次の番組がNHKで放送されていました。
未解決事件
File.07 ベルトラッキ贋作事件〜世界をだました希代の詐欺師〜
放送日:2025年11月22日(土)午後10:00
なお、ヴォルフガング・ベルトラッキ(Wolfgang Beltracchi)については、日本版Wikipediaにも記事がありました。
贋作の対象となった作家は、おそらく絵の具などの画材から贋作であることが判明されにくくするように(古い作品になると現在と画材が大きく異なる)、20世紀前半の作家を多く選んでいるのだと思いますが、その意味でも、関心が持てました。
また、贋作の対象であった作家は、「ピカソ」などもっとも有名で、しかも研究が尽くされている作家を避け、それでも、ある程度有名でレゾネもあり、美術館が収集しようと考えるような作家を選んでいたという事実も、興味深いことでした。
日本での例として、高知県立美術館所蔵のカンペンドンクの贋作、山田養蜂場所蔵のキスリングの贋作が取り上げられていました。
ポイントのずれたコメントかもしれませんが、贋作の対象となった作家の中では、アンリ・エダン(Henri Hayden. 1883.12.24 - 1970.5.14)というポーランド出身のキュビスム系の画家に興味を持ちました。
本人のインタビューでは、ほとんど罪悪感がない、ある意味また贋作を描くかもしれないという感じがあったのが印象的でした。実際に誰が描いていようが、対象とされた画家本人の作品と判断されるような「質の高い作品」だったらいいではないか、という考え方のようです。他方、所蔵者や関係者は贋作であることをなかなか認めたがらないであろう、という美術の専門家のコメントもありました。確かに、贋作とされた場合は、かかわった人々に真作だと間違った判断をしたことに責任が発生するかもしれませんし、美術館であれ個人であれコレクションの中に1点でも贋作が混ざってい場合にはコレクション全体の信頼性が失われてしまうかもしれません。
本番組から考えさせられるのは、美術作品の「本物という価値とは何なのか?」ということです。
同じ絵画であっても、真作であれば価値があったが、ベルトラッキの手による贋作であると判明したらば、そのとたんに価値がなくなってしまう。しかし、それは、絵画の内容そのものの問題ではなく、そっくり同じ絵でも、有名な作家が描いていたら価値があり、有名でない作家が描いていたら価値がないということにならないか、ということです。要するに、作品の価値は、その内容によるではなく、誰が描いたか、より端的には、有名な作家が描いたかどうかによって決まると。同様の作品価値の「下落」は、贋作ではなく、単に間違って有名な作家の作品だと判断していたことが判明した場合にも、同じように起きうることです。そして、逆に考えれば、有名な作家が描いた「本物」でありさえすれば、その内容に仮に劣る部分があっても、高く評価されるということになるのか、という問題です。
また、贋作であることを所蔵者が認めなければ、真作のままであるといえるのか、また真作としての価値がそのまま続くのか、という問題があります。さらに考えると、個人所有の場合、事実として真作であれ贋作であれ、同じ作品であり、所有者が「真作だ」と言い張るのであれば(それをどこまで信じているのかは別の問題として)、それを周りの専門家が否定したり、真贋判定をすべきだと主張しても、それ以上解決には向かわないでしょう。例え、公的には贋作と認められ、もしもレゾネがあるならばそこから削除されたとしても、所有者が「真作と信じている」と主張するのあれば、その所有者にとっては、カギカッコつきの「本物」といってもいいのかもしれません。そのほうが、所蔵者にとっては「幸せ」かもしれません。他方、その状態でも、美術館のような公的な機関の所蔵でない限りは、ほとんど誰も迷惑しないでしょう。そのようなこと、すなわち「本物」とは誰にとっての「本物」のことなのかが、この贋作事件が投げかけている問題の1つのような気がします。
一般に真作かどうかの判定は非常に難しいわけですが、ベルトラッキの贋作は、あまりに真作に似ており、それに輪をかけて判定が困難であり、専門家でさえ贋作であることを突き止めることが難しいようですので、余計に話がややこしくなります。さらに、ベルトラッキ本人は、贋作を描くことが楽しくて仕方ないようで、それを自分の名前ではなく、他人の名前で(すなわち贋作として)評価されることに、何も疑問を感じていないようでした。変な言い方かもしれませんが、贋作だと分からなくてもうれしいし、贋作だとわかってしまってもうれしい、ということのような気がしました。これは、作家の「名前」ではなく、絵画の「内容」に重きを置いているという点で、的を射ているようにも思えます。
なお、現代美術では「アプロプリエイション」という手法で、他人の作品を自作に取り入れることはありふれたことです。「取り入れる」とはいえ、他人の作品そっくりの作品を制作して自分の作品としている場合すらもあり、贋作との違いは、自分の「名前」で発表するということだけです。
贋作を肯定する気は全くありません。真作だと判断していた作品が、最終的に贋作だと確定した場合の所有者や関係者の落胆や怒り(作家本人がその作品を完成させるまでに体験したであろう様々な苦労や苦悩をないがしろにした、単なる「模倣」でしかない)、それ以上の複雑な感情も理解できると思います。ただ、全体として、思った以上に単純な問題ではない、少なくとも美術の分野における価値判断のシステムに一石を投じるくらいの大きな問題だという感じを受けました。
なお、ベルトラッキの父は画家であったが、有名な画家ではなかったので、作品が高く売れることはなかった、というようなエピソードが紹介されていましたが、これらの贋作は、そのことに対する復讐というか、皮肉という側面もあったのではないでしょうか?
番組の最後はいやな終わり方ですが、ベルトラッキ本人のコメントで、「(ドイツの捜査当局が作成したベルトラッキの贋作リスト(図版入り)を目の前に)抜け落ちているよ、200枚も」ということでした。