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開催してほしい展覧会(20世紀前半篇)

デ・キリコの1910年代の作品の価値(2128)

デ・キリコは、1920年代の古典回帰を、アンドレ・ブルトンらから否定的に評価されたことが気に入らなかったのでしょう、その後も、1910年代のモティーフをそのまま描いた「形而上絵画」を何度となく制作し続けました。その際に、アンドレ・プルトンなどの自分を否定的に評価した人々を愚弄するためか、制作年として意図的に1910年代の年号(嘘の制作年)を記載したりしています。「どうせ、見分けがつかないだろう?」と馬鹿にするつもりだったのかもしれません。

 

しかし、このことは、かえって、1910年代のデ・キリコ作品にさらに注目を集めるという結果を招いたのではないかと思います。ひいては1910年代の作品の価値をより一層高めてしまったといえるのではないでしょうか。皮肉にも、デ・キリコが望んでいたこと、すなわち、形而上絵画以外の自分の作品の価値を相対的に高めるということとは、逆の結果が生じてしまったのではないかと思います。

 

ただ、少なくとも明らかなことは、これらのデ・キリコ自身の手になる「模倣的作品」は、「贋作」(偽作)ではなく、「レプリカ」(模写・模造)でもなく、本人の描いた「真作」(本物)です。違いは、1910年代に描いた作品か、その後に描いた作品かということです。「オリジナル」という意味では1910年代の作品が勝るのかもしれませんが、自分のアイデアを自分で再利用しているだけですから、「盗用」とも言えません。

 

ということで、今まで、デ・キリコの1910年代の作品にかなりこだわった内容を書いてきたにもかかわらず、また、デ・キリコの1910年代の作品の価値を低く考えるつもりも全くありませんが、現時点で思うことは、逆に、デ・キリコの1910年代の作品のみを妄信する必要はないのではないかということです。今までは、1920年代以降の形而上作品は、価値が低く見られてきた、あからさまではないにしても、それこそ「レプリカ」的扱いを受けていた場合もあったと思います。しかし、「本物」ですから、むしろ、1910年代の形而上絵画とのちの形而上絵画を比較し、どこをどう変えているのか、その意味はあるのかないのかなど、1920年代以降の形而上作品にも正面から対峙すればいいのだと思います。「比較」など、作者が生きていたら叱られそうでできないかもしれませんが、現在であれば、自由にできます。

また、古典的作風の作品は古典的作風の作品として変に低く評価するようなことをせずに、古典回帰の意味を掘り下げればいいわけです。こうすることで、おそらくデ・キリコご本人も望んでいたであろう、「形而上絵画」の客観化、デ・キリコ作品の重要性の「平均化」も図れるのではないでしょうか?

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Akihoshi Yokoran
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