たまたま、次の記事を発見しました。
https://artexhibition.jp/topics/news/20241108-AEJ2491894/
美術展ナビ
東京ステーションギャラリーが2025年の展覧会スケジュールを発表
独創的な展示内容で魅せる駅ナカ美術館!
その中に、「藤田嗣治 絵画と写真(2025年7月5日~8月31日)」という企画がありました。
全く知りませんでしたが、藤田嗣治は、数千枚の写真作品を残しているそうです。その写真作品を通じて、彼の絵画制作を再考するという企画とのことです。20世紀前半という観点からも、非常に興味深い企画です。
また、藤田を撮影した写真作品も紹介されるそうです。このページでは、ドラ・カルムス(Dora Philippine Kallmus (1881-1963)、Madame D'Ora)の1920年代撮影と思われる作品が紹介されています(上に図版を引用)。他にも、なるほどと思うような写真家による作品も含まれているかもしれません。
今後、さらにくわしい情報が公表されることを楽しみに待っていましょう。
今のところ、特に気なるのは次の2点です。
1.巡回はあるでしょうか? 少なくとも、関西にはお願いしたいところです。
2.展覧会カタログは一般の出版社から刊行するでしょうか? 最近そういうケースが増えていますが、今回もできればそうしていただきたい。一般の書店に並ぶかどうか、さらに、公立図書館に所蔵されるかどうか、がこれにかかっています。
最後に、本企画ご担当の学芸員は、若山満大さんかもしれません。
次の本を読んでいます。もう少しで読み終わりますが、まだ途中です。
シュルレアリスム絵画と日本 イメージの受容と創造
速水豊
NHKブックス1135
2009年
刊行が2009年ですから、すでに刊行から15年が過ぎてしまいましたが、今さらながら読んでいます。刊行された当時に入手していたのに、今までなぜほっておいたのか、質問しないでください。
1920年代末から1930年代半ばにかけての、「初期のシュルレアリスム」とも言える(ダリの影響がまだ大きくない時期)、古賀春江、福沢一郎、三岸好太郎、飯田操朗の4名を中心に、それぞれの作品が海外のどの作品をどのように参照して制作されたのかを詳細に後追いしつつ、当時の作家本人による文章も敷衍して、巷でよく言われているような説をうのみにせずに、丁寧に、彼らのシュルレアリスムとは何だったのかを丁寧に解き明かしています。素晴らしいとしか言いようがありません。
例えば、古賀春江については、「シュルレアリスムではなく、モダニズム絵画に過ぎない」という説がしばしば言われるように思いますが、これが正しいのかどうか?(この本は、そういう論の立て方ではないのですが) 他方、福沢一郎は、その滞欧作品やその後の後進育成的な活動から、日本戦前期のシュルレアリスムの中心と言われるようなこともありますが、本当にそうなのか。また、三岸好太郎の末期の変転極まりない作品群は、いったい何を意味しているか、なお、「蝶や貝(殻)がもともとシュルレアリスム的なものであった」という説についても言及があります。
ただ、不満も残ります。例えば、
・古賀春江の死後、その作品や思想は、どう受け継がれていったのか、または、受け継がれなかったのか?
・東郷青児、阿部金剛についても、シュルレアリスム後、他の方向へ向かったという理由も含めて、もう少し探っていただきたかった。
・福沢一郎のその後の活動における、シュルレアリスムの意味は何だったのか? もう少し先まで、具体的に作品を追っていただきたかった。
これらは、もうこの本には入りきらない内容ではあろうとは思いますが。
さらに、他の文献を見て行かねばなりません。
なお、最後に、この本には「ピエール・ロワ」の名前が何度も登場しました。今後、日本でのまとまった作品集、評論、展覧会企画が強く期待されます。
よろしくおねがいいたします。
美術品の価値というものは、どのように判断されるのでしょうか? 個人的な好き嫌いは、その個々人の自由でしょうが、そうではなく、世の中一般が認める価値というか、似ているようで違うのだろうと思いますが、美術館などが蒐集・所蔵するかどうかの判断の基礎になるような価値についてです。
ピカソ、マティス、カンディンスキー、デュシャンなどの例を挙げるまでもなく、20世紀前半の美術は、すでに、美術館の主要な所蔵品の一部を成す、「ハイ・アート」となっています。
(いやいや、すでに、20世紀後半の作品でも、一部は「ハイ・アート」になっています。)
ここでの「ハイ・アート」とは、美術館に足を運ばなければ見ることができないとか、書籍の写真図版でしか見ることができないとか、入手することなど価格から考えても思いもよらないとか、そういう意味合いです。
このような美術作品に対する価値判断も、時間とともに確立されてきたのだと思います。
例えば、「ダダ」などは、第一次世界大戦下の状況で、美術そのもの、というか、世界そのものを否定するような動きだったわけですから、それが、美術の枠内で高い評価を受けて、その作品や資料が美術館に所蔵されるなど、当時ダダにかかわった人々にとっては、思いもよらないことだったのではないかと思います。
個人的な疑問としては、このような価値判断が確立されていく過程がよくわからないということです。ケースバイケースであろうというのが、答えにならないような答えなのかもしれませんが、そうだとするならば、その過程そのものが、美術史的に探究する価値があるのだろうと思います。
「ダダ」という分野がわかりやすい例ではないかと思いますので、再度「ダダ」について書きますが、「ダダ」が美術館という「権威」の傘の下に入って行った経緯・過程はどういうものだったのか、それを時系列的に、または、地域別に探っていく、そういう企画があってもいいのではないでしょうか?
そして、いきなり世界中にまで風呂敷を広げるのではなく、20世紀前半の中でも、日本の近代美術に限定してもいいでしょう。
そして、「ダダ」とは異なり、前衛作品・前衛運動であるにもかかわらず、作品が成立した当初から、運動が行われていた当時から、ある程度の評価を勝ち得ていたケースもあります。例えば、もともと「権威」を持っていた(有名な)画家が、前衛的な作品を発表したから評価を得た、という一見奇妙な、しかし、実は通常よく起こりうる現象も見られると思います。逆に言えば、無名な画家が同じようなことをしたとしても、当時はもちろん衆人の耳目を集めるような機会はなかっただろうし、「再評価」のような取り扱いを受けるまでに非常に長い時間がかかる、ということも実際起きていると思います。なお、ここでいう「権威」とは、日本で考えるならば、例えば、「○○芸術大学教授」であるとか「二科会会員」であるとかです。
以上のような観点から、近代美術に限って「美術品の価値の確立していく過程を探る」というような企画をご検討いただきたいものです。
その実態は、個々の美術運動や、極端には、1つの美術運動の中でも個々の作家によって大きな差が出る場合があります。そのような場合には、それらを比較しつつ、何故、そのような差が生じるのかという点にも、ぜひ焦点を当てていただきたいと思います。
よろしくお願いします。
No.2137において、「今後も開催される可能性が低い企画」のうち、古典(回顧展)として、次の3つを挙げていました。
・マレーヴィチ展
・グリス展
・タンギー展
これに対して、個展(回顧展)として、次の3つを追加したいと思います。
・アメデエ・オザンファン展
・カルロ・カッラ展
・ピエール・ロワ展
1人目は「キュビスム」の範疇で、2人目は「未来派」の範疇で、3人目は「シュルレアリスム」の範疇で、それぞれ紹介されることが多いのですが、特に最初の2作家はその範囲にはとどまりません。
オザンファンは、以前ご紹介した2019年の「国立西洋美術館開館60周年記念 ル・コルビュジエ 絵画から建築へ―ピュリスムの時代」の中で若干取りあげられていたのですが、不十分でした。
https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2019lecorbusier.html
「出品作品リスト」を確認することができます。
https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/pdf/2019lecorbusier_list.pdf
また、カッラは、未来派だけでなく、むしろ、形而上絵画を取りあげていただきたいところです。デ・キリコと比較してみることが必要でしょう。さらにその後の、プリミティブな表現の時期も面白いと思います。
デ・キリコは、「形而上絵画」を時期を離して再三再四描いており、いわば「形而上絵画」に一生囚われていたのだと思いますが。これに対して、カッラの場合、「形而上絵画」を、言い方は悪いかもしれませんが、さっさと捨て去り、その舞台からは降りてしまいました。したがって、その後、アンドレ・ブルトンやシュルレアリスムのメンバーとの接点もあまりなかったのではないかと思います。そういった点も含めて、カッラにおける形而上絵画の意味、役割等について大きく取り上げ、論じていただきたいと思っています。
最後のピエール・ロワ(または、ピエール・ロア)は、以上の2人に比べても、さらにマイナーと言えますから、日本での展覧会(個展・回顧展)企画、書籍刊行は、ほぼ不可能でしょう。母国のフランスを含めて、海外でも、今まで展覧会、書籍ともほとんど存在しないのではないかと思います。しかし、実は、シュルレアリスム運動の最初期から、その作品はシュルレアリスムとして評価されていたのです。にもかかわらず、理由は不明ですが、マイナーな存在にとどまっています。残念なことです。もしかすると、情報が不足しているからかもしれません。確かに、ネット上でも、ピエール・ロワについての情報が、まとまっては存在しないようです。Wikipediaでも(外国語版を含めて)、たいした情報はないようです。
なお、Googleの画像検索などでは、彼の作品(と思われるもの)が多数発見できますので、お試しください。
以上、よろしくお願いいたします。
MEMがまたParis Photoに出展します。
名古屋:前衛写真の系譜―戦前戦後を通して
展示作家:後藤敬一郎、高田皆義、田島二男、服部義文、山本悍右
Paris Photo 2024 ブースC30
会期:2024年11月7日~10日(プレビュー11月6日)
会場:Grand Palais (3 avenue du Général Eisenhower, 75008 Paris)
まだ、MEMのサイトには情報が挙がっていないようですが、おなじみの写真家たちです。
また、まだ十分な情報とは言えませんが、次のページに概要が掲載されています。
さすがに訪問はできませんが、楽しみな企画です。
日本でも、「帰国展」のような形で、同様の内容の展示がなされないものでしょうか?
それにしても、この企画を見ていると、以前もそうでしたが、時期的に1945年で切断しているという、当方の美術の見方(写真に関しては、当方にとっては、この「切断」の考えは飯沢耕太郎さんの影響が大きい)に疑念が生じます。
最後に、MEMによる次のページもご参照ください。
Japanese Modern Photography (JMP)
https://mem-inc.jp/japanese-modern-photography/