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開催してほしい展覧会(20世紀前半篇)

瀧口修造の前衛写真論の危うさ(2086)

前衛写真についてのフォトタイムスにおける例の座談会(以下、本座談会)における瀧口修造の前衛写真論ですが、以前も書いたように、現在までに十分な批判検討がなされているようには思えません。

試みに1つの視点を書いてみたいと思います。

 

瀧口の言う、「ことさらにテクニック(技術)に拘泥せず、ストレートな作品でも前衛写真たりうる。」(これは瀧口本人による要約ではなく、当方が作った表現です。)、という主張はよくわかります。ここでいう、「テクニック」とは、フォトグラム、フォトモンタージュ、ソラリゼーションなどです。言い換えをすれば、「凝ったテクニックさえ使えば。前衛写真になるという考え方もおかしい。前衛写真はもっと深いものである。」という主張もよくわかります。

 

しかし、では具体的に、どのような「ストレートな作品」が前衛写真であり、どのような「ストレートな作品」が前衛写真ではないのでしょうか? 確かに、「前衛写真協会」のメンバーの作品が前衛写真の実例なのでしょうが、必ずしも十分な量ではありません。一部には、ストレートとは言い切れない作品すら含まれています。また、本座談会でも、浪華写真倶楽部等のテクニックを駆使した作品には瀧口の批判の矛先が向いていますが、逆に、瀧口の主張を裏付けるような作品はあまり取り上げられていないため、したがって批判もあまりなされないという、瀧口側が一方的に批判して座談会も終わったという感があります。浪華写真倶楽部側も、実作品に対してはもちろんのこと、瀧口の主張そのものに対しても明らかな反論があったという感じもなく、議論がかみ合っていなかったという感じすら残ります。それは、瀧口の主張が、抽象的に過ぎて、浪華写真倶楽部側も、ほとんど踏み込めなかった(反論しにくかった)ということではないでしょうか?(あるいは、うがった見方をすれば、踏み込むことを避けた、ということかもしれません) 批判ばかりではなく、瀧口側からもっと実例を示して、議論の対象として、議論を深めておくべきだったと言えるでしょう。

 

さて、では、無謀な推論ですが、瀧口的に「前衛写真の範囲」を考えるとどうなるか、要するに明確な基準を設定できない、ということに尽きるのではないでしょうか? 撮影対象物が何であるかを問わず、また、撮影者本人の意図や目的にかかわらず、(結果的に、作品そのものから判断して)前衛写真となりうる、というような、極めて「主観的な」判断になるのではないか、ここに、瀧口の主張の危うさがあります。

「どんな作品でも、受け止める側の判断により、前衛写真になりうる」と主張するとしたら、当時の「特高」でなくとも「は?」と疑問を感じずにはいられないでしょう。

要するに、別な表現をすると、ある作品が、見る人によって前衛写真になったりならなかったりする、ということです。もちろん、美術は「好み」の問題であり、定義のかなり明確な科学とは異なりますので、このように、とある「ジャンル」の境界があいまいなことは通常ありうることです。しかし、そのような前提で、他人の作品を批判することまで可能なのでしょうか? そのような批判に対してありうる反論は「あなたはそう思うかもしれないが、私はそうは思わない」というものです。これでは、反論・再反論といった「議論」になりません。仮にいくら話し合いをしても、言いっぱなしになってしまい、内容を深めることは難しいのではないかと思います。上記座談会で、浪華写真倶楽部側が瀧口説に対して明確な反論をしなかったことは、この危険性にうすうす気づいていた、ということかもしれません。

また、この考え方の逆説的な結論は、「テクニックを駆使した作品」でも、それを前衛写真だと考える人がいれば(少なくとも、撮影した浪華写真倶楽部の面々はそう考えているはずです)、前衛写真である、ということになり、それを否定できないということです。そして、他方、「テクニックを駆使した作品」よりも「ストレートな作品」の方が優れている、という主張もできないのではないか、少なくともそのような主張の根拠は明確には示せない、ということだと思います。

 

最後に、今回の「前衛写真の精神」の図録に濱谷浩の手の作品が掲載されていました(p52、図版番号34、タイトル「大型カメラで質感描写の実験」、1932年)。たまたま「虫食い」の入った作品です。これも、瀧口の言う「前衛写真」の作例だという趣旨なのでしょう。

そして、余談ですが、これを見たときに、この作品は、土門拳の作品ではなかったか? と勘違いしてしまいました。記憶のもととなった『日本写真全集3 近代写真の群像』を見てみると、確かにこの濱谷浩の作品は掲載されていて(p151、図版番号146、タイトル「手」、1932年、ゼラチン・シルバー・プリント、23.9x17.9cm)、おもしろいことに、次の掲載作品(濱谷浩の作品の裏のページに掲載されている作品)が、土門拳の作品で、やはり「手」を題材とした作品だったのです(p152、図版番号147、タイトル「陶工 菊揉み」、1938年、ゼラチン・シルバー・プリント、29.3x23.9cm)。これが、当方の頭の中の混同を引き起こしたのでしょう。

なお、『日本写真全集3』のこの濱谷・土門の2作品が掲載されているセクションは、「『光画』とリアル・フォト」というタイトルで、「前衛写真」を対象としている部分ではありませんが、他に、

・飯田幸次郎・看板風景(図版番号140、『光画』1932年刊11号より)

・名取洋之助・外国行通信写真の一部(図版番号145、『光画』1933年刊210号より、たくさんの位牌が並んだ場面を撮影した作品で、雑誌「光画」に掲載された唯一の名取作品)

なども含まれており、瀧口的な「前衛写真」観の視点から見ると、実は、ストレートな作品なのに、前衛的な味わいがあるという趣旨も含んだ作品選択だったのかもしれないと、感じます。

 

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Akihoshi Yokoran
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