次の展覧会が昨日から開始しました。
流氓ユダヤと神戸の歴史
人道の港 敦賀ムゼウム
2026年3月14日(土)~6月14日(日)
https://tsuruga-museum.jp/modules/exhibition/index.php?action=PageView&page_id=25
https://tsuruga-museum.jp/modules/news/index.php?action=PageView&page_id=193
この「敦賀ムゼウム」というのは、ロシア革命や第2次世界大戦中のナチスやソ連を原因とするポーランド孤児やユダヤ難民を特に対象に、「人権」を考えるための博物館(「ムゼウム」はポーランド語だそうです)ということです。
なぜ、そういう博物館が敦賀にあるのかというと、かつて敦賀は、ヨーロッパからシベリア鉄道に乗ってアジアに逃れてきた難民の人々が、船に乗って日本にたどり着く入口だった、ということなのです。
その場所で、なんと丹平写真俱楽部の「流氓ユダヤ」(兵庫県立美術館蔵)が大きく取り上げられるという企画です。
ただ、どうも、「流氓ユダヤ」は、実作品ではなく写真パネルによる展示のようです(その分、、サイズが大きくなって見ごたえがあるかもしれません)。
とはいえ、貴重な企画です。そもそも、丹平写真倶楽部の「流氓ユダヤ」については、必ずしも中心的に取り上げれることはなかった、安井仲治や丹平写真倶楽部の広い活動の中の、または、日本の近代写真の動きの中の1つの作品群という取扱いだったのではないかと思います。それを補う意味でも、この企画は重要であると考えます。
特に思うのは、「流氓ユダヤ」を芸術的な観点だけでなく、むしろ、社会的な観点を強調して取り上げるという今回の企画のような方向性は、安井仲治など、この撮影にかかわった写真家たちも望んでいたことではないか、ということです。
日本では、「美術館」と「博物館」に「ミュージアム(ムゼウム)」が二分されているという状況があります。しかし、今回のように、本来、美術館がカバーしている写真作品が、越境して博物館側に流れ込むというような現象が起こるということは、今後も同様な交流の可能性がある、それが期待できるだろうと思います。
そのような融合的な企画を、ぜひとも、今後もよろしくお願いいたします。
3Dのスキャナーとプリンターによる美術作品(絵画、彫刻など)の複製が海外で普及しつつある、というニュースを見ました。
複製作品を展示して実作品のほうを保護することが目的であったり、他館への貸し出し用として制作する、教育のために制作する場合や、所有を目的に複製作品を制作して販売する場合などもあり、使い道は様々あるようです。
個人的には、基本はいいのではないかと思いますが、問題がまったくないわけでもなさそうです。
複製を所有することを、本当に認めていいのか?
複製を美術館で展示することも、認められることなのか?
いずれも、「複製」であることが明確であれば、許されるのだと思いますが、違和感がないわけでもありません。
よく考えてみると、従来から、特に「博物館」においては、例えば古代の土器や鉄器について、さらにそれらよりもさらに昔の化石などについて、「レプリカ」というような表現で「複製」を制作することも展示することも、珍しくはなかったと思います。原資料の保護が目的でしょう。
他方、絵画で考えてみると、従来の「複製」は、「写真(図版)」という形で、それこそ無限に存在しました。書籍(展覧会図録を含む)になっている場合もありますし、インターネットでもあふれています(勝手に画像ファイルがコピーされることも完全には防止されていません)。美術館のミュージアムショップなどでは。美術作品のポストカードなど必ず販売されているといってもいいくらいでしょう。さらに、ポストカードよりも大きいサイズの、より印刷の精密な複製作品(ただし写真なので平面)すら販売されていることも多いでしょう。
これらには違和感はありません。仮に書籍のレベルであっても、図版が美しく「所有欲」すら満たす場合があると思います。
とすると、3Dのスキャナー・プリンターによる「複製」への違和感の原因は何なのでしょうか?
おそらく、次の2点ではないでしょうか?
1.複製のレベル(特に、作品の立体性の再現。「3D」というくらいですから、それはそうでしょう)が格段によくなっており、本物との区別がつきにくくなっていること、それゆえ、例えば、複製を壁に飾ったとしても、本物を飾ることと比べてあまり遜色がない(だろう)ということ(作品のサイズのことはさておいて)
2.適切な装置を入手できさえすれば(とはいえ、日本の普通の個人が入手できるほどの価格とは思えませんが)、誰でも本物と見まごうほどの複製を制作できてしまうこと
後者については、さらに考えると、無制限に複製を制作をしても大丈夫なのか、という問題がありえます。美術館や博物館などの公的または公的な性格のある機関であれば、もちろん自制するでしょう。例えば、ルーブル美術館が「モナリザ」を大量に何万作も複製して、世界中の美術館や画廊や個人に売りさばく、などということは考えられないでしょう。
しかし、一般の画廊などであれば、すべての画廊に自制が期待できるでしょうか? 欲しいお客さんがたくさんいるのであれば、「ポストカード」感覚で、大量に「複製」したりしないでしょうか? ましてや、個人の所有者にいたっては、制限をかけることすら可能なのかどうかよくわかりません。著作権というものが、このような場合に効果的に役に立つでしょうか? でも、有名な作品は古かったりしてもう著作権など失効していますよね。
さらに、考えすぎかもしれませんが、粗悪な複製品(その分安価である)が出回ったりしたらどうなるのでしょうか? 誰かが止められますか? そもそも「粗悪」とは何でしょうか? 書籍に掲載された作品の写真図版のコピー(画質の悪い白黒コピーなど大量にあるでしょう)や、インターネット上の作品の写真図版のコピーを考えたら(インターネットの場合などは同じ作品でも画像ファイルにより色調が大きく異なることも多く、意図的な色の調整・変更もかなり可能です)、いちいちそれらのコピーのクレームしたり、使用の差し止めをしたりすることはしません。「所詮はコピーだから」という理解が浸透しているのでしょう。そうだとすれば、何をもって「粗悪」と言えるのか、簡単に基準を設定できるとは思えません。
今後、この方向がどうなっていくのかについては、注目していきたいところです。
最後に、この「複製」が贋作の補助や助長につながらないことを祈ります。
5年以上前の刊行と、かなり古い本なのですが、以前にご紹介したことがないようですので、あえてご紹介します。
無辜の絵画―靉光、竣介と戦時期の画家
広島市現代美術館【編】
国書刊行会
2020/05発売
価格 ¥4,180(本体¥3,800)
本書は2020年5月に広島市現代美術館で開催された企画の「展覧会カタログ」的な位置づけの書籍です。
・1940年代とは何なのか
・戦前・戦時(戦中)と戦後のつながりはあるのかないのか、あるとすればそれは何なのか
そういうことを考えさせる企画です。
戦前と戦後の間に明確な「断絶」を置くのではなく、そこには何らかの「接続」がある。今後も、それを見出そうとする方向性は強まっていくのではないかと思います。
以下目次です。
目次
序にかえて この本の成り立ちといくつかのこと 寺田淳治
靉光(あいみつ、本名:石村日郎(にちろう)、1907-1946)
静物としての動物 大谷省吾
画室からの風景―昭和十九年東京・小石川 江川佳秀
靉光のシュルレアリスム 出原均
靉光“静物”(個人蔵)について―「宋元画風」作品の素地と展開 藤崎綾
松本竣介(まつもと・しゅんすけ、1912-1948)
迎えいれる絵画―松本竣介『画家の像』から『Y市の橋』まで 田中淳
「茶房りゝおむ」をめぐる断章―松本竣介、北川實を中心に 小此木美代子
一九三七年の松本竣介―未刊行の「日記」より 長門佐季
恩地孝四郎(おんち・こうしろう、1891-1955)
長谷川利行(はせがわ・としゆき、1891-1940)
川口軌外(かわぐち・きがい、本名、川口孫太郎、1892-1966)
福沢一郎(ふくざわ・いちろう、1898-1992)
鳥海青児(ちょうかい・せいじ、1902-1972)
山口長男(やまぐち・たけお、1902-1983)
山路商(やまじ・しょう、1903-1944)
吉原治良(よしはら・じろう、1905-1972)
村井正誠(むらい・まさなり、1905-1999)
難波田龍起(なんばた・たつおき、1905-1997)
長谷川三郎(はせがわ・さぶろう、1906-1957)
井上長三郎(いのうえ・ちょうざぶろう、1906-1995)
鶴岡政男(つるおか・まさお、1907-1979)
山口薫(やまぐち・かおる、1907-1968)
北川實(きたがわ・みのる、1908-1957)
吉井忠(よしい・ただし、1908-1999)
森芳雄(もり・よしお、1908-1997)
糸園和三郎(いとぞの・わさぶろう、1911-2001)
寺田政明(てらだ・まさあき、1912-1989)
船田玉樹(ふなだ・ぎょくじゅ、本名は信夫、1912-1991)
麻生三郎(あそう・さぶろう、1913-2000)
桂ゆき(かつら・ゆき、本名は雪子、1913-1991)
澤田哲郎(さわだ・てつろう、1919-1986)
中野淳(なかの・じゅん、1925-2017)
複数のレアリスム 戦時期日本およびヨーロッパの諸相 宇多瞳
靉光、竣介、その周辺の画家たちの文献案内 画集・回顧展カタログ・著述 橘川英規
関連年表
作品リスト
執筆者略歴
目次は以上ですが、よみがな(ただし、ローマ字表記をひらがな表記に変更)と生没年は本文記載のものを追加しました。
(つづき)
3.Copilot(Microsoft)
以下に、1920年から1945年の間に活躍した日本の重要な写真家10名を、漢字表記・生没年付きでまとめました。
この時期は日本写真史において、ピクトリアリズムから新興写真、報道写真へと大きく転換した激動の時代で、ここに挙げた人物はいずれもその流れを形づくった中心的存在です。
1920〜1945年に活躍した日本の主要写真家10名
1. 名取洋之助(なとり ようのすけ)
1900–1962
日本の報道写真を国際水準に引き上げた人物。『NIPPON』誌の創刊者としても知られる。
2. 木村伊兵衛(きむら いへえ)
1901–1974
「ライカの名手」。スナップ写真の先駆者として戦前から活躍。
3. 土門拳(どもん けん)
1909–1990
リアリズム写真の代表者。戦前は報道写真家として活動を開始。
4. 濱谷浩(はまや ひろし)
1915–1999
戦前から農村や風景を撮影。戦後の『雪国』シリーズで世界的評価を得る。
5. 野島康三(のじま こうぞう)
1889–1964
ピクトリアリズムの代表的存在。戦前の肖像写真で高い評価を確立。
6. 安井仲治(やすい なかじ)
1903–1942
新興写真運動の中心人物。前衛的な作品で知られる。
7. 中山岩太(なかやま がんた)
1895–1949
モダニズム写真の旗手。大阪を拠点に新興写真を牽引。
8. 福原信三(ふくはら しんぞう)
1883–1948
資生堂創業家。日本のピクトリアリズムを代表する写真家。
9. 福原路草(ふくはら ろそう)
1892–1946
信三の弟。柔らかな光を生かした芸術写真で知られる。
10. 田中雅夫(たなか まさお)
1906–1987
新興写真運動に参加し、構成主義的な作品で戦前に活躍。
必要であれば、この10名の代表作一覧や、当時の写真運動(ピクトリアリズム/新興写真/報道写真)との関係図も作れます。
==============
結果は以上です。
一言でいえば、いずれのAIについても、1年前と比べて見違えるような「進化」です。
しかし、問題はまだ残っています。
なるべく公平を期すため、次の3つのポイントを定め、1つ1つの結果を評価して、100点満点で何点かという点数を付けてみたいと思います。
・前回も挙げていた、中山岩太、野島康三、安井仲治、小石清の4人のうち、何人を含めているか? 含めていない人数×10点を減点します。ただし、全員含まれていないような場合には、「マイナス40点」ではなく、加重して減点することもあります。
・戦後に活躍した写真家が含まれていないか?
・その他、情報に誤りはないか?
まず、Chat GPTです。
・4人のうち、野島康三だけが抜けていますので、マイナス10点
・戦後の写真家は含まれていません。
・その他の情報に誤りはないようです。ただし生没年が正しいかは確認していません。
以上から、90点としたいと思います。
岡田紅陽が戦前の代表的な写真家ではないとは言いませんが、その代わりに野島康三を入れていたら、100点を付けていたかもしれません。
次に、Geminiです。
・4人のうち、小石清だけが抜けていますので、マイナス10点
・戦後の写真家は含まれていません。
・ところが、ところどころ情報の誤りや誇張が目立ちます。木村伊兵衛は「日本の報道写真の父」とは呼ばれていないでしょう。野島康三の作品を芸術写真だけに限定するのは誤りです。名取洋之助は「FRONT」ではなく「NIPPON」です。土門拳が「絶対非演出」を主張したのは戦後のはずなので、戦前からそう主張していたかのように誤解を生む表現です。
以上から、60点としたいと思います。名取についての間違いは、評価者によっては落第点をつけるかもしれません。
なお、Chat GPTに対するものと同じようなことを書くと、石川光陽が戦前の代表的な写真家とは言えないでしょう。その代わりに小石清を入れるべきでした。
最後に、Copilotです。
・4人のうち、小石清だけが抜けていますので、マイナス10点
・田中雅夫は、戦後の活動が主であり、しかも写真家というよりは、写真編集者または写真評論家としての活動が主です。したがって、マイナス10点
・さらに、誤りが非常に多い。3つのAIの中で最悪です。野島をピクトリアリスムに、安井を前衛的な作品に限定するのも、中山の活躍の場を大阪に限定するのも(「関西」にすればいいのに)、誤りですが、まあ、許せます。問題は、名前の読み方です。1年前にも、Copilotは、求めてもいない読み方を提示し、しかも間違っていました。今回、「のじま こうぞう」はまだいいとして、「なかやま がんた」はあまりにひどい。
ということで、落第点としたいところですが、がまんをして、50点とします。
以上から、Chat GPT(90点)>Gemini(60点)>Copilot(50点)、となりました。
1年前は、
Chat GPT:60点
Gemini:30点~40点
Copilot:60点
でした。
単純に点数の比較はできませんが、いずれのAIの回答も前回よりよくなっているのに、点数が低くなっている場合もあるということは、今回の点数のつけ方が厳しくなっているということでしょう。
しかし、よくなっているとはいえ、やはり厳しいことを言えば、この程度の非常に基本的な課題で、入れるべき写真家が抜けているとか、戦後の写真家が入っているなどということはあってはなりません。AIの回答をそのまま使用するということも多いでしょうから、根本的な点には正確性が必要です。すなわち、「写真家の選択」の部分で誤りはあってはならず、今回いずれのAIもその点は満たしてはいないので、全般において「合格」とは言えないだろうというのが、今回の当方の結論です。
最後に、誤りとまでは言えないのですが、3つの回答とも気になったのが、濱谷浩の戦前の活動を農村や民俗に限定している点です。確かに、濱谷の戦前を代表し、かつ、独自性もある重要な分野ではあるのですが、その前の最初期の報道写真家としての活動にも触れてほしいところです。
この質問によるAIの性能の確認は、今後も継続していきたいと思います。
生成AIについてつづき(戦前の日本の写真家10人)(2162)(2025年3月2日)から、ほぼ1年、改めて、AIに「戦前の日本の写真家10人」を挙げてもらうことにしました。
どの程度「進化」しているのか、楽しみです。
対象のAIは、前回と同じChat GPT(Open AI)とGemini(Google)とCopilot(Microsoft)の3つ。
質問も前回との比較をする目的で、前回と同じにしています。次の質問です。
『1920年から1945年までに活躍した最も重要な日本の写真家を10人挙げて下さい。名前は漢字表記で、また生没年も併せて記載してください。』
結果は以下の通りでした(2026年2月8日(日)実施)。
1,Chat GPT(Open AI)
以下は、1920年から1945年(戦前〜戦中期)にかけて活躍し、日本写真史上とくに重要と評価されている写真家10名です。
いずれもその時代の写真表現(新興写真、報道写真、リアリズムなど)を代表する人物です。
必要であれば、
なども整理できます。
2.Gemini(Google)
1920年から1945年にかけて、日本の写真界は芸術性を追求する「芸術写真」から、社会の現実を切り取る「報道写真(新興写真)」へと大きく変貌を遂げました。この激動の時代に足跡を残した、最も重要な写真家10人を挙げます。
特定のジャンル(報道、芸術、前衛など)や、特定の作品集について詳しく知りたいものはありますか?