またもや、国書刊行会からすごい本が出ます。
近代日本美術展史
陶山伊知郎 著
国書刊行会
発売日 2023/05/25
判型 B5判 ISBN 978-4-336-07464-5
ページ数 371 頁 Cコード 0070
定価 8,360円 (本体価格7,600円)
https://www.kokusho.co.jp/np/isbn/9784336074645/
文字通りの内容の書籍なんですが、こんな本、書こうという人も、刊行しようという出版社も、なかなかないでしょう。ところが、その「ないこと」2つが何と結びついて、書籍が刊行されてしまう。奇跡ですね。
目次だけ、掲載します。
早く実物を目にしたいものだ。
目次
〈カラー口絵〉
はじめに
第1章 日本における美術展の生成
◆美術展の先駆け
◆殖産興業と美術
◆官僚・町田久成の宿願と新政府の模索
❖COLUMN|蜷川式胤
◆美術品公開の進展
❖COLUMN|牧野伸顕
◆百貨店(デパート)の登場
◆先行する大阪
❖COLUMN|大阪・三越の北村直次郎
◆画廊の出現
❖COLUMN|雑誌『白樺』の展覧会、美術館構想
◆ヒユウザン会展と読売新聞
第2章 文化需要の増大と美術展の担い手たち
◆社会の近代化、教育の拡充、新聞の大衆化
◆知の民主化としての言文一致と新聞の事業展開
◆歩みだした全国紙(中央紙)の美術展
❖COLUMN|大正期新興美術の高揚と新聞の前衛展への関わり
◆明治・大正時代の博物館・美術館と美術展
❖COLUMN|華族コレクションの入札
◆皇室化と近代化の距離
第3章 拡大する美術展のコミュニティ
◆デルスニスと仏蘭西現代美術展(仏展)
❖COLUMN|ヴィルドラック
◆資生堂のギャラリー活動
◆関東大震災後の美術館事情
❖COLUMN|1928 年の西洋美術展ラッシュ
◆在京新聞の展開(1)──東京朝日新聞
❖COLUMN|大阪朝日新聞の事業
◆在京新聞の展開(2)──読売新聞
❖COLUMN|引き上げ船で相まみえた両雄──読売新聞・松尾邦之助vs 朝日新聞・衣奈多喜男
◆在京新聞の展開(3)──報知新聞
◆百貨店(デパート)の美術展と新聞社
❖COLUMN|出版界の美術を巡る動向
◆西洋美術展のたそがれ
第4章 戦時下~戦後初期に形成された連携の枠組み
◆百貨店(デパート)の苦難
◆新聞社の選択
❖COLUMN|音楽における新聞社の戦争協力
◆戦時下の博物館・美術館と美術展
❖COLUMN|戦時下のダ・ヴィンチ展
◆百貨店と新聞社の連携
❖COLUMN|終戦と美術展の新たな一歩
◆終戦直後の展開
No.2038でご紹介した展覧会、その後もう5か月以上たちますが、なかなか情報が出てきませんね。
「パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展―美の革命」
国立西洋美術館:2023年10月3日[火]~2024年1月28日[日]
京都市京セラ美術館:2024年3月20日[水・祝]~7月7日[日]
・主要作家約40人による絵画や彫刻を中心とした約130点
・50点以上が日本初出品
・日本でキュビスムを正面から取り上げる展覧会はおよそ50年ぶり
期待は高まります。
なお、東京における国立美術館の分担としては、国立西洋美術館がカバーするのは、本来は、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌあたりまでで、それ以降、すなわちピカソ、マティス以降は、おおむね東京国立近代美術館がカバーするというような分担なのではないかと思います。ただし、「キュビスム」は例外で、国立西洋美術館で企画されることがあり得て、それは国立西洋美術館がル・コルビュジエ設計によるものだという事情と関係していると思われます。
とはいえ、国立新美術館が2007年に開館して、そのような分担も相当に怪しくなっています。そもそも、少し前に東京国立博物館でマルセル・デュシャン展が開催されてしまったくらいです。
ちなみに、「50年ぶり」というのは、前回の展覧会は次の展覧会のことをさしているのでしょう。
キュービズム展
東京国立近代美術館 , 1976.10.2-11.14
京都国立近代美術館 , 1976.11.23-12.19
時期的に行ったことがあるはずはないのですが、展覧会カタログは持っていたかもしれません。
最近、2021年というやや以前に開催された写真展を2つご紹介しました。開催時点で全く発見できなかったというのは、改めて、恥ずかしい限りです。
ただ、若干言い訳めいたことを書かせていただくと、これらの美術館は、いずれも20世紀前半の写真や写真展を従来から重視していた美術館、というわけではありませんでした。にもかかわらず、20世紀前半を対象とした写真展が開催されたのは、それぞれの写真展が「郷土性」を持っていた、「郷土の」写真家の写真展であったからです。
従来から、各地の美術館の大きな存在意義の1つに「郷土の作家」の作品を収集・調査・研究・展示などがあります。しかし、ここでいう「作家」とは、ほとんどの場合「画家・版画家」と「彫刻家」しか意味していなかったと思います。ところが、21世紀も20年を経て、とうとう、この「作家」の中に「写真家」が入りつつあるということではないか。これは素晴らしいことです。
以上の悪い面を見ると、奈良や岩手で、今後、日本戦前期の写真展が開催されるかというと、ほとんど考えられない、ということだと思います。「郷土の写真家」は、「画家・版画家・彫刻家」に比べればかなり少ないでしょうから、それは仕方ないことかと思います。しかし、いい面を見ると、今後、写真展など珍しかった各都道府県においてすら、「郷土の写真家」という位置づけで、20世紀前半の写真家が紹介される可能性が高まるのではないかということが挙げられます。ぜひとも、このような動きが加速し、各地で日本戦前期の(とはいえ、江戸時代末期や明治時代のではない)写真展が実現されることを、強く願います。
どうぞよろしくお願いいたします。
ずいぶん昔に、モランディ(1890-1964)に関するヴィターリ(Vitali)のレゾネなどもご紹介して、モランディの形而上作品をピックアップしたことがありました。
最近、関心が再燃して、特に、なぜ、モランディは形而上作品を制作したのだろうか、また、なぜ、モランディは形而上作品から短期間で離れたのだろうか、という点に関心を持っています。
しかし、日本で公にされているモランディに関する文献をいろいろ見てみても、その点について明快に記載しているものはありません。
例えば、次の本に
モランディとその時代/岡田温司/人文書院/2003年/4800円+税
「第四章 抹殺された過去」という最終章があって、晩年にモランディ本人が、1917年の「自画像」(V.33、いわゆる「形而上的自画像」)を破毀した理由(加えて形而上作品全体を自分から遠ざけた理由)を文献をもとに非常に丁寧にたどっています。これが、当方の知る限り、日本語文献で、当方の問題意識(の2点目)に最も近いところにあるのではないかと思います。誤解を恐れずに、非常に要約して書けば、「モランディ本人が望み、定着させたいと願い。批評家との相互作用によって成立していった自分自身(自分の芸術)のイメージ(伝説・神話、すなわち、50年という長期間にわたって時代(美術、政治、それ以外も)に左右されなかった一貫性、調和性など)と大きく異なるため(若気の至りの一過性のもの)」という理由が示されて終わっています。ある意味で、モランディの意図的な戦略の1つだったということです。ちなみに、この章の最後には、なぜか「接ぎ木」のように、モランディがファシズムに加担していたのではないかという疑念について、否定的な見解を述べています。
ここで注意しなければならないのは、岡田さんが書いておられるのは、晩年になってモランディが考えた(と推測される)こと(戦略)であり、他方、当方が望んでいるのは、1920年代初めに、なぜ、モランディが形而上絵画を離れたのか、ということで、時間的に大きな乖離があり、したがって、その理由も大きく異なる可能性がある、ということです。この著書は、非常に意欲的な作品で、第四章以外は拾い読みしかしていないので、申し訳ないのですが、モランディがいかに自分のイメージ(自分が理想としているイメージ)の維持に労力を掛けていた(命を賭けていた?)かがよくわかります。その流れの中で、晩年に形而上的な自画像を破毀したという事実は理解できるのですが、1920年頃まだ30歳のころに形而上絵画的なスタイルから離れたことの説明には残念ながらなり得ないように思います。
そもそも、「なぜ?」ということは、ご本人しかわからないことでしょう。そして、仮に、生前にモランディにこのことを質問しても、回答は得られなかったと思います。いわば抹殺しようとしていた時代だからです。そして、この状態では、理由を推測するための文献も存在しえないのではないかと思います。
ですが、ここは、当方が素人であるという点を最大限の言い訳として(ただし、完全に赦されることだとも思ってはいません)、資料を根虚とせずに、全面的な推測をしてみたと思います。
まず、形而上絵画に入って行った理由としては…。
1.若かったこともあり(20代)、そもそも前衛的な精神が強く、様々な新しいイズムを取り入れていた(キュビスム、未来派など。カンディンスキーの影響も見られる)。
2.デ・キリコ、カッラとの出会いにより、影響を強く受けた。(もしもローマにいたら、未来派の影響をより強く受けた作品が多く残っていた可能性もある)
3.第一次世界大戦(モランディは出征して、病気で除隊しています)が、モランディの神経に(悪)影響を与えた。
ありふれていますが、こういったところではないでしょうか。
そして、形而上絵画から離れた理由ですが、
1.上記第3点の逆ですが、戦争が終結し、その(悪)影響がおさまった。
2.1920年には30歳になっており、周りからの影響(過去の美術家だけでなく、近くの批評家を含む)を消化し、徐々に自分のスタイルを作るようになっていった。特に、ボローニャにおけるルネサンス=バロックの再発掘の影響を強く受けた。
3.デ・キリコとカッラも形而上絵画から離れており、モランディとしては自分だけが形而上絵画の典型的なスタイルに固執する理由もなかった。
4.そもそも、非常に露骨に形而上絵画的な作品を制作した時代を過ぎたあとの、モランディ作品の特徴となる、瓶、水差し、椀、花瓶、皿、コップなどの要素は、形而上絵画の時代にも一部は見られ、要するに、モランディは形而上絵画の舞台から完全には降りていなかったのではないか。したがって、デ・キリコ、カッラ、モランディの3人の中では、実はモランディが最も形而上絵画的な要素を持ち続けたと言っていいのではないか。形而上絵画の時代にはあった、奇妙さ、派手さ、強い輪郭線などはなくなっているが(とはいえ、1920年代の作品の中には強い輪郭線などが残る作品もある)、それはある意味、モランディなりの消化、進化と言えなくもない。なお、デ・キリコは、1920年代以降も典型的な「形而上絵画」を時折制作していますが、あれらは、あえて意図的に形而上絵画を描くと決めて描いているのであって、モランディの制作とは性質を異にしていると考えられます。
しかがって、モランディの形而上絵画の時期が、特に短かったのは、要するに、開始時期が遅かったため、ということになりそうです。
以上、あまり深い調査・研究もせずに素人が勝手な自説を述べるのは我ながらいかがなものかとは思いますが、なかなか満足のいくような直接の説明・解説が存在しないため、あえて試しに書いてみた次第です。
どうかお赦しいただきたく、よろしくお願いいたします。
次の本が刊行予定です。
高階秀爾『カラー版名画を見る眼I油彩画誕生からマネまで』
岩波新書
2023年5月19日
税込1364円
この時代の代表的な作品を取り上げ解説するという形式で、1冊当たり15作品くらいということです。
以下、第2巻までは情報がありましたが、第3巻は刊行されるのかどうかもわかりません。
I 油彩画誕生からマネまで(5月)
II 印象派からピカソまで(6月)
III(情報なし)→ピカソ以降、20世紀から現在まで?
実は、この本、1969年と1971年に刊行された「名画を見る眼」「続名画を見る眼」の2冊のカラー版ということのようです。とすると、ピカソで終わりで「3巻」はないのかもしれません。それだとすると大変残念です。でも、オリジナルの「続」からわざわざ「I」「II」とタイトルを変えているから、今回3巻(「III」)だけを書き下ろしということなのかもしれません。もう少し待てば情報が出てくるでしょう。期待しながら待ちましょう。