東京都写真美術館の企画に関連してNo.1992の終わりのところに書きましたが、日本写真史において新興写真と前衛写真とはどういう関係にあるのでしょうか? その辺りをもう少し書いてみます。
日本では、一般に、新興写真から前衛写真が生まれたというような捉え方をされていると思います。
しかし、新興写真がドイツの「ノイエ・フォト」を基にしているというのであれば、ノイエ・フォトは、ノイエザッハリッヒカイトやロトチェンコなどのロシア的なストレート・フォトグラフィと同時にフォトグラムやフォトモンタージュといった前衛的な表現もすでに含んでいます。その後に前衛的な表現が生まれたわけではないのです。
日本においても、伊奈信男の『写真に帰れ』(『光画』創刊号、1932年)では、新興写真に次の3つを含めています。
・対象の新しい美を表現しようとする写真
・時代の記録や生活の報告としての写真
・光による造形としての写真である。
第1点と第3点は、ドイツの状況を踏まえてすでに前衛写真の萌芽をとらえています。やはり、新興写真の中から前衛写真は生まれたと考えてもよさそうです。ちなみに、残る第2点が報道写真となってくのでしょう。
それでは、どの時点というか、どの局面で、新興写真から前衛写真が生まれたのでしょうか? 新興写真と前衛写真の境界はどこにあるのでしょうか?
もう少しわかりやすく、ただし、奇妙なことを書いてみますと、例えば、小石清の作品は、どこまでが新興写真でどこからが前衛写真なのでしょうか?
1933年刊行の『初夏神経』は一般的には日本の新興写真の記念碑的な作品集とされています。
では1936年の「泥酔夢・疲労感」は?
https://museumcollection.tokyo/works/82588/
1938年の「燐素」や「冬眠」や「叫喚」は?
https://museumcollection.tokyo/works/83782/
https://museumcollection.tokyo/works/83785/
https://museumcollection.tokyo/works/83788/
1940年の「半世界」のシリーズは?
https://museumcollection.tokyo/?s=%E5%B0%8F%E7%9F%B3%E6%B8%85++%E5%8D%8A%E4%B8%96%E7%95%8C
こう具体的に見てくると、「いやそもそも、『初夏神経』が前衛写真なのではないか?」という疑問すらわいてきませんでしょうか? ただ、ここで申し上げたいのは、結論としては、新興写真と前衛写真の境界は曖昧であるというだけではなく、やはり区分できないのではないかということです。これが、現時点での当方の立場です。
さて、東京都写真美術館の企画では、その境界をどこに引いてくるでしょうか? あるいは、線を引かないかもしれません。いずれにしても、楽しみです。
もう半年も前になってしまいますが、次の本が刊行されています。
教養としての写真全史
鳥原 学
筑摩選書
2,090円(税込)
刊行日: 2021/10/12
直線的な通史ではなく、カテゴリー別の写真史がメインです。まだ読むことはできていませんが、大変面白そうです。
また、最後の部分で、「東アジア写真史」の試みをしている点にも、強く惹かれます。
写真史に関心のある方なら、必ず目を通しておくべき本だと思います。
以下、目次を掲載いたします。
目次
はじめに
第1部 写真文化の基盤
イントロダクション 写真の起源
第1章 カメラと写真の歩み 描写の進化がもたらしたもの
世界を観察するために/写真の発明/複製という性質/フィルムカメラの登場 コダックとライカ/デジタルカメラの時代 一九九〇年代後半~現在
第2章 一九九〇年代以降の写真と社会
デジタルがもたらしたもの/世界の「フラット化」/コミュニケーションとリテラシー/資料年表 現代の写真技術と世相/一九九〇年代以降の写真文化の変化
第3章 ポートレイト 実態とイメージ
肖像写真/実物とイメージ/社会的な活用/肖像写真はメッセージである/写真と死/ひとり歩きする肖像写真/肖像の技法について/光の効果/類型と個性/家族の肖像/シンプルさの追求/実像と虚像
第4章 スナップショット 日常から見出されたもの
身近な写真としてのスナップショットの楽しみ/甦る写真/一九五〇年代 「瞬間の美学」と「ヒューマニズム」の結合/日本におけるスナップショットの展開/主観的表現として/一九七〇~八〇年代 消費社会の表層/コンポラ写真 日本におけるスナップショットの転換/「私写真」という起点/没場所性から生まれた表現
第2部 ヴィジュアル・コミュニケーションとしての発達
第5章 ヴィジュアル・コミュニケーションの誕生 一九二〇〜三〇年代の映像実験
モダン・デザインと写真/第一次世界大戦後の世界/バウハウス 一九一九~三三年/ロシア構成主義/モダン・フォトグラフィの実用化 モンタージュからルポルタージュへ
第6章 フォト・ジャーナリズムの展開 記録(ジャーナリズム)と宣伝(プロパガンダ)
フォト・ジャーナリズムの誕生/アメリカにおけるフォト・ジャーナリストの始動/『ライフ』創刊/日本における報道写真時代の始まり/第二次世界大戦後の変化/日本を写した外国人写真家/日本人写真家の主体性とは/「主観」時代の変化/ベトナム戦争の写真家たち/フォト・ジャーナリストの変容/報道の管理 一九九〇年代以降の戦争と報道/フォト・ジャーナリスト不要論/アートとの境界の消滅
第7章 広告写真 情報社会の視覚デザイン
広告産業の理論/広告写真の誕生と展開/日本における広告写真の始動/ゴールデン・エイジのアメリカで/一九六〇年代は若者文化とともに/日本の広告写真 第二次世界大戦後の展開/広告写真の国際化 オリンピックと資生堂/フィーリングを売る時代/拡散する広告表現/ロックミュージックとヴィジュアル・イメージ
第3部 写真表現の展開
第8章 芸術と写真① 芸術家の写真、写真家の芸術
芸術とはなにか/写真における芸術 一八七〇~一九一〇年代:ピクトリアリズム/あらゆる手法で/自然主義写真 過渡期のピクトリアリストたち/アメリカにおける展開 スティーグリッツを中心に/ストレート・フォトグラフィの発見/西海岸の写真家たち ストレート・フォトグラフィとアメリカ的価値観の融合/日本の芸術写真
第9章 芸術と写真② 前衛芸術としての写真
ダダイズム 拒絶の精神/ダダイズムからシュルレアリスムへ/マン・レイとアジェ/写真と芸術の関係/日本における新興写真と前衛写真/前衛写真の終焉
第10章 芸術と写真③ 美術館の時代と再帰的な表現
一九六〇~七〇年代のコンセプチュアリズム/写真と美術館/ポップ・アートの写真 消費社会における美術/写真にとってのコンセプト/サイト・スペシフィックと開かれた美術館/ポスト・モダニズムの写真/イメージと写真の物質性
第11章 ファッションと写真 文化と産業の境界
産業化とともに/ファッション写真の近代化/第二次世界大戦後のファッションと写真の流れ/ポストモダンとセックス革命/ストリート・カルチャーと写真の関係/ファッション写真をめぐる諸問題
第12章 身体と性のイメージ① 裸体の系譜
身体のイメージ/ヌード写真の近代/ヌードの大衆化/アメリカの「性革命」の影響
第13章 身体と性のイメージ② 多様化する性をめぐって
写真と「文化戦争」/ヌードというフロンティア/一九九〇年代の多様化と議論/フェミニズム表現をめぐる日本の状況/多様化し始めた性をめぐる表現
第14章 ネイチャー・フォト 写真史のもうひとつの起源
新しい認識と表現を開く/自然を写し取る/アメリカの自然保護と写真/日本における自然の描写/自然美とナショナリズム/科学写真の発展/視覚化された「宇宙船地球号」/日本人による自然表現の変遷/ネイチャー・フォトの多様化/文化人類学的視点から/写真と動画の融合時代
第15章 建築写真と都市化の景観
建築にとって写真とは/近代的都市の刺激/史料としての建築写真/視覚と建築の近代的展開/建築写真の自立/人の手が加えられた景観/未来は廃墟を内包する/都市と自然の再考
第16章 東アジア それぞれの写真史① 近代の葛藤とともに
一九八〇年代以降の発展/台湾 日治期のモダニズム写真/中国的なる写真芸術/写真と政治的葛藤
第17章 東アジア それぞれの写真史② 第二次世界大戦後の展開
アイデンティティの再構築を求めた台湾/体制に翻弄された中国の写真表現/国際化を求めた韓国の写真シーン
おわりに 文化的資源としての写真史
(以上で、目次終わり)
次の展覧会が開催予定です。
東京都写真美術館
TOPコレクション 前衛写真(仮称)
開催期間:2022年5月20日(金)~8月21日(日)
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4280.html
まだ、具体的に誰のどの作品が対象かわかりませんが、「日本」「1930年後半から1940年代まで」ということのようですので、極めて強く期待できます。
さらに、非常に短い紹介文しかまだ掲載されていませんが、
・その活動は長らく検証がなされていませんでしたが、近年各地の美術館により研究が進められてきました→具体的にどこのどの美術館なのか? 従来のほとんど四大都市圏に限られていた範囲を超えられるか?
・同時代に流行した前衛絵画との関係性を含め→はじめて「前衛写真協会」がメインで正面から取り上げられるのか???!!!
・戦後の主観主義やシュルレアリスム運動とどのように関わっていったのか→日本の写真が1945年で切断されるという従来の歴史観が大きく変更されるということか?
と、これだけでも、もういちいち気になって仕方がありません。
あえて、追加すれば、新興写真との関係、新興写真との境界やなぜ新興写真から生まれたにもかかわらずその主流となっていかなかったのかなどについても、確実に触れていただきたいところです。
詳細がわかりましたら、その際にまたご紹介します。
次の本が刊行されています
美術出版ライブラリー歴史編 西洋美術史
秋山聰・田中正之・監修
美術出版社
2021年
3800円+税
B5サイズ・432ページ
似たような本が多いなという気はしますが、個人的には、いろいろな本があって、様々な点から比較できればいいと思いますし、新しい本がどんどん出て、「改訂」の代わりになればその点もいいと、肯定的にとらえています。特にこの本は、見開き2ページで1つのテーマ、コラム1ページごとと、まとまりが明確なのが特徴の1つで、カラー図版も多く見ているだけでも楽しい本です。A5版の『カラー版西洋美術史』(美術出版社)よりも「内容量」が多いのもありがたい。
さて、この本では、432ページのうち、「資料編」(キリスト教用語解説、建築図解、関連地図、図版リスト、人名索引、事項・作品名索引)を除くと、本文は371ページになります。
そして、371ページのうち、20世紀は、次の2章で約70ページとなっています(36+30)。
第10章 20世紀前半 モダニズムをめぐる葛藤(文:天野知香)
(概説、テーマ10件、コラム9件、図版70点)
第11章 20世紀後半以降 多様性と越境性(文:田中正之・井口壽乃)
(概説、テーマ8件、コラム7件、図版52点)
全体のバランスを考えると、やむを得ない量ではないかと思う一方、ぱっと見で、デ・キリコ、ルネ・マグリット、タンギーの図版すらない、ということで、この量で20世紀を見渡すことには無理があるなと思うところです。(20世紀以外も無理なのではないかと思いますが、その点については触れません)
ぜひ、続篇として、同じ規模感で、20世紀だけ(無理だとは思いますが、できれば、より対象を限定して20世紀前半だけ)を対象とした本を刊行していただきたいところです。
よろしくお願いします。
実質的な中身にはなかな立ち入れないのですが、1点だけ。「20世紀前半」の最後のコラム(コラム9)は「複製芸術時代の到来:写真と映像」となっており、いかにもヴァルター・ベンヤミン(このコラムの中には名前は挙がっていませんが、p303には記載されています)の影響下にあることをうかがわせます。ベンヤミンは当時としてはやむを得ないのですが、どうしてもヨーロッパ偏重のきらいがあり、それを紹介する文脈ではアメリカの写真は登場してきません。「近代写真の父」と呼ばれることもあるスティーグリッツはp360に、一応「写真家」と付されてはいますが、画廊「291」を開いたという紹介にとどまっており、大変残念です。
ちなみに、タイトルに「歴史編」が付いているということは、他にも何か「○○編」が今後ありうるということなのでしょうか?
野村直太郎という写真家が撮影したとみられる戦時中のアンコールワットの写真151点が発見された、という新聞記事がありました。
https://www.asahi.com/articles/ASQ155JMLPDNPTFC00K.html
野村直太郎とは、どういう経歴の写真家なのでしょうか?
今後の調査、そして、写真作品と調査結果の公表(公刊)が待たれるところです。
とりあえず、次のページもご参照ください。
https://jyunku.hatenablog.com/entry/2021/12/12/084240