忍者ブログ

開催してほしい展覧会(20世紀前半篇)

フリーダ・カーロ作品集(2157)

次の本が刊行されています。

 

フリーダ・カーロ作品集

堀尾眞紀子著

東京美術

202410

3600

 

単に、フリーダ・カーロの作品集であったならば、ここでご紹介することはなかったと思います。

では、なぜご紹介しているのか。

それは、この本には、フリーダ・カーロやその関係者を撮影した(大半は20世紀前半の)写真が多数掲載されており、しかもその多くには撮影者の名前(ただし、欧文つづりがないことは残念です)と撮影年が記載されているからなのです。写真作品の多くは、1ページに1作品で掲載されており、著者が絵画作品と同様の重きを置いていることがうかがわれます。しかも、おや、と思うような写真家名もあり、当方がぴんと来ない写真家名もある。とにかく、撮影者名まで記載されているというのは、極めて珍しい。本書に掲載されているような「誰が写っているか」が問題とされる写真作品の場合、たいていは、「誰が撮影したか」については注目されないからです。著者の堀尾眞紀子さんが、特別な意図をお持ちだったのかもしれません。なお、このかたは、フリーダ・カーロについて、以前にも著書を刊行なさっていて、フリーダ研究では日本における第一人者です。

 

掲載されている写真作品は、具体的には、以下に列挙するとおりです。カラー作品にはカラー作品と記載しました。

 

p224歳のフリーダ:イモージン・カニンガム撮影、1931

p4:フリーダ、コヨアカンにて:マヌエル・アルバレス・ブラボ撮影、1937年頃

p9:竜舌蘭の傍らに立つフリーダ:トニー・フリッセル撮影、1937年(カラー作品)

p11:カンヴァスに向かうフリーダ:マヌエル・アルバレス・ブラボ撮影、1937

p12:フリーダの家族と親族。左端が男装のフリーダ、前列右は妹クリスティーナ:ギジェルモ・カーロ撮影、1926

p1618歳のフリーダ:ギジェルモ・カーロ撮影、192627

p28:フリーダとディエゴ、サンフランシスコにて:エドワード・ウェストン撮影、193012

p33:キスをするフリーダとディエゴ。デトロイト美術館のコートヤードにて、制作中のディエゴの壁画の前で:WJ・ステットラー撮影、1932824日(W. J. Stettler, 1892-1956))

p38:窓辺のフリーダ。サンフランシスコにて:ポール&ピーターA・ジュレイ撮影、1930年頃(Paul & Peter A. Juley; Paul Juley, Paul Peter Juley, 1890-1975, Peter A. Juley, Peter Anton Juley, 1862-1937

p45:サンフランシスコに上陸したフリーダとディエゴ:マヌエル・アルバレス・ブラーボ撮影、1930

p46:フリーダとディエゴ・デトロイト、フォード・リバー・ルージュ工場にて:ルシエン・ブロッホ撮影、1932年(Lucienne Bloch, 1909-1999

p57:《首飾りをつけた自画像》とフリーダ。ニューヨーク、バルビゾン・プラザ・ホテルにて:ルシエン・ブロッホ撮影、1933

p34:サボテンの垣根の前に立つフリーダ。サンアンヘルにて:マーティン・ムンカッチ撮影、1934

p66:ディエゴとフリーダ、サンアンヘルにて:マーティン・ムンカッチ撮影、1934

p69:《ちょっとした刺し傷》とフリーダ。額にはまだ血痕のような絵の具は塗られていない:ウォレス・マーリー撮影、1938年頃(Wallace Marly, 生没年はわからず)

p73:フリーダ:イサム・ノグチ撮影、1930年代

p74:イサム・ノグチ:エドワード・ウェストン撮影、1935

p75:フリーダ:イサム・ノグチ撮影、1930年代

p76:(左から)トロツキーの妻ナターリャ、フリーダ、トロツキー、マックス・シャハトマン。シャハトマンは、アメリカにおけるトロツキズムの党派、社会主義労働者党の創始者:撮影者記載なし、1937

p80:(左から)トロツキー、リベラ、ブルトン:フリッツ・バッハ撮影、1938年(Fritz Bach, German, 1890-1972

p81:トロツキーの亡骸を乗せた霊柩車と、それを見送る群集。メキシコシティ、トロツキーの葬列にて:フリッツ・バッハ撮影、1938

p82:ディマスを見つめるフリーダ。ディマスはディエゴが名づけ親になった少年で、ディエゴの絵のモデルにもなった。この2年後に亡くなり、フリーダによる作品《死せるディマス》(右頁)がある:シルヴィア・サルミ撮影、1935年頃(Sylvia Salmi, 1909-1977

p88:フリーダとニコラス・ムライ:ニコラス・ムライ撮影、1939

p89:赤いショールのフリーダ。ニューヨークにて:ニコラス・ムライ撮影、1939年(カラー作品)

p90:フリーダとニコラス・ムライ。「青い館」のアトリエにて:ニコラス・ムライ撮影、1941

p103:《傷ついたテーブル》(1940年)を描くフリーダ:バーナード・シルバースタイン撮影、1940年頃(Bernard Silverstein, Bernard G. Silverstein, Bernard Silberstein, Bernard G. Silberstein, 1905-1999

p104:フリーダとディエゴ。「青い館」のアトリエにて:撮影者記載なし、1948

p106:ピカソ館でのフリーダ。メキシコシティにて:フローレンス・アークイン撮影、1944年(Florence Arquin, 1900-1974

p109:物思いに耽るフリーダ:ロラ・アルバレス・ブラーボ撮影、1944年頃

p121:《いつも私の心にいるディエゴ》を描くフリーダと、それを見守るディエゴ:バーナード・シルバースタイン撮影、1940年頃

p126:猿を抱くディエゴとフリーダ:ウォレス・マーレイ撮影、1948年(Wallace Marly, 生没年はわからず)

p144:食卓のフリーダとディエゴ。「青い館」にて:エミー・ルー・パッカード撮影、19419月(Emmy Lou Packard, 1914-1998

p151:ベッドのフリーダ。両手にはたくさんの指輪が輝く:バーニス・コルコ撮影、1954年(Bernice Kolko, 1905–1970

p154:「青い家」の庭に立つフリーダ:ジゼル・フロイント撮影、1951

p156:ベッドのフリーダ。「青い館」にて:ジゼル・フロイント撮影、1951

p157:デモ更新中のフリーダ。後列中央はディエゴ、その下はファン・オゴルマン:撮影者記載なし、1954

p160:ベッドで絵を描くフリーダと、それを見つめる少年:ファン・グスマン撮影、1954年頃(Juan Guzmán (born Hans Gutmann, also known as "Juanito",1911–1982

p174:青い館の中庭:ジゼル・フロイント撮影、1951

p177:フリーダとディエゴ:ファン・グスマン撮影、1950

p180:ショロ犬を抱くフリーダ:エクトール・ガルシア撮影、1952年(Hector Garcia Cobo, Héctor García Cobo, 1923-2012

(以上、全40点、「ブラボ」と「ブラーボ」の表記の揺れは、原文のままです、著者撮影の作品は省略。)

これ以外に、p182からp185にかけての「年譜」のページに、16点の小さな写真が掲載されていますが、こちらについては、撮影者の記載は全くないため、省略します。

(つづく)

拍手[0回]

PR

コメント

プロフィール

HN:
Akihoshi Yokoran
性別:
非公開

P R