次の展覧会が開催中です。
東京大空襲80年-新たな記録を探し続けて-
すみだ郷土文化資料館3階展示室
開催期間:令和7年2月15日(土曜日)から令和7年5月25日(日曜日)まで
開館時間:午前9時から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)
休館日:毎週月曜日・毎月第4火曜日(それぞれ祝日の場合は翌平日)
入館料」個人100円、団体(20人以上)1人80円、中学生以下と、身体障害者手帳・愛の手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳をお持ちの方と介助の方は無料。
https://www.city.sumida.lg.jp/sisetu_info/siryou/kyoudobunka/info/kushu06.html
チラシも
https://www.city.sumida.lg.jp/sisetu_info/siryou/kyoudobunka/info/kushu06.files/kushu06.pdf
パンフレットに当たるもの
https://www.city.sumida.lg.jp/sisetu_info/siryou/kyoudobunka/info/kushu06.files/miyako70.pdf
もウエブサイトに掲載されています。
関連イベントとして、次の2つも開催予定です。
・証言映像上映会と講演会「東京大空襲とすみだ」
講師 多田井 利房氏・深谷 陽子氏(スミダSGEP)
令和7年3月1日(土曜日)午後1時から午後3時まで
先着40名 入館料のみ
・空襲体験画ギャラリートークと平和祈念コンサート
令和7年3月9日(日曜日)午後1時から午後2時40分まで
先着40名 入館料のみ
https://www.city.sumida.lg.jp/sisetu_info/siryou/kyoudobunka/schedule.html
https://www.city.sumida.lg.jp/sisetu_info/siryou/kyoudobunka/info/0603talk.html
展示の規模(作品が何点展示されるのかなど)がすぐにはわかりませんが、非常に興味深い企画です。特に、両国の工藤写真館の初代、工藤哲朗という写真家の写真を調査し、展示していることが注目されます。このため、一部の写真について撮影者として工藤哲朗の名前があります。東京大空襲の写真について(警視庁のカメラマン以外の)撮影者が特定されているというのは、珍しいことなのではないかと思います。
このような、空襲に限らず、太平洋戦争を記録した写真は、少しずつでしょうが、今後もまだまだ出てくるのではないかと思いますので、期待できます。
今回の企画の説明などを読んでいると、東京大空襲(より広くは太平洋戦争)の実相について、実は、まだまだ分かっていないことが多い、それも基本的な部分で、ということがわかります。
引き続き、全国でこのような企画が増えて行って欲しいと思います。
なお、本企画のご担当の学芸員は石橋星志さんというかたです。
同館の次回の展示も、東京大空襲を対象とした企画だそうですが、次年度(2025年度)になるためか、まだ上記サイトでは詳細は公表されていません。
最後に、「太平洋戦争」の関係の写真(空襲、原爆、庶民の暮らしなど)は、かなりたくさんあり、しかも、全国各地で発見され、保管されていると思います。このような情報について、ぜひとも、データベースを構築して1つに情報をまとめていただきたい。そして、そのデータベースを用いれば、「太平洋戦争に関して(この地域の)このような写真が必要だ」というときに、どの書籍や資料を見ればいいのか、または、どの機関(資料館、博物館など)に問い合わせればいいのかが、すぐにわかる、という状態にしていただきたい。今のままでは、あまりに情報がばらばらで、適切な情報を発見することが困難な状態になっていると思います。
そのデータベースの一元化を、どの機関が実施するのかは、当方には判断できませんが、例えば、いきなり全国一元化は難しいかとも思いますので、まずは、都道府県や地方ごとにある程度のかたまりでまとめ、それらの「まとまり」をさらに一元化に向けてまとめるという複数のステップに分ける方法が、現実性があるように思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
(つづき)
Copilot(Microsoft)の回答
回答1:バーニス・コルコの欧文つづりは Berenice Abbott です。彼女の生年月日は 1898年7月17日、没年月日は 1991年12月9日 です[1][2][3]。
この情報の根拠として、以下のような信頼できる情報源があります:
他に知りたいことがあれば、どうぞお知らせください!
References
[1] Berenice Abbott - Wikipedia
[2] Berenice Abbott | Amon Carter Museum of American Art
[3] Abbott, Berenice (1898–1991) - Encyclopedia.com
回答2:バーナード・シルバースタインの欧文つづりは Bernard Silverstein です。彼の生年月日は 1927年12月3日、没年月日は 2003年2月1日 です[1][2]。
この情報の根拠として、以下のような信頼できる情報源があります:
他に知りたいことがあれば、どうぞお知らせください!
References
[1] Bernard Silverstein 1927 - 2003 - AncientFaces
[2] Bernard Silverstein (1927-2003) - Find a Grave Memorial
回答3:バーナード・G・シルバースタインの欧文つづりは Bernard G. Silberstein です。彼の生年月日は 1905年1月23日、没年月日は 1999年11月21日 です[1][2]。
この情報の根拠として、以下のような信頼できる情報源があります:
他に知りたいことがあれば、どうぞお知らせください!
References
[1] Bernard G. Silberstein Biography | Annex Galleries Fine Prints
[2] Bernard G. Silverstein - Artnet
回答は以上ですが、以下、それぞれを評価してみます。
(Chat GPT(Open AI)の回答の評価)
100点満点中66点ですね。
回答2にはびっくりしました。「わからない」という回答は、むしろ利用者からの信頼性を得られるように思います。以前ならば、こういう回答は出てこなかったのではないかと勝手に推測しています。これに備えて考えた、ミドルネーム「G.」を追加するという方法で回答を得ることができました。この点は、むしろ「AIに対してどういう方法で質問することがいいのか」という点についてのヒントになるかもしれません。
(Gemini(旧称Bard)(Google)の回答の評価)
これは、100点と言わざるを得ません。「問3」も省略しました。
(Copilotの回答の評価)
100点満点中33点ですね。
回答1は、予想外ながら、全く別人のベレニス・アボットと取り違えています。
回答2は、つづりはあっているものの、Referencesを見ても、写真家かどうかはわかりません(その情報は登録(free trialあり)しないと見られない)。また、AIには提供していない情報ですが、「フリーダ・カーロ作品集」には、彼の1940年頃の写真が掲載されており、1927年生まれが正しいとすると、13歳ごろに撮影した写真が掲載されていることになりますので、この生没年が正しい可能性は極めて低いでしょう。そして、次の「回答3」から、回答2が間違いであることがわかりました。
回答3:ミドルネームの「G」を入れたら、正しいと思われる回答を得られました。回答2と回答3の違いが生じるということは、新しい発見です。
なお、バーナード・シルバースタインですが、自分で検索した時も、「Silverstein」とするサイトと,「Silberstein」とするサイトがあり、現時点ではどちらが正しいのかはわかりませんでした。したがって、上記では、いずれも正解としています。
今後生成AI発展のためにどういう方向性が考えられるかについては、後日また考えてみたいと思います。
なお、上記結果からすると、Gemini(旧称Bard)(Google)が最も信頼がおけるようですが、事はそう単純ではありません。後日、別な質問への回答結果について別項にて書いてみたいと思います。そこでは、この3つのうち、Gemini(旧称Bard)(Google)の回答が最も質が低くなりました。
以前、No,2045、No.2054、No,2055でChat GPTについて書いています。その際に試した例では、悲惨な結果でした。
その際とは違う整理だと思いますが、生成AIの問題点としては、大きく次のような点を挙げることができます。
・間違った回答をすることがある。しかも、「考察・見解・意見」の部分のみならず、「事実」の部分についても。特に、「事実」の場合には、その回答内容を全く知らない場合には、正しいのか間違っているのかを判断することができない。
・回答のリソースが、ネット上の限られた情報でしかない。これでは、十分な内容が期待できない可能性が高い。
とはいえ、生成AIは、急速にその性能を高めていると思います。今回、いい「ネタ」が出てきましたので、改めて生成AIが使い物になるのかどうかを確認するため、今回のフリーダ・カーロに関する写真家の欧文つづりと生没年を質問してみました。
テストに使った生成AIは、Chat GPT(Open AI)とGemini(旧称Bard)(Google)とCopilot(Microsoft)の3つです。
公平に比較をするため、次の同じ3つの文章で、質問をしてみました。
質問1:20世紀半ばに活動していた写真家バーニス・コルコの欧文つづりと生没年を教えてください。また、その欧文つづりと生没年の根拠も併せて教えてください。
質問2:20世紀半ばに活動していた写真家バーナード・シルバースタインの欧文つづりと生没年を教えてください。また、その欧文つづりと生没年の根拠も併せて教えてください。
質問3:20世紀半ばに活動していた写真家バーナード・G・シルバースタインの欧文つづりと生没年を教えてください。また、その欧文つづりと生没年の根拠も併せて教えてください。
わざわざ「質問2」を入れている意味は、回答をご覧いただくとわかります。いわば、AIへの「いじわる」です。逆に言えば、「質問3」は「質問2」で間違えたAIへの「おまけ」です。「質問2」で間違えなければ、「質問3」は使いません。
あらかじめ、当方が把握している情報は以下のとおりです。
バーニス・コルコ(Bernice Kolko, 1905–1970)
バーナード・シルバースタイン(Bernard Silverstein, Bernard G. Silverstein, Bernard Silberstein, Bernard G. Silberstein, 1905-1999)
さて、それぞれの回答は以下のとおりです。
Chat GPT(Open AI)の回答
回答1:20世紀半ばに活動していた写真家「バーニス・コルコ」の欧文つづりは「Bernice Kolko」、生没年は1905年から1970年です。この情報は、メキシコの国立芸術院(Instituto Nacional de Bellas Artes y Literatura)の公式ウェブサイトに掲載されている彼女の伝記に基づいています。
回答2:申し訳ございませんが、20世紀半ばに活動していた写真家「バーナード・シルバースタイン」についての情報を見つけることができませんでした。お名前の綴りや活動時期、関連する作品など、さらに詳しい情報をお持ちでしたら、ぜひお知らせください。そうすれば、より詳しく調査し、適切な情報を提供できるかもしれません。
回答3:20世紀半ばに活動していた写真家「バーナード・G・シルバースタイン」の欧文表記は「Bernard G. Silverstein」、生没年は1905年から1999年です。
彼は1930年代にメキシコシティでドキュメンタリー写真家として活動し、フリーダ・カーロやディエゴ・リベラの写真を撮影しました。
また、彼の作品はアートネットのウェブサイトでも紹介されています。
Gemini(旧称Bard)(Google)の回答
回答1:アメリカ合衆国の写真家、バーニス・コルコ(Berenice Kolko)の生没年は以下の通りです。
彼女は20世紀半ばに活動し、主にメキシコで作品を制作しました。
これらの生没年の情報は、以下の資料を参考にしています。
これらの情報源は、信頼できる美術館や図書館のウェブサイトであり、バーニス・コルコの生没年に関する信頼性の高い情報を提供しています。
回答2:欧文つづり: Bernard Silberstein
生没年: 1905年 - 1999年
根拠:
その他:
参考資料:
回答3:質問する必要はないと判断
(つづく)
(つづき)
巻末の「図版クレジット」の部分に欧文つづりが記載されている場合もありましたが、残念ながら、全部ではありません。仕方がないので、ネット上で調べて、生没年とともに補いました。ただし、ウォレス・マーリー、ウォレス・マーリーとカタカナ表記に揺れがある「Wallace Marly」の生没年はわかりませんでした(グーグル検索だけではなく、実はAIも使ったのですが、見つかりませんでした。なお、これに関連して、AIについては、後日書きます)。
以上ですが、巻末に、「掲載作品リスト」だけでなく、「掲載写真リスト」も欲しかったですね。さすがに、この著者でも、そこまでの発想はなかったものと思われます。というか、そういう視点・発想でこの書籍を見ているのは、当方だけかもしれません。
それにしても、これだけの写真作品が掲載されているというのも、この著者ならではと言えるでしょう。
ちなみに、今回の欧文つづりなどの検索の過程で発見した次の展覧会企画があります。著者がこの展覧会を参考にしている可能性はありますが、写真家がかなり重複しているものの、完全には重複していないので、よくはわかりません。
‘Mirror Mirror…Frida Kahlo Photographs’
21 May– 12 September, 2015
Throckmorton Fine Art
New York
http://www.cassone-art.com/art-news/2015/05/photographs-of-frida-kahlo-go-on-show-in-new-york/
上記サイトでは、more than 30 rare and vintage photographs of Frida Kahloとあり
写真家名として、
The exhibition features vintage and rare images of Frida Kahlo by Gisele Freund, Nickolas Muray, Emmy Lou Packard, Diego Rivera, Juan Guzman, Peter Juley, Bernard Silverstein, Carl Van Vechten, Edward Weston, Lucienne Bloch, Manuel Alvarez Bravo, Lola Alvarez Bravo, Mayo Brothers, Leo Matiz, Fritz Henle and Hector Garcia– as well as several works on paper by Kahlo.
とあります。
なお、写真家のうち「ギジェルモ・カーロ」(Guillermo Kahlo、1871年-1941年、なお、Wikipediaでは、「ギリェルモ・カーロ」と表記されています)とは、フリーダ・カーロの父親で、19歳の時(1891年)にドイツから移民したハンガリー系ユダヤ人で、メキシコで成功した写真家だということです。
以前、No.2146でご紹介した「藤田嗣治」の写真にも撮影者の名前が記載されていました(ただし、この企画を紹介している雑誌等では、写真が掲載されていても、マダム・ドーラの名前が記載されていないものもあり)。このように、写真家名まで(しかも欧文つづりまで)記載するという例がもっと増えることを強く希望いたします。
最後に、この本の出版社である「東京美術」とは、あの「もっと知りたい」シリーズ(アート・ビギナーズ・コレクション)の大量の刊行を継続している出版社です。
次の本が刊行されています。
フリーダ・カーロ作品集
堀尾眞紀子著
東京美術
2024年10月
3600円
単に、フリーダ・カーロの作品集であったならば、ここでご紹介することはなかったと思います。
では、なぜご紹介しているのか。
それは、この本には、フリーダ・カーロやその関係者を撮影した(大半は20世紀前半の)写真が多数掲載されており、しかもその多くには撮影者の名前(ただし、欧文つづりがないことは残念です)と撮影年が記載されているからなのです。写真作品の多くは、1ページに1作品で掲載されており、著者が絵画作品と同様の重きを置いていることがうかがわれます。しかも、おや、と思うような写真家名もあり、当方がぴんと来ない写真家名もある。とにかく、撮影者名まで記載されているというのは、極めて珍しい。本書に掲載されているような「誰が写っているか」が問題とされる写真作品の場合、たいていは、「誰が撮影したか」については注目されないからです。著者の堀尾眞紀子さんが、特別な意図をお持ちだったのかもしれません。なお、このかたは、フリーダ・カーロについて、以前にも著書を刊行なさっていて、フリーダ研究では日本における第一人者です。
掲載されている写真作品は、具体的には、以下に列挙するとおりです。カラー作品にはカラー作品と記載しました。
p2:24歳のフリーダ:イモージン・カニンガム撮影、1931年
p4:フリーダ、コヨアカンにて:マヌエル・アルバレス・ブラボ撮影、1937年頃
p9:竜舌蘭の傍らに立つフリーダ:トニー・フリッセル撮影、1937年(カラー作品)
p11:カンヴァスに向かうフリーダ:マヌエル・アルバレス・ブラボ撮影、1937年
p12:フリーダの家族と親族。左端が男装のフリーダ、前列右は妹クリスティーナ:ギジェルモ・カーロ撮影、1926年
p16:18歳のフリーダ:ギジェルモ・カーロ撮影、1926年2月7日
p28:フリーダとディエゴ、サンフランシスコにて:エドワード・ウェストン撮影、1930年12月
p33:キスをするフリーダとディエゴ。デトロイト美術館のコートヤードにて、制作中のディエゴの壁画の前で:W・J・ステットラー撮影、1932年8月24日(W. J. Stettler, 1892-1956))
p38:窓辺のフリーダ。サンフランシスコにて:ポール&ピーターA・ジュレイ撮影、1930年頃(Paul & Peter A. Juley; Paul Juley, Paul Peter Juley, 1890-1975, Peter A. Juley, Peter Anton Juley, 1862-1937)
p45:サンフランシスコに上陸したフリーダとディエゴ:マヌエル・アルバレス・ブラーボ撮影、1930年
p46:フリーダとディエゴ・デトロイト、フォード・リバー・ルージュ工場にて:ルシエン・ブロッホ撮影、1932年(Lucienne Bloch, 1909-1999)
p57:《首飾りをつけた自画像》とフリーダ。ニューヨーク、バルビゾン・プラザ・ホテルにて:ルシエン・ブロッホ撮影、1933年
p34:サボテンの垣根の前に立つフリーダ。サンアンヘルにて:マーティン・ムンカッチ撮影、1934年
p66:ディエゴとフリーダ、サンアンヘルにて:マーティン・ムンカッチ撮影、1934年
p69:《ちょっとした刺し傷》とフリーダ。額にはまだ血痕のような絵の具は塗られていない:ウォレス・マーリー撮影、1938年頃(Wallace Marly, 生没年はわからず)
p73:フリーダ:イサム・ノグチ撮影、1930年代
p74:イサム・ノグチ:エドワード・ウェストン撮影、1935年
p75:フリーダ:イサム・ノグチ撮影、1930年代
p76:(左から)トロツキーの妻ナターリャ、フリーダ、トロツキー、マックス・シャハトマン。シャハトマンは、アメリカにおけるトロツキズムの党派、社会主義労働者党の創始者:撮影者記載なし、1937年
p80:(左から)トロツキー、リベラ、ブルトン:フリッツ・バッハ撮影、1938年(Fritz Bach, German, 1890-1972)
p81:トロツキーの亡骸を乗せた霊柩車と、それを見送る群集。メキシコシティ、トロツキーの葬列にて:フリッツ・バッハ撮影、1938年
p82:ディマスを見つめるフリーダ。ディマスはディエゴが名づけ親になった少年で、ディエゴの絵のモデルにもなった。この2年後に亡くなり、フリーダによる作品《死せるディマス》(右頁)がある:シルヴィア・サルミ撮影、1935年頃(Sylvia Salmi, 1909-1977)
p88:フリーダとニコラス・ムライ:ニコラス・ムライ撮影、1939年
p89:赤いショールのフリーダ。ニューヨークにて:ニコラス・ムライ撮影、1939年(カラー作品)
p90:フリーダとニコラス・ムライ。「青い館」のアトリエにて:ニコラス・ムライ撮影、1941年
p103:《傷ついたテーブル》(1940年)を描くフリーダ:バーナード・シルバースタイン撮影、1940年頃(Bernard Silverstein, Bernard G. Silverstein, Bernard Silberstein, Bernard G. Silberstein, 1905-1999)
p104:フリーダとディエゴ。「青い館」のアトリエにて:撮影者記載なし、1948年
p106:ピカソ館でのフリーダ。メキシコシティにて:フローレンス・アークイン撮影、1944年(Florence Arquin, 1900-1974)
p109:物思いに耽るフリーダ:ロラ・アルバレス・ブラーボ撮影、1944年頃
p121:《いつも私の心にいるディエゴ》を描くフリーダと、それを見守るディエゴ:バーナード・シルバースタイン撮影、1940年頃
p126:猿を抱くディエゴとフリーダ:ウォレス・マーレイ撮影、1948年(Wallace Marly, 生没年はわからず)
p144:食卓のフリーダとディエゴ。「青い館」にて:エミー・ルー・パッカード撮影、1941年9月(Emmy Lou Packard, 1914-1998)
p151:ベッドのフリーダ。両手にはたくさんの指輪が輝く:バーニス・コルコ撮影、1954年(Bernice Kolko, 1905–1970)
p154:「青い家」の庭に立つフリーダ:ジゼル・フロイント撮影、1951年
p156:ベッドのフリーダ。「青い館」にて:ジゼル・フロイント撮影、1951年
p157:デモ更新中のフリーダ。後列中央はディエゴ、その下はファン・オゴルマン:撮影者記載なし、1954年
p160:ベッドで絵を描くフリーダと、それを見つめる少年:ファン・グスマン撮影、1954年頃(Juan Guzmán (born Hans Gutmann, also known as "Juanito",1911–1982)
p174:青い館の中庭:ジゼル・フロイント撮影、1951年
p177:フリーダとディエゴ:ファン・グスマン撮影、1950年
p180:ショロ犬を抱くフリーダ:エクトール・ガルシア撮影、1952年(Hector Garcia Cobo, Héctor García Cobo, 1923-2012)
(以上、全40点、「ブラボ」と「ブラーボ」の表記の揺れは、原文のままです、著者撮影の作品は省略。)
これ以外に、p182からp185にかけての「年譜」のページに、16点の小さな写真が掲載されていますが、こちらについては、撮影者の記載は全くないため、省略します。