(つづき)
1980-1989
1980 メトロ・ピクチャーズがニューヨークでオープンする。一群の新しいギャラリーが登場し、写真イメージや、ニュース、広告、ファッションでの写真の使用法を問うことに関わる若いアーティストたちを展示する。688
コラム:ジャン・ボードリヤール
1984a ヴィクター・バーギンが「現前性の不在――コンセプチュアリズムとポストモダニズム」と題した講演を行う。この講演の他、アラン・セクーラとマーサ・ロスラーの論考の出版が、英米フォトコンセプチュアリズムの遺産や。写真史と写真理論を書くことに対する、新たなアプローチを告知する。692
1984b フレドリック・ジェイムスンが「ポストモダニズムあるいは後期資本主義の文化的ロジック」を出版する。これと並行してポストモダニズムをめぐる論争がアートと建築を越えて文化政治へと延長され、ふたつ相反する立場に分かれる。698
コラム:カルチュラル・スタディーズ
1986 「終盤戦――近年の絵画と彫刻における参照とシミュレーション」がボストンで開かれる。一部のアーティストたちは商品と彫刻との境界が消失した事態と戯れ、他のアーティストたちはデザインとディスプレイの新たな台頭を強調する。702
1987 〈ACT-UP〉の最初のアクションが仕掛けられる。アートにおけるアクティヴィズムがエイズ危機によって再燃し、コラボレーション的グループが結成され、政治への介入が前面に出て、新たな種類のクイア美学が開発される。707
コラム:米アート戦争
1988 ゲアハルト・リヒターが『1977年10月18日』を描く。ドイツのアーティストたちは歴史画を更新する可能性について熟慮する。714
コラム:ユルゲン・ハーバーマス
1989 複数の大陸からアートを選抜した「大地の魔術師」展がパリで開催される。ポストコロニアル言説と多文化主義論争が現代アートの制作と提示の両方に影響を及ぼす。719
コラム:アボリジニ・アート
1990-1999
1992 フレッド・ウィルソンがボルティモアで『ミュージアムを採掘する』を呈示する。制度批判はミュージアムの枠を超え、幅広いアーティストたちが、フィールドワークに基づく人類学的なプロジェクトというモデルを適用する。726
コラム:領域横断性
1993a マーティン・ジェイが『うつむく眼』を出版、現代哲学における視覚の権威剝奪を概観した。このような視覚の批判は、多数のアーティストによって探求されている。732
1993b ロンドン東部のテラスハウスを型取りしたレイチェル・ホワイトリードの『家』が撤去され、創発的な女性アーティストの一集団が英国で台頭する。737
1993c アフリカ系アメリカ人アーティストたちによる新形式の政治化したアートが浮上する中で、ニューヨークではホイットニー・ビエンナーレがアイデンティティに焦点を合わせた作品を前景化させる。741
1994a マイク・ケリーにミッドキャリア点が、退行とアブジェクションという状態への関心の広がりを浮き上がらせる一方で、ロバート・ゴーバーやキキ・スミスらは壊れた身体という形象を用いてセクシュアリティと死の問題に取り組む。
1994b ウィリアム・ケントリッジが『流浪のフィリックス』を完成させ、レイモンド・ペティボーンらと並んで、ドローイングがふたたび重要性を獲得したことを例証する。752
1997 サントゥ・モフォケンが『ザ・ブラック・フォト・アルバム/ルック・アット・ミー 1890-1950』を第2階ヨハネスブルフ・ビエンナーレで展示する。756
1998 ビル・ヴィオラによる大規模ヴィデオ・プロジェクションの展覧会が複数の美術館を巡回。プロジェクターでイメージを投影することが現代アートの一形式として普及する。764
コラム:アートのスペクタクル化
コラム:マクルーハン、キットラー、ニューメディア
2000-2015
2001 ニューヨーク近代美術館で開かれたアンドレ―アス・グルスキーのキャリア半ばの展覧会が、絵画的写真――しばしばデジタル的手段で成し遂げられる――の新たな支配を合図する。773
2003 ヴェネツィア・ビエンナーレが「ユートピア・ステーション」、「緊急性のゾーン」といった展示を行い、近年のアート政策やキュレーション行為の大部分が情報的・言説的な本性を持つようになっていることを例示する。778
2007a シテ・ド・ラ・ミュージックの大回顧展によって、パリはアメリカ人アーティスト、クリスチャン・マークレイがアヴァンギャルド芸術の未来にとって重要であることを確認する。フランス外務省はソフィ・カルをヴェネツィア・ビエンナーレの自国代表に選出することで、同じ未来に対してフランスが独自に信頼を置いていることを明らかにする。他方ブルックリン音楽アカデミーが南アフリカ人ウィリアム・ケントリッジにオペラ『魔笛』の舞台装置のデザインを委嘱する。784
コラム:ブライアン・オドーハティと「ホワイトキューブ」
2007b 「アンモニュメンタル――21世紀のオブジェクト」展がニューヨークのニュー・ミュージアムで開催される。この展覧会は若い世代の彫刻家のうちに新たに芽生えたアッサンブラージュや集積への注目をしるしづける。790
2007c デイミアン・ハーストが、頭蓋骨のプラチナ型取りに1400万ポンドをかけてダイヤモンドをちりばめた『神の愛のために』を展示し、5000万ポンドで売却するといったように、あからさまにメディアのお祭り騒ぎや市場投資という構えを取ったアートも存在する。798
2009a タニヤ・ブルグエラがマルチメディア会議「私たちのリテラルな速度」で『包括的資本主義』を呈示する。この作品のオーディエンスであるアートワールドが、共通の信頼や思想に基づく絆、ネットワークを介して結びついていると想定されていることを、まさしくそうした絆を侵犯しつつ視覚的に示してみせるパフォーマンスである。804
2009b ユータ・クターがニューヨークのリーナ・スポーリングス・ギャラリーで「ラックス・インテリア」展を開催。ペインティングが持つ意味の中核に、パフォーマンスとインスタレーションを導入する。ネットワークはこの上なく伝統的な美的媒体――ペインティング――にさえインパクトを及ぼし、欧米のアーティストたちのあいだに広く普及している。810
2009c ハルーン・ファロッキがケルンのルートヴィヒ・ミュージアムとロンドンのレイヴン・ロウで戦争やヴィジョンをめぐる一連の作品を展示し、ヴィデオ・ゲームなどニューメディア・エンターテインメントの大衆的な諸形式と近代戦争の挙動との間に関連性があることを例証する。818
2010a アイ・ウェイウェイの大型インスタレーション『ヒマワリの種』がロンドン、テイト・モダンのタービン・ホールでオープンする。中国人アーティストたちが中国の急速な近代化と経済発展に応答して行う仕事は、同国の豊富な労働市場を主題として取り上げるとともに、それ自体が大量の雇用を発生させる一個のプロジェクトへと姿を変えていく。824
2010b フロリダ州ノース・マイアミ現代美術館で行われた大規模な回顧展に際し、フランスのアーティスト、クレール・フォンテーヌが「操業」を行う。生身のアシスタント2名を用いているので、この操業はそれ自体が明示的に分業となっており、同展はアートにおける主体性の新たなかたちとして、アヴァターが浮上してきたことをしるしづける。830
2015 テイト・モダン、ニューヨーク近代美術館、メトロポリタン美術館がさらなる拡張を計画するとともに、ホイットニー美術館が新しい建物でオープンし、パフォーマンスとダンスを含む金現代アートの展示空間が国際的に拡大した時代を締めくくる。836
座談会2 コンテンポラリーアートの窮状 842
用語集 857
参考文献 866
図版クレジット 874
索引 881