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開催してほしい展覧会(20世紀前半篇)

日本における未来派・ダダ・構成主義の区分(1902)

日本の未来派・ダダ展(1898において話題に挙げた日本における未来派・ダダ・構成主義の区分について、『大正期振興美術運動の研究』(五十殿利治・スカイドア・1995年)を読んでみました。

 

取り急ぎ、序論だけですが、そこでは、日本の大正期の新興美術運動に対して、「前衛」という言葉を使うことに否定的でした。そもそも「前衛」の厳密な解釈・検討が必要、しかも、この大正期の運動の中には、必ずしも「前衛」とは呼べないものも含まれている(例えば「アクション」)、この運動を一体のものとしてとらえるためには、「前衛」と呼ぶかどうかにこだわることなく、「大正期振興美術運動」と呼ぶことが望ましい、としています。

 

この本では、日本における未来派・ダダ・構成主義の区分についてふれてはいないようですが、この「前衛」に関する議論を読むと、「未来派」「ダダ」「構成主義」という区分を、一般論として、日本の美術にわざわざ当て嵌める必要はない、という結論であろう、と推測されます。例えば、「大正期新興美術運動」のままでよく、その中で、イズムごとに分ける必要はない、と

例えば、ヨーロッパの考え方を無理やり日本に適用しようとすると、「未来派美術協会」の中でもAさんのこの作品は未来派ではない、などという、無意味な区別をしなくてはならなくなるおそれがあります。それでは、日本の大正期の美術運動を一体的にとらえられなく恐れがあります。

 

ただ、きちんと理解しておかねばならないのは、日本は、その移入時期のの重なりもあり、様々なイズムがいろいろと混交しているということです。そして、場合によっては、個別の作品について、外観だけではなく、その思想的な背景を含めて、どのイズムに帰属させるべきかを検討する必要が今後出てくるかもしれません。

 

なお、念のため、2点注意点を。

まず、日本においてイズムが混ざってしまっているということは、思想的な脆弱性につながっている可能性があります。日本的な特質と言えます。外観に重点を置きすぎているのかもしれません。他方、その「脆弱性」は、西洋の観点から見たら、ということかもしれません。日本独自の思想が入っている可能性も高く、その点も忘れてはなりません。

次に、「前衛」(アバンギャルド、アヴァンギャルド)と作品や作家のことを呼ぶかどうかという問題とは別に、西洋美術の思想の理解を前提として、日本における前衛とは何か、どの範囲を「日本の前衛」と呼ぶことができるのか、について検討することが、引き続き必要であることは間違いありません。実際には非常に難しい問題ではありますが、その点は、別途検討したいと思います。

 

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