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開催してほしい展覧会(20世紀前半篇)

写真は死んだのか?(2147)

実に物騒なタイトルですが、最近、飯沢耕太郎さんの次の本が刊行されました。

 

写真は死んだのか? いまこそ写真の純粋な驚きを語ろう―写真史、SNS、生成AI、無意識、心霊写真

飯沢 耕太郎/大山 顕【著】

価格 ¥2,750(本体¥2,500

梓出版社(2024/11発売)

46判/220p

 

この本はいったいどこにポイントがあるのでしょうか?

以下の目次を見ると、非常に対象が広く、よくわからなくなりそうです。

 

1 写真の本質とは何か? 写真史から考えるⅠ

カメラ・オブスクラの本質はモンタージュにあった

影の発見はレンズとライティングによってもたらされた

写真が誕生する以前の写真的視覚

ヘリオグラフィに見る写真の起源を辿ることの難しさ

ダゲレオタイプの果てにあるAIによる顔認証

写真を成立させるのは線ではなく面である

潜像の発見 写真は見えないものを、見えるようにした

現像のメタファとしての「中つ国」

現代におけるシャッターの意味の変容

カロタイプの発明によってイメージは場所から解放された

ガラス素材の導入と湿板写真

ゼラチン乾板と笑顔の発見

コダックによる現像のバックヤード化とフィルムによる決定的瞬間の神話の誕生

ライカは映画フィルムを転用して、プリントサイズは絵葉書を基準にした

フィルムによる連続撮影と写真のシークエンス

カメラメーカーではなく、コンピュータメーカーがレンズ開発競争を無効にした

カルティエ=ブレッソンの写真集Images a la sauvette は、「決定的瞬間」ではなく「かすめ取る」イメージ

写真と映画に含まれるブレの意味

2 写真の本質とは何か? 写真史から考えるⅡ

カラー写真の歴史

写真家たちによるカラー写真の受容

現代において写真に色をつける意味とは?

色に含まれる罠

3  写真は「得も言われぬもの」をすくいとる 無意識と心霊写真

無意識の可能性と、さまざまな回路

撮れちゃった写真と、写真に入り込むバグ

ウィリアム・マムラーと心霊写真の時代

心霊写真の時代に見る写真と人々の欲望

日本における心霊写真のポストモダン

生成AIは現代の念写である

場所に根ざす心霊写真と場所に根ざさない生成AI

4 写真を語ることは難しいのか?

写真を語ることと共同性

写真を直接語るのではなく、迂回路をつくる

ポートフォリオを作る

写真をどう並べ、どう収めるのか

作品の選考において審査員の意見は八割がた一致する

5 SNS時代の写真の役割は、記録からおしゃべりになった

分水嶺は一九九五年 カメラを取り巻く環境の整備

『デジグラフィ』執筆の動機とは

蓄積性の問題 膨大なデータ量の管理がコストになる時代

保存の本質はメンテナンス

写真はAIがサジェストする時代

写真によるおしゃべりは新しい神話や物語を生むか?

ウェブサイトの時代とSNSの時代

SNSで「いいね」をもらう写真には既視感がある

ユースフル・フォトグラフィは、新しい認識や世界像を提示する

写真の消去性 現代の写真は消去されなかったものの残り

写真表現の物質性と、透明な存在になったスマートフォン

写真を見せる、交換する、コレクションする 現代の欲望はSNSにつながる

猫写真に見るSNS以降の写真の特徴

食べ物の写真と建築写真は、「既視感」と「いいね」で構成される

撮っている自分は何者なのか? 近代的自我への疑問

セルフィー「ここにいる自分」に価値がある

盛りの思想 顔は自分のものでしょ

6 生成AIは写真家の夢を実現するのか?

ボリス・エルダグセンの「Pseudomnesia: The Electrician

なぜフォトリアルなのか? その理由が求められる時代

写真コンテストよりも、アーティスト・イン・レジデンスをやるべき

生成AIInstagram によって準備されていた

写真を忠実に学習している生成AIは、既視感からは逃れられない

AIが生成する画像はコラージュに類似するものか?

生成AIは出力主義 写真家は入力行為のために存在する

見えないものを見ることが写真家の夢だった 生成AIはまだまだ物足りない

 

実物を早く見てみたいところです。

なお、共著者の大山顕(おおやまけん)さんとは、1972年生まれの新進の(? もう50代)評論家、写真家です。

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プロフィール

HN:
Akihoshi Yokoran
性別:
非公開

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