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開催してほしい展覧会(20世紀前半篇)

東京美術学校物語/新関公子(2167)

次の本が刊行されています。

 

東京美術学校物語

新関公子

岩波新書

20253

1056

 

目次は以下のとおりです。

 

まえがき――『東京美術学校物語』の基礎としての『東京芸術大学百年史』の存在について

第一章 日本はいつ西洋と出会ったか――キーワードは遠近法

第二章 ジャポニスムの誕生――慶応三年パリ万国博覧会への参加

第三章 欧化を急げ――明治初期の国際主義的文化政策

第四章 反動としての国粋主義の台頭

第五章 美術学校設立の内定とフェノロサ、岡倉の欧米視察旅行

第六章 国粋的美術学校の理念の確立にむけて

第七章 開校された美術学校――フェノロサ、岡倉の教育プログラム

第八章 図案科、西洋画科の開設と岡倉の失脚

第九章 一九〇〇年パリ万国博覧会への参加

第一〇章 正木直彦校長時代の三〇年と七ヶ月

第一一章 和田英作校長時代の四年間

第一二章 戦時下の東京美術学校とその終焉

『東京美術学校物語』関連年表

あとがき

 

著者の新関公子(杉本公子)さんは、1940年生まれで、東京芸術大学名誉教授.専攻は美術史で、過去の著書を見ると、対象は日本も海外も、そしておそらく、19世紀末から20世紀がご専門ではないかと思われます。

 

第二次世界大戦までの時期が対象で、なかなか面白そうではあります。ただ、個人的には、中山岩太が卒業した「臨時写真科」について知りたかったのですが、目次を見る限りは、その情報はなさそうです。やはり、このような、その歴史の全体を見るような本では、特定の分野についての記述は、細かすぎて、なかなかむずかしいのでしょう。

また、「臨時写真科」について(その後どうなったかも含めて)書くとしたら、実は、新書1冊くらい必要でしょう。全卒業生を網羅して、卒業後の進路・活動を内容に含めたような、そんな本を希望しています。そういう新書を、どなたか1冊書いていただきたいものです。

 

なお、「臨時写真科」は、その後、「東京高等工芸学校写真部」となり、戦後は「千葉大学工芸学部(→千葉大学工学部)」となっているということのようですが、現在はどうなっているかはよくわかりません。

 

千葉大学工学部のホームページによると、現在、千葉大学工学部は、「総合工学科」という1つの「学科」しかなく、その下に、次に9つの「コース」があるそうです。

・建築学コース

・都市工学コース(旧・都市環境システムコース)

・デザインコース

・機械工学コース

・医工学コース

・電気電子工学コース

・物質科学コース

・共生応用化学コース

・情報工学コース(※令和64月より情報・データサイエンス学部になる)

 

しかし、この中に「写真」や「画像」といった言葉は出てきません。流れとしては「デザインコース」につながっているのではないか、と思って調べてみましたが、このコースについては、少なくとも「写真」を大きくは紹介しておらず、よくわかりませんでした。「写真」という流れは、徐々に先細りとなり、もしかすると、現在はあまり重視されておらず、実質的に「デザイン」に吸収されてしまっているのかもしれません。

 

卒業生を見ると、戦後もある時点までは、写真家の卒業生がいるので(荒木経惟は1963年千葉大学工学部写真印刷工学科卒業、白鳥真太郎は1970年頃千葉大学工学部写真工学科卒業、山田一仁は1981年千葉大学工学部画像工学科卒業など)、ある程度盛んだったのではないかと思うのですが。「画像工学科」というものが、この後どうなったのか、という点がポイントなのかとも思います。のちの「画像科学科」や「情報画像学科」(しかし、上記のとおり、現在は存在しない)につながっているのかもしれません。

こんな情報は、非常に基本的な事項だと思うのですが、すぐには発見できません。これを情報不足と呼ばずに、何と呼ぶのでしょうか。

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Akihoshi Yokoran
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