次の本が刊行予定です。
黒い直方体と交差するパッサージュ 大阪中之島美術館建築ドキュメント
遠藤勝彦
青幻舎
2023年8月
以前も何回かご紹介したことのある、大阪中之島美術館。
サブタイトルに「建築ドキュメント」とあり、作者も建築系統のかたのようですので、その特異な建築に焦点を当てた本なのでしょうが、その他の内容(例えば、コレクション蒐集についてなど)もあるのではないかと期待します。
まずは、この本の実物を見ることができないかを探ります。
次の本が刊行予定です。
アナキズム美術史 - 日本の前衛芸術と社会思想
足立元
平凡社
2023/08/11発売
価格 ¥4,840(本体¥4,400)
対象は、大正時代から1950年代ということのようです。
それは楽しみです。
もうすぐですが、8月が待ち遠しいです。
なお、著者の足立元さんには、少なくとも、以下の2著があり、今回の本とこれらとの関係はどういうものなんでしょうか?
裏切られた美術 - 表現者たちの転向と挫折1910-1960
足立 元
ブリュッケ
2019/06発売
前衛の遺伝子 - アナキズムから戦後美術へ
足立 元
ブリュッケ
2012/01発売
先日7月20日(木)朝5時台のNHKのニュースの終わりごろ、6時に近くなったところで放映された「世界のメディアザッピング」というコーナーで、アラン・ドロンが所有している美術作品をオークションにかけたというニュースが放映されました。
たまたま見ていたのですが、TVの映像にキュビスムらしき作品がありました。音声でも「キュビズム」と触れていました。ただ、6時代のニュース(の7時近く)でも同じ「世界のメディアザッピング」のコーナーがあるのですが、この日の6時台では、放映時間が5時台より短くなっていたのでしょうか、同じアラン・ドロンのニュースは紹介されていましたがキュビスム作品の映像はなく、説明でも触れられていませんでした。
このキュビスムの作品が誰の作品なのか? カラフルな作品なので、ピカソやブラックではないと思いますが、一見誰の作品かはわかりません。そこでネット上でいろいろと検索してみました。しかし、結局情報は発見できませんでした。ドラクロワ、デュフィ、ドガなどのオークションに出された他の作品の情報は見つかり(とはいえ、作家名のみ)、またオークションにかけられた作品は「80点余り」という情報もありましたが、もちろん、ネット上ではそのリストなどを望むことは無理でした。
いつも同じ事ばかり書いて申し訳ありませんが、ネット上には、情報足りませんね。欲しい情報が発見できません。もしかしたら、情報はあれども検索の機能が不十分、ということなのかもしれませんが。
次の本が刊行されています。
ちくま新書1732
写真が語る銃後の暮らし
太平洋戦争研究会
筑摩書房
2023/06発売
価格 ¥1,430(本体¥1,300)
目次
序章 昭和モダン
第1章 軍靴の音―一九三一(昭和六)年~一九三六(昭和一一)年
第2章 国家総動員―一九三七(昭和一二)年~一九四〇(昭和一五)年
第3章 必勝の生活戦―一九四一(昭和一六)年~一九四三(昭和一八)年
第4章 一億戦闘配置―一九四四(昭和一九)年~一九四五(昭和二〇)年八月一五日
終章 敗戦と占領
この本は、主として次の4つの戦前の写真誌に掲載された写真を使って、当時の歴史や世相を紹介するという本です。
週間『写真週報』(発行・内閣情報部、のち、内閣情報局)1938年創刊
月刊『画報躍進之日本』(発行・東洋文化協会)1936年創刊
月刊『国際寫眞情報』(発行・国際情報社)大正時代創刊
月刊『世界画報』(発行・国際情報社)大正時代創刊
当時のいろいろな写真作品を見ることができるという意味では、興味深い本なのですが、やはり、写真史的な視点が欠けているという点で不満が残ります。その点は、この本の目的とは異なるのでやむをえないのですが、要するに、それぞれの写真作品について、誰が撮影しているのか、写真史の流れの中でどういう位置づけになるのか、が全く明らかにされていません。「あとがき」には、『写真週報』について「取材記者やカメラマンの大半は中央官庁や各府県の専従者で、時々見かける署名入り写真の撮影者も当時の日本を代表する著名なカメラマンや、新聞社所属のカメラマンたちだった。」とまで書かれているのですが、その地点で止まってしまっており、具体的な写真家名は一切出てきません。
ただ、撮影者は不明なままだとはいえ、それぞれの掲載写真について、上記4誌その他の出典(掲載誌および巻号など)を記載しておくべきだったと思います。一部、写真プリントそのものが独立して残っている場合または独立した写真集の場合には、その所蔵先が記載されています、とはいえこれも完全に網羅的に記載されているのかどうかは定かではありません。掲載作品ごとの出典の掲載は、写真史的な観点というより、より一般的に「歴史研究」的な観点からの必要性です。現在の本書のように出典が掲載されていないと、例えば、ある特定の写真作品に関心を持った場合に、その掲載誌を発見しようとしても、ほぼ不可能です。このような問題点は、「歴史研究」の素人である当方が申し上げるまでもないことです。
また、上記4点の雑誌についても、これもこの本の目的からすると仕方ないのですが、この本には「雑誌としての紹介」はまったくありません。例えば、刊行の経緯、その後の歴史(傾向の変化など)、そした最後はどうなったのか、全体で何号刊行されているのか、主体となっている出版社・発行所などの情報、編集者・編集長はどういう人物か、掲載されている写真の写真家は誰か、さらには掲載されている写真のリストなどなど、挙げていけばきりがありません。
例えば、「写真週報」については、以前刊行された、次のような本がありますが、それでも、撮影された対象に基づく、歴史や当時の状況ついての研究が中心であり、ほとんど写真家には焦点が当たっていなかったのではないかと思います。
『写真週報』とその時代 〈上〉 戦時日本の国民生活
『写真週報』とその時代 〈下〉 戦時日本の国防・対外意識
玉井 清・編著
慶應義塾大学出版会
2017年7月
価格 各¥3,740(本体¥3,400)
「写真週報」に見る戦時下の日本
保阪 正康・監修/太平洋戦争研究会・著
世界文化社
2011年11月
他方、写真史に携わっている皆さんに対しては、このような分野・資料についての網羅的な研究がまだまだ不足しているので、今後の展開を強くお願いしたいと思っております。
具体的には、上記の各誌ごとの様々な情報に加えて、
・戦前のグラフ雑誌一覧(上記の4誌を含む)とその全体の流れ・傾向など
・掲載作品の作家一覧とその全体の流れ
など。とにかく、戦前の日本にどんなグラフ雑誌があったのか、その全体像すらまだわからないというのは、大変残念なことです。
例えば、この分野を取り扱った代表的文献である次の3冊の本では、十分にカバーされていません。例えば、上記4誌のうち「写真週報」を除いた3誌については、ほぼ触れられていません(「戦時グラフ雑誌の宣伝戦」には22ページに「国際写真情報」(国際情報社)の誌名だけは出てきますが解説はなし)。ただ、「〈報道写真〉と戦争」と「報道写真と対外宣伝」は、事項索引がないので、完全には確認できていません。
〈報道写真〉と戦争 1930-1960
白山 眞理
吉川弘文館
2014年10月
戦時グラフ雑誌の宣伝戦 十五年戦争下の「日本」イメージ 越境する近代 7
井上 祐子
青弓社
2009年2月
報道写真と対外宣伝 15年戦争期の写真界
柴岡 信一郎
日本経済評論社
2007年1月
繰り返しになりますが、この分野は、写真史的には(写真史的にも)、まだまだ研究者が絶対的に不足しており、ポイントごとの研究にとどまり、全体を網羅している資料はない状態です。
近い将来に、そういう情報が公刊されることを願っています。
次の記事をNHKのサイトで発見しました。
100年前の「フェイク画像」 関東大震災でも拡散したデマ(2023年6月21日付)
https://www3.nhk.or.jp/news/special/saigai/select-news/20230619_01.html
この記事の基になっているのは、以下の論文です。
「関東大震災写真の改ざんやねつ造の事例」沼田清
https://www.histeq.jp/kaishi/HE34/HE34_103_113_Numata.pdf
『歴史地震』(歴史地震学会)第34号(2019年)
この論文の主題は、改竄や捏造ではありますが、むしろ、当方が非常に危ういと感じたのは、そういう意図的なものだけではなく、意図しない(キャプションなどの)「誤り(誤解)」と、改竄・捏造・誤りに気付けずに、(他意なく、悪意なく)複製して拡散してしまうという行為です。
現在も、複製や拡散はSNSで日常的に行われていることですが(というか、以前に比べ、複製や拡散は、非常に数が増加していると言えます)、その中で、過去の事例ではなく、現時点で進行中の新しい事項、すなわちフェイクニュース・フェイク画像(写真だけでなく、ニュース自体も)が大きな問題となっています。
例えば、当方も、戦前の日本の写真家Aの作品が写真家Bの作品としてSNS上で紹介されているといった最近のケースを見かけたことがあり、この誤った情報をSNS上で誰か(例えば、日本の写真をよく知らない外国人)が「孫引き」などして、それが連鎖的に継続しようものなら、もう何が真実かわからなくなってしまうおそれがあります。知らない情報の信頼性には非常に注意しなければなりません。
なお、やや異なる問題ですが、各種検索エンジンの「画像検索」において美術家・写真家の人名で検索すると、作品や顔写真が出てきますが、その作品や顔写真が、その美術家・写真家の作品や顔写真ではないことがあります。しばしばあることなので、多くの人は理解していると思います。「検索」は、ネットに掲載されている情報に基づく結果ですから、元の「掲載されている情報」が間違っていたら、「検索」も間違った結果になること、現時点ではやむを得ないことです。将来的に、画像に限らず、AIが間違った情報を排除するような検索になってくれることを強く望むとともに、検索をした人が、間違った検索結果をうのみしないこと(さらに拡散しないこと)を期待します。
なお、自分の写真作品に「手を加える」という行為自体が否定されるわけではないと考えています。例えば、デフォルマシオンやフォトモンタージュといった技法が否定されることはありません。むしろ問題なのは、制作された写真作品の取扱い方(提示の仕方)です。改変された写真作品を、(悪意のありなしにかかわらず)「真実」のように提示すること、そこに問題があるというべきです。この2つの違いについては、十分に注意しておかねばなりません。
そして、このSNSの時代、制作者にその意図がなかったとしても、いつの間にか(特に制作からかなりの時間が経っていると、当時の状況を理解していない者も増加し、そのような)第三者により、「改変作品」が(悪意があるにしろないにしろ)「真実」として取り扱われる危険性がかなり高まってしまうということにも、十分に注意せねばなりません。
要するに、「改変」は何でも構わないということでもなく、「改変」(特に、明らかに「真実」ではないとわかる(という点に人を惹きつける力のある)「改変」ではなく、「真実」と受け取られかねないようなタイプの「改変」)というのは非常に危険だということがわかります。制作する側も、充分な注釈をつけるなどの適切な対応が必要ということでしょう。
なお、今回の話題の発端は「関東大震災」で、「改変」は民間主導でしたが、「第二次世界大戦」になると。今度は日本政府主導の「改変」が横行するようになっていったのではないかと思います。
例えば、『FRONT』などに見られるような「改変」の一部は、すでに許されない領域に足を踏み入れてしまっているといっていいのでしょう。
画像の「改変」の危険性については、今後も注目していかねばなりません。