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開催してほしい展覧会(20世紀前半篇)

美術品の価値とは何か?~20世紀前半の美術作品の「ハイ・アート」化(2144)

美術品の価値というものは、どのように判断されるのでしょうか? 個人的な好き嫌いは、その個々人の自由でしょうが、そうではなく、世の中一般が認める価値というか、似ているようで違うのだろうと思いますが、美術館などが蒐集・所蔵するかどうかの判断の基礎になるような価値についてです。

 

ピカソ、マティス、カンディンスキー、デュシャンなどの例を挙げるまでもなく、20世紀前半の美術は、すでに、美術館の主要な所蔵品の一部を成す、「ハイ・アート」となっています。

(いやいや、すでに、20世紀後半の作品でも、一部は「ハイ・アート」になっています。)

 

ここでの「ハイ・アート」とは、美術館に足を運ばなければ見ることができないとか、書籍の写真図版でしか見ることができないとか、入手することなど価格から考えても思いもよらないとか、そういう意味合いです。

 

このような美術作品に対する価値判断も、時間とともに確立されてきたのだと思います。

例えば、「ダダ」などは、第一次世界大戦下の状況で、美術そのもの、というか、世界そのものを否定するような動きだったわけですから、それが、美術の枠内で高い評価を受けて、その作品や資料が美術館に所蔵されるなど、当時ダダにかかわった人々にとっては、思いもよらないことだったのではないかと思います。

 

個人的な疑問としては、このような価値判断が確立されていく過程がよくわからないということです。ケースバイケースであろうというのが、答えにならないような答えなのかもしれませんが、そうだとするならば、その過程そのものが、美術史的に探究する価値があるのだろうと思います。

 

「ダダ」という分野がわかりやすい例ではないかと思いますので、再度「ダダ」について書きますが、「ダダ」が美術館という「権威」の傘の下に入って行った経緯・過程はどういうものだったのか、それを時系列的に、または、地域別に探っていく、そういう企画があってもいいのではないでしょうか?

 

そして、いきなり世界中にまで風呂敷を広げるのではなく、20世紀前半の中でも、日本の近代美術に限定してもいいでしょう。

そして、「ダダ」とは異なり、前衛作品・前衛運動であるにもかかわらず、作品が成立した当初から、運動が行われていた当時から、ある程度の評価を勝ち得ていたケースもあります。例えば、もともと「権威」を持っていた(有名な)画家が、前衛的な作品を発表したから評価を得た、という一見奇妙な、しかし、実は通常よく起こりうる現象も見られると思います。逆に言えば、無名な画家が同じようなことをしたとしても、当時はもちろん衆人の耳目を集めるような機会はなかっただろうし、「再評価」のような取り扱いを受けるまでに非常に長い時間がかかる、ということも実際起きていると思います。なお、ここでいう「権威」とは、日本で考えるならば、例えば、「○○芸術大学教授」であるとか「二科会会員」であるとかです。

 

以上のような観点から、近代美術に限って「美術品の価値の確立していく過程を探る」というような企画をご検討いただきたいものです。

その実態は、個々の美術運動や、極端には、1つの美術運動の中でも個々の作家によって大きな差が出る場合があります。そのような場合には、それらを比較しつつ、何故、そのような差が生じるのかという点にも、ぜひ焦点を当てていただきたいと思います。

よろしくお願いします。

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Akihoshi Yokoran
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