真も変わる

二つの基準

「いい写真」とは

 

おわりに

 

 

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Akihoshi Yokoran
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