以前に、次の本をご紹介しました。(No.2076)
戦後日本の抽象美術 具体・前衛書・アンフォルメル
尾崎信一郎
思文閣出版
2022年
その際は、冒頭から「戦後が対象であり」というようなご紹介をしましたが、実物を見たところ、次のような、戦前をも対象とする、非常に興味深い論考が掲載されていました。
・吉原治良と写真の視覚
[初出書誌]「吉原治良研究論集」吉原治良研究会 2002年
この論文では、「本論において、私は吉原治良の画業に関してこれまでほとんど論じられることのなかった一つの側面に注目したいと考えた」と着眼についての自信のほどをうかがわせる記載もあります。
戦前には、中山岩太や芦屋カメラクラブとの接点があり、吉原自身も多くの写真を撮影しそれが遺されていると。
また、戦前では、写真を制作のためのモデルに用いた(デノタシオン)ということから、戦後の写真のメディアとしての活用(『具体』誌という装置、写真というシステムのコノタシオン)についても解析があります。
ただ、筆者もご認識のとおり、「試論」的な側面が強く、今後の、ご本人または他の研究者による今後の深化を期待します。
ところで、実は、当方は、近年大阪(大阪中之島美術館と国立国際美術館)で開催された「具体展」を見たときに、強く思ったのですが、吉原治良は、徹底して写真というメディアを作品に使わなかった、また、メンバーにも使わせなかった、そして、それはなぜだろうかと。おそらく、写真に「美術(作品)性」を見ていなかったのであろうと考えていました。
確かに、写真や(映画)フィルムの、「具体」の活動の記録を目的とした利用に限られています。いずれにしても、写真は作品ではなく、吉原や仲間たちの作品の外に存在し、作品のために参照・活用するものだ、という認識であったのだろうと思います。
ただ、それはそれとして、論文の中に記載のあった、吉原治良の写真作品、それも戦前の作品が多く遺されているという話(上記のとおり)は驚きです。吉原治良の戦前の写真作品の写真展の開催を望みます。吉原ご本人からすれば(もう亡くなってはいますが)、それは「作品」ではなく不本意ということになるのかもしれませんが、そのまま置いておくのは大変もったいない。開催館としては、その資料を多く保存しているという芦屋市立美術博物館にてぜひお願いしたいと思います。さらに、無理かもしれませんが(最近の全体的な傾向であればすでに無理でもないかもしれません)、吉原治良旧蔵資料(写真雑誌・美術雑誌類など)も併せて展示していただけるのであれば、なおさら面白いと思います。