前回書きました金子隆一さんの著書が、比較的最近刊行されていました。
日本は写真集の国である
金子隆一・著、築地仁・監修
梓出版社
2021/5/26
¥2,530
『出版ニュース』(出版ニュース社)に、2014年6月から2019年3月まで連載されていたものだそうです。
戦前についての項目は少ないのですが、いろいろな分野に触れておられて、面白いです。正直なところ、もっともっと書いていただきたかったな、と思います。
目次は、以下のとおり。
目次
1 日本は写真集の国である
2 「もの」としての写真集
3 岡村昭彦の「写真」を再考する
4 可能性としての「ネガ」
5 「ベス単派」写真家と震災復興、地域再生
6 ヴァナキュラー写真のような渡辺眸『1968年 新宿』
7 ローカリズムによって切り開かれるデジタル時代の映像作品
8 日本写真の中の自主ギャラリー運動
9 ウィリアム・クラインと日本の写真風土のありか
10 21世紀のフォトモンタージュ考 西野壮平、進藤環
11 海外の研究者が問いかける日本写真の新たな問題提起
12 法隆寺金堂壁画ガラス原板にみる可能性としての銀塩写真
13 クラウドソーシング 写真を共有することの175年
14 深瀬昌久の評価にみる日本写真と西洋写真のパラレルな関係
15 受け継がれてきた「原爆写真」
16 カメラのアクチュアリティ
17 豊里友行『辺野古』からの風
18 蔡國強の壁撞き
19 福島菊次郎が突き付けた遺言
20 新井卓『MONUMENT』 人類の記憶のモニュメント
21 『白陽』にみるコロタイプ・プリントの歴史の厚み
22 森山大道が集積させる写真行為
23 写真史観を問い直す ピクトリアリズムをめぐって
24 集団撮影行動という写真運動
25 ジャック=アンリ・ラルティーグ 人間を虜にする「写真」という魔性
26 清川あさみ『人魚姫』にみる鈴木理策の写真的行為
27 近代写真の対極に位置するサイ・トゥオンブリーの不鮮明な写真
28 ジュリア・マーガレット・キャメロン 不鮮明であることこそ、正統な美意識
29 杉本博司 ロスト・ヒューマン展 人類と文明の黙示的イメージ
30 塩谷定好と雑巾がけ
31 「パリ・フォト」所感
32 オリジナル・プリント中心主義に対峙する写真集のポテンシャル
33 現代的な眼によるフォトモンタージュの発見
34 日本にはLIFEがなかったゆえに
35 山崎博 太陽が描く画
36 「コンポラ写真」をめぐって
37 先駆者ソール・ライターの写真の「色」
38 バルセロナで写真集展
39 芳賀日出男が指し示す写真民俗学という宇宙
40 拡張映画 エクスパンデッド・シネマ
41 70周年を迎えた「マグナム」
42 写真の見せ方にみる写真家の表現意識の変化
43 アノニマスな個人が生起させる「表現」
44 石内都 粒子は写真の本質
45 現実的な心情を表現した「ベス単派」
46 再評価される幻のコラージュ作家
47 作品を経済化するアートフェアの力学
48 ニューヨークという写真の「場」が持つアカデミックかつ保守的な側面
49 先鋭な画像だけで世界を認識するカメラとハイブリット化した人間
50 スペインという「場」の中の東松照明
51 デジタル写真の時代に変容するアマチュア性
52 エドワード・スタイケンと日本写真
53 印画紙を凌駕すると言いたくなるグラビア印刷の黒の深さ
54 デジタル映像時代におけるエンコースティックの物質性
55 写真都市パリでみた写真集フェアのエネルギー
56 プロヴォークという評価軸
57 物質性が際立つ築地仁のポラロイド写真
58 雑誌の表紙は写真家にとってどのような表現の場か
あ と が き(築地仁)
少し前の話になりますが、写真史家の金子隆一さんがお亡くなりになりました。
金子さんがおられなかったら、日本写真史の研究や紹介は、現在の地点までまだまだ達していなかったでしょう。日本写真史研究の巨人と呼んでも大げさではありません。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
金子 隆一(かねこ りゅういち、1948年5月18日- 2021年6月30日)
ところで、お亡くなりになって間もないのに大変不謹慎な話で申し訳ありませんが、金子さんがお持ちだった大量の写真集や写真関係資料は、東京都への寄託にでもなるのでしょうか?
またもやすごい本が刊行されています
ベトナム近代美術史:フランス支配下の半世紀
二村 淳子
原書房
2021/6/30
税込5500円
対象は、1887年から1945年まで。500ページもある本だそうです。
早く実物を見て見たいものです。
なお、著者の二村淳子(にむら じゅんこ)さんは、白百合女子大学文学部准教授で、フランスの文化、芸術、言語など幅広く研究をなさっているようです。
(つづき)
目次は以上です。目次は130項目(1900-1909:7、1910-1919:12、1920-1929:17、1930-1939:12、1940-1944:5、1945-1949:6、1950-1959:13、1960-1969:20、1970-1979:12、1980-1989:7、1990-1999:8、2000-2015:11)、コラムは41項目です。
その他のクレジットを、以下記します。
ハル・フォスター:Hal Foster
ロザリンド・E・クラウス:Rosalind E. Krauss
イヴ・アラン・ボア:Yve-Alain Bois
ベンジャミン・H・D・ブークロー:Benjamin H. D. Buchloh
甲斐義明 筧菜奈子 金井直 新藤淳 平芳幸弘 福元崇志 本田晃子
デイヴィッド・ジョーズリット:David Joselit
編集委員 尾﨑信一郎 金井直 小西信之 近藤学
翻訳者 天内大樹 荒木晋也 石崎尚 磯谷有亮 井上康彦 尾﨑信一郎 甲斐義明 筧菜奈子 金井直 小西信之 近藤学 新藤淳 筒井宏樹 野田吉郎 林卓行 平芳幸浩 福元崇志 藤原貞朗 本田晃子 山本さつき 吉田侑李
協力委員 平芳幸浩
協力 江崎聡子 新津厚子
デザイン・組版 金子裕(東京書籍AD) 川端俊弘(WOOD HOUSE DESIGN)
編集協力 今野綾花 小池彩恵子 柴原瑛美
翻訳体制について
編集委員と担当領域(各原著者執筆部分に対応)/領域の翻訳者は以下のとおり(五十音順)。各項目の翻訳者は項目本文末に、原著者イニシャルに続けて表示した。
尾﨑信一郎(ハル・フォスター:HF)/
天内大樹 荒木晋也 石崎尚 磯谷有亮 尾﨑信一郎 甲斐義明 近藤学 野田吉郎 藤原貞朗 吉田侑李
小西信之(ロザリンド・E・クラウス:RK)/
井上康彦 甲斐義明 小西信之 近藤学 筒井宏樹 林卓行 山本さつき
近藤学(イヴ・アラン・ボア:YAB)/
尾﨑信一郎 近藤学
金井直 平芳幸浩[協力委員](ベンジャミン・H・D・ブークロー:BB)/
甲斐義明 筧菜奈子 金井直 新藤淳 平芳幸弘 福元崇志 本田晃子
近藤学(デイヴィッド・ジョーズリット:DJ)/近藤学
※AD名義の項目は近藤学が担当した。協力:江崎聡子
コラム、座談会、用語集は近藤学が担当した。
以上です。
もちろん目次だけではたいした価値はないとは思いますが、先へ進むための手掛かりにはなりますので、この程度の情報はネット上ですぐに入手でき、さらにテキストのコピーが簡単にできる状態にしていただきたいところです。そのような対応をすべきなのは出版社なのか版元なのかネット書店系なのか、はたまた図書館系なのか。正直、ネット上の情報の少なさ、またアクセスの悪さに呆れます。
(つづき)
1980-1989
1980 メトロ・ピクチャーズがニューヨークでオープンする。一群の新しいギャラリーが登場し、写真イメージや、ニュース、広告、ファッションでの写真の使用法を問うことに関わる若いアーティストたちを展示する。688
コラム:ジャン・ボードリヤール
1984a ヴィクター・バーギンが「現前性の不在――コンセプチュアリズムとポストモダニズム」と題した講演を行う。この講演の他、アラン・セクーラとマーサ・ロスラーの論考の出版が、英米フォトコンセプチュアリズムの遺産や。写真史と写真理論を書くことに対する、新たなアプローチを告知する。692
1984b フレドリック・ジェイムスンが「ポストモダニズムあるいは後期資本主義の文化的ロジック」を出版する。これと並行してポストモダニズムをめぐる論争がアートと建築を越えて文化政治へと延長され、ふたつ相反する立場に分かれる。698
コラム:カルチュラル・スタディーズ
1986 「終盤戦――近年の絵画と彫刻における参照とシミュレーション」がボストンで開かれる。一部のアーティストたちは商品と彫刻との境界が消失した事態と戯れ、他のアーティストたちはデザインとディスプレイの新たな台頭を強調する。702
1987 〈ACT-UP〉の最初のアクションが仕掛けられる。アートにおけるアクティヴィズムがエイズ危機によって再燃し、コラボレーション的グループが結成され、政治への介入が前面に出て、新たな種類のクイア美学が開発される。707
コラム:米アート戦争
1988 ゲアハルト・リヒターが『1977年10月18日』を描く。ドイツのアーティストたちは歴史画を更新する可能性について熟慮する。714
コラム:ユルゲン・ハーバーマス
1989 複数の大陸からアートを選抜した「大地の魔術師」展がパリで開催される。ポストコロニアル言説と多文化主義論争が現代アートの制作と提示の両方に影響を及ぼす。719
コラム:アボリジニ・アート
1990-1999
1992 フレッド・ウィルソンがボルティモアで『ミュージアムを採掘する』を呈示する。制度批判はミュージアムの枠を超え、幅広いアーティストたちが、フィールドワークに基づく人類学的なプロジェクトというモデルを適用する。726
コラム:領域横断性
1993a マーティン・ジェイが『うつむく眼』を出版、現代哲学における視覚の権威剝奪を概観した。このような視覚の批判は、多数のアーティストによって探求されている。732
1993b ロンドン東部のテラスハウスを型取りしたレイチェル・ホワイトリードの『家』が撤去され、創発的な女性アーティストの一集団が英国で台頭する。737
1993c アフリカ系アメリカ人アーティストたちによる新形式の政治化したアートが浮上する中で、ニューヨークではホイットニー・ビエンナーレがアイデンティティに焦点を合わせた作品を前景化させる。741
1994a マイク・ケリーにミッドキャリア点が、退行とアブジェクションという状態への関心の広がりを浮き上がらせる一方で、ロバート・ゴーバーやキキ・スミスらは壊れた身体という形象を用いてセクシュアリティと死の問題に取り組む。
1994b ウィリアム・ケントリッジが『流浪のフィリックス』を完成させ、レイモンド・ペティボーンらと並んで、ドローイングがふたたび重要性を獲得したことを例証する。752
1997 サントゥ・モフォケンが『ザ・ブラック・フォト・アルバム/ルック・アット・ミー 1890-1950』を第2階ヨハネスブルフ・ビエンナーレで展示する。756
1998 ビル・ヴィオラによる大規模ヴィデオ・プロジェクションの展覧会が複数の美術館を巡回。プロジェクターでイメージを投影することが現代アートの一形式として普及する。764
コラム:アートのスペクタクル化
コラム:マクルーハン、キットラー、ニューメディア
2000-2015
2001 ニューヨーク近代美術館で開かれたアンドレ―アス・グルスキーのキャリア半ばの展覧会が、絵画的写真――しばしばデジタル的手段で成し遂げられる――の新たな支配を合図する。773
2003 ヴェネツィア・ビエンナーレが「ユートピア・ステーション」、「緊急性のゾーン」といった展示を行い、近年のアート政策やキュレーション行為の大部分が情報的・言説的な本性を持つようになっていることを例示する。778
2007a シテ・ド・ラ・ミュージックの大回顧展によって、パリはアメリカ人アーティスト、クリスチャン・マークレイがアヴァンギャルド芸術の未来にとって重要であることを確認する。フランス外務省はソフィ・カルをヴェネツィア・ビエンナーレの自国代表に選出することで、同じ未来に対してフランスが独自に信頼を置いていることを明らかにする。他方ブルックリン音楽アカデミーが南アフリカ人ウィリアム・ケントリッジにオペラ『魔笛』の舞台装置のデザインを委嘱する。784
コラム:ブライアン・オドーハティと「ホワイトキューブ」
2007b 「アンモニュメンタル――21世紀のオブジェクト」展がニューヨークのニュー・ミュージアムで開催される。この展覧会は若い世代の彫刻家のうちに新たに芽生えたアッサンブラージュや集積への注目をしるしづける。790
2007c デイミアン・ハーストが、頭蓋骨のプラチナ型取りに1400万ポンドをかけてダイヤモンドをちりばめた『神の愛のために』を展示し、5000万ポンドで売却するといったように、あからさまにメディアのお祭り騒ぎや市場投資という構えを取ったアートも存在する。798
2009a タニヤ・ブルグエラがマルチメディア会議「私たちのリテラルな速度」で『包括的資本主義』を呈示する。この作品のオーディエンスであるアートワールドが、共通の信頼や思想に基づく絆、ネットワークを介して結びついていると想定されていることを、まさしくそうした絆を侵犯しつつ視覚的に示してみせるパフォーマンスである。804
2009b ユータ・クターがニューヨークのリーナ・スポーリングス・ギャラリーで「ラックス・インテリア」展を開催。ペインティングが持つ意味の中核に、パフォーマンスとインスタレーションを導入する。ネットワークはこの上なく伝統的な美的媒体――ペインティング――にさえインパクトを及ぼし、欧米のアーティストたちのあいだに広く普及している。810
2009c ハルーン・ファロッキがケルンのルートヴィヒ・ミュージアムとロンドンのレイヴン・ロウで戦争やヴィジョンをめぐる一連の作品を展示し、ヴィデオ・ゲームなどニューメディア・エンターテインメントの大衆的な諸形式と近代戦争の挙動との間に関連性があることを例証する。818
2010a アイ・ウェイウェイの大型インスタレーション『ヒマワリの種』がロンドン、テイト・モダンのタービン・ホールでオープンする。中国人アーティストたちが中国の急速な近代化と経済発展に応答して行う仕事は、同国の豊富な労働市場を主題として取り上げるとともに、それ自体が大量の雇用を発生させる一個のプロジェクトへと姿を変えていく。824
2010b フロリダ州ノース・マイアミ現代美術館で行われた大規模な回顧展に際し、フランスのアーティスト、クレール・フォンテーヌが「操業」を行う。生身のアシスタント2名を用いているので、この操業はそれ自体が明示的に分業となっており、同展はアートにおける主体性の新たなかたちとして、アヴァターが浮上してきたことをしるしづける。830
2015 テイト・モダン、ニューヨーク近代美術館、メトロポリタン美術館がさらなる拡張を計画するとともに、ホイットニー美術館が新しい建物でオープンし、パフォーマンスとダンスを含む金現代アートの展示空間が国際的に拡大した時代を締めくくる。836
座談会2 コンテンポラリーアートの窮状 842
用語集 857
参考文献 866
図版クレジット 874
索引 881