実に物騒なタイトルですが、最近、飯沢耕太郎さんの次の本が刊行されました。
写真は死んだのか? いまこそ写真の純粋な驚きを語ろう―写真史、SNS、生成AI、無意識、心霊写真
飯沢 耕太郎/大山 顕【著】
価格 ¥2,750(本体¥2,500)
梓出版社(2024/11発売)
46判/220p
この本はいったいどこにポイントがあるのでしょうか?
以下の目次を見ると、非常に対象が広く、よくわからなくなりそうです。
は し が き
1 写真の本質とは何か? 写真史から考えるⅠ
カメラ・オブスクラの本質はモンタージュにあった
影の発見はレンズとライティングによってもたらされた
写真が誕生する以前の写真的視覚
ヘリオグラフィに見る写真の起源を辿ることの難しさ
ダゲレオタイプの果てにあるAIによる顔認証
写真を成立させるのは線ではなく面である
潜像の発見 写真は見えないものを、見えるようにした
現像のメタファとしての「中つ国」
現代におけるシャッターの意味の変容
カロタイプの発明によってイメージは場所から解放された
ガラス素材の導入と湿板写真
ゼラチン乾板と笑顔の発見
コダックによる現像のバックヤード化とフィルムによる決定的瞬間の神話の誕生
ライカは映画フィルムを転用して、プリントサイズは絵葉書を基準にした
フィルムによる連続撮影と写真のシークエンス
カメラメーカーではなく、コンピュータメーカーがレンズ開発競争を無効にした
カルティエ=ブレッソンの写真集Images a la sauvette は、「決定的瞬間」ではなく「かすめ取る」イメージ
写真と映画に含まれるブレの意味
2 写真の本質とは何か? 写真史から考えるⅡ
カラー写真の歴史
写真家たちによるカラー写真の受容
現代において写真に色をつける意味とは?
色に含まれる罠
3 写真は「得も言われぬもの」をすくいとる 無意識と心霊写真
無意識の可能性と、さまざまな回路
撮れちゃった写真と、写真に入り込むバグ
ウィリアム・マムラーと心霊写真の時代
心霊写真の時代に見る写真と人々の欲望
日本における心霊写真のポストモダン
生成AIは現代の念写である
場所に根ざす心霊写真と場所に根ざさない生成AI
4 写真を語ることは難しいのか?
写真を語ることと共同性
写真を直接語るのではなく、迂回路をつくる
ポートフォリオを作る
写真をどう並べ、どう収めるのか
作品の選考において審査員の意見は八割がた一致する
5 SNS時代の写真の役割は、記録からおしゃべりになった
分水嶺は一九九五年 カメラを取り巻く環境の整備
『デジグラフィ』執筆の動機とは
蓄積性の問題 膨大なデータ量の管理がコストになる時代
保存の本質はメンテナンス
写真はAIがサジェストする時代
写真によるおしゃべりは新しい神話や物語を生むか?
ウェブサイトの時代とSNSの時代
SNSで「いいね」をもらう写真には既視感がある
ユースフル・フォトグラフィは、新しい認識や世界像を提示する
写真の消去性 現代の写真は消去されなかったものの残り
写真表現の物質性と、透明な存在になったスマートフォン
写真を見せる、交換する、コレクションする 現代の欲望はSNSにつながる
猫写真に見るSNS以降の写真の特徴
食べ物の写真と建築写真は、「既視感」と「いいね」で構成される
撮っている自分は何者なのか? 近代的自我への疑問
セルフィー「ここにいる自分」に価値がある
盛りの思想 顔は自分のものでしょ
6 生成AIは写真家の夢を実現するのか?
ボリス・エルダグセンの「Pseudomnesia: The Electrician」
なぜフォトリアルなのか? その理由が求められる時代
写真コンテストよりも、アーティスト・イン・レジデンスをやるべき
生成AIはInstagram によって準備されていた
写真を忠実に学習している生成AIは、既視感からは逃れられない
AIが生成する画像はコラージュに類似するものか?
生成AIは出力主義 写真家は入力行為のために存在する
見えないものを見ることが写真家の夢だった 生成AIはまだまだ物足りない
あ と が き
実物を早く見てみたいところです。
なお、共著者の大山顕(おおやまけん)さんとは、1972年生まれの新進の(? もう50代)評論家、写真家です。