最近しばしば耳にするようになった言葉「メタバース」。「メタ」と宇宙を意味する「ユニバース」を合成した新語だということで、インターネット上の仮想空間のことです。ここでの「メタ」は、「メタ小説」(小説の中に書かれている小説)のような「宇宙の中の別宇宙(別空間)」といった意味で使われているのではないかと思います。
何か面白そうで、役に立ちそうですが、イメージがつかめず、まだまだよくわかりません。
現時点でわかる範囲で、「メタバース」を使って美術の分野で何ができるかを考えてみました。
まず、
・バーチャル美術館・美術展の進化形
が可能だと思います。今まで何回か書いてきましたように、メタバースがなくても、バーチャル美術館・美術展は可能ですが、メタバースを用いれば、複数の人間が同時に1つの美術館や美術展に行くということが可能になると思います。友人や家族と一緒に美術館に行く、さらには、学校のクラス(校外学習)や大学のサークルで美術館に行く、そういうことがメタバースならば可能になると思います。そして、これは、世界のどこへでも行くことができるということになります。「これから、みんなでテイト・モダンに行ってみよう」などという、正に夢のような体験です。
次に、「双方向性」ということから、
・講演会・レクチャー・セミナーなどへの参加
が可能になるでしょう。今までも、チームス(teams)とかズーム(zoom)といったアプリで可能だったわけですが、「メタバース」によってこの部分がどれくらい進化するのかというのは、今は具体的にイメージできません。
とりあえず、本日は以上までです。
ただ、以上については、単純に当方がメタバース(の空間)に入れば可能になるというわけではなく、訪問する先、参加する先(美術館等)での、訪問・参加可能な空間・場面の設定・設置が不可欠になります。
その意味では、それぞれの美術専門機関での動きや専門家による企画が必須であり、その部分が迅速に進むことが期待されます。
もちろん、受け身でただ待っているしかない、ということではなく、自分から動き出せばいい(企画を作ればいい)ということはあります。例えば、素人であっても「これこれの美術作品に関するセミナーを実施します」と告知をして、関心がある人に集まってもらうようにすれば、そこに場面が設定できた、ということになります。ただし、情報発信の方法にはかなり工夫をしないと、伝達や集客はあまり見込まれないでしょう。例えば、このブログがほとんど読まれていないであろう、ということと同様に。とともに、そもそも、個人が簡単に「メタバース」の「場」の設定が可能なのでか、という(技術的な)点が現時点ではよくわかりません。
しかし、現状では、情報ソースが限られるという問題が依然としてあります。以前にも似たようなことを書きましたが、世界中の情報(書籍。美術作品等の資料・図版)が自由に使えるようになっていかないと、メタバースを使ったとしてもできることがかなり限定されるのではないかと思います。
例えば、古賀春江くらい有名な画家であれば、ネット上でいくらでも図版は見つかるでしょうし、関連書籍も近くの公立図書館で借りられるかもしれません。しかし、永田一脩くらいになるとどうでしょうか? ネット上で発見できる図版は激減し、資料も容易には手に入らないこととなって、情報を発信しようにも、前に進めなくなってしまうと思います。
そういう意味でも、格段の情報提供の拡大、情報使用の自由化に期待したいと思います。
結局ここに戻ってきてしまいましたが、どうぞよろしくお願いいたします。
次の本が刊行されています。
ミュージアムグッズのチカラ
大澤 夏美∥著
国書刊行会
2021.7
近年ミュージアムグッズはかなり注目されており、従来からミュージアムグッズに関する本は刊行されていましたが、それらは、本当に、おみやげとしてのミュージアムグッズを紹介するという感じの本ばかりでした。
今回のこの本は、より思想的な部分にも踏み入っており、単なる「グッズの紹介本」ではなく、開発の部分の紹介であったり、ミュージアムショップやミュージアムグッズが「おまけ」のようなものではなく、博物館・美術館の重要な一部であるという立場からの紹介に重点が置かれています。愛好家であるとともに研究者でもある、この著者ならではの本と言えるでしょう。
そのような方向は、もろ手を挙げて賛成いたします。個人的にも、ミュージアムショップやミュージアムグッズは必須のものであると確信しております。
(個人的には、もっと広げて、すでに多く存在するスポーツのチームグッズに加え、大学グッズ、企業グッズも必須なのではないかと思いますが、ここではこれ以上この点については立ち入りません。)
ただ、本としては、割とページも少なく、その結果紹介されているミュージアムグッズも限られていますので、ぜひとも、続篇の刊行を期待したいと思います。とともに、ミュージアムショップやミュージアムグッズはどうあるべきか、また、まだオリジナルグッズの制作に踏み出せないでいる多くの博物館や美術館のために、どういう開発の可能性があるのかのヒントなど、より突っ込んだ内容また専門家向けの実用的な内容の書籍の刊行も期待したいところです。
ただ、当方が、この著者と少し立場が違うとしたら、ボールペンでしょうか?
と書いても、何のことかさっぱりお分かりにならないと思いますので、お分かりいただけるように書きますと、ミュージアムグッズとしての「オリジナル・ボールペン」ですが、これほどありふれて、どの博物館・美術館でも制作でき、じっさいにどこにでもあるものもないのではないでしょうか? それでは、このようなボールペンは、くだらない不要な物でしょうか? この著者はそんな言葉はお使いにならないでしょうから、もう少しやわらげて書きますと、博物館・美術館の個性と結びつきにくく、工夫と智慧、さらに書けば独創性(オリジナリティ)が必要とされるミュージアムグッズとしては望ましくない物でしょうか?
個人的には、実は、ボールペンであっても、十分に個性が出せると思っています。個性とはいっても、書きにくくなるくらい極めて奇妙な形のボールペンであったり、工芸的・細工的に高度なボールペンであったり(特別な素材を用いたり、一部が液体の中で動くようなおもちゃのような物であったり)する必要は必ずしもありません。もちろん、そうであってもいいのですが、その特別な点(個性)が、その博物館・美術館と結びつかなければ、意味はないでしょう。
当方のイメージは極めて簡単で、手抜きとすらいえるでしょう。例えば、その美術館に古賀春江の「海」が所蔵されているのであれば、その一部をボールペンの軸にプリントすれば、いいのです。実際そのようなボールペンが、東京国立近代美術館では販売されています。
そんな安易な、とお思いになる方も多いのではないかと思いますが、しかし、実際、そのようなボールペンはその博物館・美術館でないと制作されないはずですので、オリジナリティという意味では極めて決定的だと考えます。そして、そういうものが安価でもあるので(ボールペンとしてはそんなに安価でもないかもしれませんが、美術・工芸的なミュージアムグッズに比べれば、間違いなく安価です)、案外当方のように欲しい人間がいたりすると思います。もちろん、その博物館・美術館の名称やロゴさえ入っていれば、オリジナリティはあるということにはなってしまうのでしょうが、さすがにそれでは工夫が足りないと思います。せめて所蔵品(の一部)を含めていただきたいと思います。
ただ、一度制作してしまうと売らねばなりません。ボールペンというものの最小ロットが何本であるのかは知りませんが、仮に1000本製作してしまったら、いったい売り切れるまでに何年かかるのでしょうか? 同じお客さんが2本も3本も買ってくれるとも思えませんし、リピーターとして2回目以降に訪れたときには買ってもらえない可能性が高いでしょう。その意味では、別に制作会社の営業ではないのですが、多少割高になっても少なめに制作する、そして、できれば、毎年新しいものを制作する、というくらいが、面白く、またリピーター対策(?)にもなっていいのではないかと思っています。最近であれば、そういうオリジナルグッズ制作の需要も増えていると思いますので、少数のものを、ひどく高額な費用ではなく、しかも出来上がりは安物のようにはならないという、わがままな希望も、あながち不可能ではないのではないか、と楽観的に思っています。
以上は、ボールペンに限られた話ではなく、シャープペンでも鉛筆でもキーホルダー(キーチェイン)でもピンバッジでもメモ帳でもノートでもその他これらに類するものでも同じことがいえると思います。
ポイントは、簡単にどの美術館・博物館でも制作でき、比較的安価で販売できるけれども、所蔵品を活用することで最低限のオリジナリティがある、という点です。
なお、ここで申し上げたいのは、こういうありふれたものさえあればいいんだということではなく(しかも、ありふれたものばかりたくさんの種類を取りそろえるべきだとか、取り揃えればそれですむのだということではなく)、より一層工夫されたミュージアムグッズは日々案出していただきたいと思う一方で、そういうものは高価になりがちで、かつ好みも分れるでしょうから、安価で入手しやすい、こういうありふれたものも同時にあってほしいという、きわめて個人的な私の願いです。
「あの美術館でボールペンでも販売していたら購入したのに」と何度残念に思ったことでしょうか。このような小さな意見が美術館や博物館のかたにもご参考になれば幸いです。
なお、当方が制作側であれば、例えボールペンでも、そのままでは満足せず、絶対「ひと工夫」したいと思いますけれどね。
最後に、ミュージアムグッズでも、オリジナルボールペンなど「ありふれた」ものばかりを集めた紹介本、実はほしかったりするのですが、どなたかおつくりになりませんか?
そういう本をもしも見ることができれば、「ありふれた」と思われがちなものたちが、本当は「ありふれていない」と気づくことができるかもしれません。
13 ジョアン・ミロ 現代美術の巨匠 (図書)
美術出版社 1988.12
ロサ・マリア・アレ‖著 佐和 瑛子‖訳
14 ワッシリー・カンディンスキー 現代美術の巨匠 (図書)
美術出版社 1988.12
フランソワ・ル・タルガ‖著 佐和 瑛子‖訳
15 アントニオ・ガウディ 現代美術の巨匠 (図書)
美術出版社 1988.5
イグナシ・デ・ソラ‐モラレス‖著 高橋 武智‖訳
16 サルヴァドール・ダリ 現代美術の巨匠 (図書)
美術出版社 1988.5
イグナシオ・ゴメス・デ・ディアーニョ‖著 佐和 瑛子‖訳
17 マルク・シャガール 現代美術の巨匠 (図書)
美術出版社 1987.10
マルク・シャガール‖画 フランソワ・ル・タルガ‖著 佐和 瑛子‖訳
18 マグリット 現代美術の巨匠 (図書)
美術出版社 1987.10
マグリット‖画 ペル・ジムフェレール‖著 横倉 れい‖訳
なお、このシリーズと似たシリーズに「モダン・マスターズ・シリーズ」というものがあります。むしろ、20世紀後半が主のような気がしますが、念のため、わかる範囲で、以下に挙げます。(順不同)
1 コンスタンチン・ブランクーシ モダン・マスターズ・シリーズ (図書)
美術出版社 1991.2
エリック・シェインズ‖著 中原 佑介‖訳 水沢 勉‖訳
2 マルク・シャガール モダン・マスターズ・シリーズ (図書)
美術出版社 1990.8
アンドリュー・ケーガン‖著 大島 清次‖訳 川口 幸也‖訳
3 ジャスパー・ジョーンズ モダン・マスターズ・シリーズ (図書)
美術出版社 1990.4
リチャード・フランシス‖著 東野 芳明‖訳 岩佐 鉄男‖訳
4 ジョージ・シーガル モダン・マスターズ・シリーズ (図書)
美術出版社 1990.2
フィリス・タックマン‖著 酒井 忠康‖訳 水沢 勉‖訳
5 アーシル・ゴーキー モダン・マスターズ・シリーズ (図書)
美術出版社 1989.12
メルヴィン・P・レーダー‖著 岡田 隆彦‖訳 篠田 達美‖訳
6 ウィレム・デ・クーニング モダン・マスターズ・シリーズ (図書)
美術出版社 1989.10
ハリー・F・ゴーグ‖著 桑原 住雄‖訳 斉藤 泰嘉‖訳
7 ジャクスン・ポロック モダン・マスターズ・シリーズ (図書)
美術出版社 1989.8
エリザベス・フランク‖著 石崎 浩一郎‖訳 谷川 薫‖訳
8 アンディ・ウォーホル モダン・マスターズ・シリーズ (図書)
美術出版社 1989.5
カーター・ラトクリフ‖著 日向 あき子‖訳 古賀林 幸‖訳
以前、美術出版社から、『現代美術の巨匠』というシリーズが刊行されていました。次の本は、そのうちの1冊です。
ワッシリー・カンディンスキー 現代美術の巨匠
フランソワ・ル・タルガ∥著 佐和 瑛子∥訳
美術出版社
1988.12
大きさ:31cm
ページ数:128p
図版数:125点
ほぼA4サイズのハードカバーで、正確な点数は覚えていませんが、全部で20点弱は刊行されたのではないかと思います。見つかったものを末尾に記載しておきます。
オリジナルは、扉裏の著作権の表示を見ると、スペイン・バルセロナのPoligrafa社(ポリグラファ)のようで(すなわちオリジナルはスペイン語か?)、アメリカのRizzoli社(リゾーリ)からも英語版が刊行されていました。スペイン語版と英語版が同じ点数かどうかは定かではありませんが、少なくとも日本語には全点が翻訳されているわけではありません。
で、申し上げたかったのは、当方にとって、理想的な美術書・理想的な画集とは何なのかを考えることがあって、それが、どういう美術手や画集を今後刊行していただきたいかということとと重なってきます。そして、実は、非常にオーソドックスながら、このシリーズが、理想的な美術書・画集に近いのではないかと思い始めています。このシリーズの他の巻も含めて、掲載作品点数もだいたい120点と多く、作家の活動の全体をカバーしており、しかも、ほぼすべてがカラー図版です。残念なのは、さすがに、対象となる美術家が限られるということです。例えば20世紀前半だけで100人となると、さすがに無理ですね。それをある程度補うことができるのが、ネットの世界なのかもしれません。しかし、ネットでも、20世紀前半100人は困難なように思います。
この点については、引き続き考えてみたいと思います。
(以下順不同)
1 マレーヴィチ 現代美術の巨匠 (図書)
美術出版社 1995.1
セルジュ・フォーシュロー‖著 佐和 瑛子‖訳
2 デ・キリコ 現代美術の巨匠 (図書)
美術出版社 1994.2
ペル・ジムフェレール‖著 佐和 瑛子‖訳
3 ルオー 現代美術の巨匠 (図書)
美術出版社 1993.8
ファブリース・エルゴ‖著 佐和 瑛子‖訳
4 アンリ・マティス 現代美術の巨匠 (図書)
美術出版社 1993.6
サラ・ウィルソン‖著 佐和 瑛子‖訳
5 クリスト 現代美術の巨匠 (図書)
美術出版社 1991.11
マリーナ・ヴェゼイ‖著 三宅 真理‖訳
6 エドヴァルト・ムンク 現代美術の巨匠 (図書)
美術出版社 1991.8
アルフ・ビョー‖著 吉岡 晶子‖訳
7 ポール・デルヴォー 現代美術の巨匠 (図書)
美術出版社 1991.1
マルク・ロンボー‖著 高橋 啓‖訳
8 アントニ・タピエス 現代美術の巨匠 (図書)
美術出版社 1991.1
ヴィクトリア・コンバリア・デグセウス‖著 伊藤 洋子‖訳
9 マックス・エルンスト 現代美術の巨匠 (図書)
美術出版社 1990.5
ペル・ジムフェレール‖著 椋田 直子‖訳
10 マルセル・デュシャン 現代美術の巨匠 (図書)
美術出版社 1990.5
グロリア・モウレ‖著 野中 邦子‖訳
11 フランシス・ベーコン 現代美術の巨匠 (図書)
美術出版社 1990.1
ミッシェル・ライリー‖著 佐和 瑛子‖訳
12 ジョルジュ・ブラック 現代美術の巨匠 (図書)
美術出版社 1990.1
セルジュ・フォーシュロー‖著 佐和 瑛子‖訳
以前No.1962で、美術書は、図版と文章の両方が掲載されているので、ページをそのまま電子化することも多いのではないか、そうするとコンピュータの画面上では文字が小さくて読みにくいので、いちいち文字を拡大して読むことになり、手間もかかり、美術書は電子化(電子版)に向かないのではないか、ということを書きました。
ここで、もう1点、美術書が電子化(電子版)に向かないのではないかという点に思い至りました。
美術書の大きなポイントの1つは、申し上げるまでもなく「図版」です。最大のポイントといってもいいかもしれません。そして、図版が良質であることを「売り」にしている美術書も多いと思います。特に美術全集といったものは、最近はそもそも刊行されませんが、図版の質を重視し、印刷映えのする用紙を用いて、大きなサイズの図版を多く掲載していたりします。だからこそ、美術全集の本などは大きく重くて持ち運びが大変となり、電子化することで図書館で借りる時の大変さを解消できるのではないか、などと書いたこともありました。(No.1958。なお、入手しやすくなるという可能性についてNo.1941もご参照ください)
しかし、大きな図版、たとえばA4縦サイズでもかなり迫力がありますが、これをコンピュータの画面で表示したらどうなるでしょうか? 特殊なサイズのモニターをお使いの方であれば別でしょうが、通常のパソコンの画面であれば、A4縦のサイズなど表示できません。全体を見るためには縮小するしかありません。逆に元のサイズを維持しようとすると、今度は全体が画面に表示されません。
この点は極めて致命的であるように思います。
なお、電子版であれば、もともとのサイズよりも拡大することができ、そのことで細部は見やすくなるのかと思いますが、それとこれとは別の話です。
「図版」という特別な事情により、やはり美術書は電子化に向かないのではないか、なかなか電子版は普及しないのではないか、という懸念が生じてきます。
この点については、今後もさらに考えてみたいと思います。