次の本が刊行されています。
フリーダ・カーロ作品集
堀尾眞紀子著
東京美術
2024年10月
3600円
単に、フリーダ・カーロの作品集であったならば、ここでご紹介することはなかったと思います。
では、なぜご紹介しているのか。
それは、この本には、フリーダ・カーロやその関係者を撮影した(大半は20世紀前半の)写真が多数掲載されており、しかもその多くには撮影者の名前(ただし、欧文つづりがないことは残念です)と撮影年が記載されているからなのです。写真作品の多くは、1ページに1作品で掲載されており、著者が絵画作品と同様の重きを置いていることがうかがわれます。しかも、おや、と思うような写真家名もあり、当方がぴんと来ない写真家名もある。とにかく、撮影者名まで記載されているというのは、極めて珍しい。本書に掲載されているような「誰が写っているか」が問題とされる写真作品の場合、たいていは、「誰が撮影したか」については注目されないからです。著者の堀尾眞紀子さんが、特別な意図をお持ちだったのかもしれません。なお、このかたは、フリーダ・カーロについて、以前にも著書を刊行なさっていて、フリーダ研究では日本における第一人者です。
掲載されている写真作品は、具体的には、以下に列挙するとおりです。カラー作品にはカラー作品と記載しました。
p2:24歳のフリーダ:イモージン・カニンガム撮影、1931年
p4:フリーダ、コヨアカンにて:マヌエル・アルバレス・ブラボ撮影、1937年頃
p9:竜舌蘭の傍らに立つフリーダ:トニー・フリッセル撮影、1937年(カラー作品)
p11:カンヴァスに向かうフリーダ:マヌエル・アルバレス・ブラボ撮影、1937年
p12:フリーダの家族と親族。左端が男装のフリーダ、前列右は妹クリスティーナ:ギジェルモ・カーロ撮影、1926年
p16:18歳のフリーダ:ギジェルモ・カーロ撮影、1926年2月7日
p28:フリーダとディエゴ、サンフランシスコにて:エドワード・ウェストン撮影、1930年12月
p33:キスをするフリーダとディエゴ。デトロイト美術館のコートヤードにて、制作中のディエゴの壁画の前で:W・J・ステットラー撮影、1932年8月24日(W. J. Stettler, 1892-1956))
p38:窓辺のフリーダ。サンフランシスコにて:ポール&ピーターA・ジュレイ撮影、1930年頃(Paul & Peter A. Juley; Paul Juley, Paul Peter Juley, 1890-1975, Peter A. Juley, Peter Anton Juley, 1862-1937)
p45:サンフランシスコに上陸したフリーダとディエゴ:マヌエル・アルバレス・ブラーボ撮影、1930年
p46:フリーダとディエゴ・デトロイト、フォード・リバー・ルージュ工場にて:ルシエン・ブロッホ撮影、1932年(Lucienne Bloch, 1909-1999)
p57:《首飾りをつけた自画像》とフリーダ。ニューヨーク、バルビゾン・プラザ・ホテルにて:ルシエン・ブロッホ撮影、1933年
p34:サボテンの垣根の前に立つフリーダ。サンアンヘルにて:マーティン・ムンカッチ撮影、1934年
p66:ディエゴとフリーダ、サンアンヘルにて:マーティン・ムンカッチ撮影、1934年
p69:《ちょっとした刺し傷》とフリーダ。額にはまだ血痕のような絵の具は塗られていない:ウォレス・マーリー撮影、1938年頃(Wallace Marly, 生没年はわからず)
p73:フリーダ:イサム・ノグチ撮影、1930年代
p74:イサム・ノグチ:エドワード・ウェストン撮影、1935年
p75:フリーダ:イサム・ノグチ撮影、1930年代
p76:(左から)トロツキーの妻ナターリャ、フリーダ、トロツキー、マックス・シャハトマン。シャハトマンは、アメリカにおけるトロツキズムの党派、社会主義労働者党の創始者:撮影者記載なし、1937年
p80:(左から)トロツキー、リベラ、ブルトン:フリッツ・バッハ撮影、1938年(Fritz Bach, German, 1890-1972)
p81:トロツキーの亡骸を乗せた霊柩車と、それを見送る群集。メキシコシティ、トロツキーの葬列にて:フリッツ・バッハ撮影、1938年
p82:ディマスを見つめるフリーダ。ディマスはディエゴが名づけ親になった少年で、ディエゴの絵のモデルにもなった。この2年後に亡くなり、フリーダによる作品《死せるディマス》(右頁)がある:シルヴィア・サルミ撮影、1935年頃(Sylvia Salmi, 1909-1977)
p88:フリーダとニコラス・ムライ:ニコラス・ムライ撮影、1939年
p89:赤いショールのフリーダ。ニューヨークにて:ニコラス・ムライ撮影、1939年(カラー作品)
p90:フリーダとニコラス・ムライ。「青い館」のアトリエにて:ニコラス・ムライ撮影、1941年
p103:《傷ついたテーブル》(1940年)を描くフリーダ:バーナード・シルバースタイン撮影、1940年頃(Bernard Silverstein, Bernard G. Silverstein, Bernard Silberstein, Bernard G. Silberstein, 1905-1999)
p104:フリーダとディエゴ。「青い館」のアトリエにて:撮影者記載なし、1948年
p106:ピカソ館でのフリーダ。メキシコシティにて:フローレンス・アークイン撮影、1944年(Florence Arquin, 1900-1974)
p109:物思いに耽るフリーダ:ロラ・アルバレス・ブラーボ撮影、1944年頃
p121:《いつも私の心にいるディエゴ》を描くフリーダと、それを見守るディエゴ:バーナード・シルバースタイン撮影、1940年頃
p126:猿を抱くディエゴとフリーダ:ウォレス・マーレイ撮影、1948年(Wallace Marly, 生没年はわからず)
p144:食卓のフリーダとディエゴ。「青い館」にて:エミー・ルー・パッカード撮影、1941年9月(Emmy Lou Packard, 1914-1998)
p151:ベッドのフリーダ。両手にはたくさんの指輪が輝く:バーニス・コルコ撮影、1954年(Bernice Kolko, 1905–1970)
p154:「青い家」の庭に立つフリーダ:ジゼル・フロイント撮影、1951年
p156:ベッドのフリーダ。「青い館」にて:ジゼル・フロイント撮影、1951年
p157:デモ更新中のフリーダ。後列中央はディエゴ、その下はファン・オゴルマン:撮影者記載なし、1954年
p160:ベッドで絵を描くフリーダと、それを見つめる少年:ファン・グスマン撮影、1954年頃(Juan Guzmán (born Hans Gutmann, also known as "Juanito",1911–1982)
p174:青い館の中庭:ジゼル・フロイント撮影、1951年
p177:フリーダとディエゴ:ファン・グスマン撮影、1950年
p180:ショロ犬を抱くフリーダ:エクトール・ガルシア撮影、1952年(Hector Garcia Cobo, Héctor García Cobo, 1923-2012)
(以上、全40点、「ブラボ」と「ブラーボ」の表記の揺れは、原文のままです、著者撮影の作品は省略。)
これ以外に、p182からp185にかけての「年譜」のページに、16点の小さな写真が掲載されていますが、こちらについては、撮影者の記載は全くないため、省略します。