前衛写真についてのフォトタイムスにおける例の座談会(以下、本座談会)における瀧口修造の前衛写真論ですが、以前も書いたように、現在までに十分な批判検討がなされているようには思えません。
試みに1つの視点を書いてみたいと思います。
瀧口の言う、「ことさらにテクニック(技術)に拘泥せず、ストレートな作品でも前衛写真たりうる。」(これは瀧口本人による要約ではなく、当方が作った表現です。)、という主張はよくわかります。ここでいう、「テクニック」とは、フォトグラム、フォトモンタージュ、ソラリゼーションなどです。言い換えをすれば、「凝ったテクニックさえ使えば。前衛写真になるという考え方もおかしい。前衛写真はもっと深いものである。」という主張もよくわかります。
しかし、では具体的に、どのような「ストレートな作品」が前衛写真であり、どのような「ストレートな作品」が前衛写真ではないのでしょうか? 確かに、「前衛写真協会」のメンバーの作品が前衛写真の実例なのでしょうが、必ずしも十分な量ではありません。一部には、ストレートとは言い切れない作品すら含まれています。また、本座談会でも、浪華写真倶楽部等のテクニックを駆使した作品には瀧口の批判の矛先が向いていますが、逆に、瀧口の主張を裏付けるような作品はあまり取り上げられていないため、したがって批判もあまりなされないという、瀧口側が一方的に批判して座談会も終わったという感があります。浪華写真倶楽部側も、実作品に対してはもちろんのこと、瀧口の主張そのものに対しても明らかな反論があったという感じもなく、議論がかみ合っていなかったという感じすら残ります。それは、瀧口の主張が、抽象的に過ぎて、浪華写真倶楽部側も、ほとんど踏み込めなかった(反論しにくかった)ということではないでしょうか?(あるいは、うがった見方をすれば、踏み込むことを避けた、ということかもしれません) 批判ばかりではなく、瀧口側からもっと実例を示して、議論の対象として、議論を深めておくべきだったと言えるでしょう。
さて、では、無謀な推論ですが、瀧口的に「前衛写真の範囲」を考えるとどうなるか、要するに明確な基準を設定できない、ということに尽きるのではないでしょうか? 撮影対象物が何であるかを問わず、また、撮影者本人の意図や目的にかかわらず、(結果的に、作品そのものから判断して)前衛写真となりうる、というような、極めて「主観的な」判断になるのではないか、ここに、瀧口の主張の危うさがあります。
「どんな作品でも、受け止める側の判断により、前衛写真になりうる」と主張するとしたら、当時の「特高」でなくとも「は?」と疑問を感じずにはいられないでしょう。
要するに、別な表現をすると、ある作品が、見る人によって前衛写真になったりならなかったりする、ということです。もちろん、美術は「好み」の問題であり、定義のかなり明確な科学とは異なりますので、このように、とある「ジャンル」の境界があいまいなことは通常ありうることです。しかし、そのような前提で、他人の作品を批判することまで可能なのでしょうか? そのような批判に対してありうる反論は「あなたはそう思うかもしれないが、私はそうは思わない」というものです。これでは、反論・再反論といった「議論」になりません。仮にいくら話し合いをしても、言いっぱなしになってしまい、内容を深めることは難しいのではないかと思います。上記座談会で、浪華写真倶楽部側が瀧口説に対して明確な反論をしなかったことは、この危険性にうすうす気づいていた、ということかもしれません。
また、この考え方の逆説的な結論は、「テクニックを駆使した作品」でも、それを前衛写真だと考える人がいれば(少なくとも、撮影した浪華写真倶楽部の面々はそう考えているはずです)、前衛写真である、ということになり、それを否定できないということです。そして、他方、「テクニックを駆使した作品」よりも「ストレートな作品」の方が優れている、という主張もできないのではないか、少なくともそのような主張の根拠は明確には示せない、ということだと思います。
最後に、今回の「前衛写真の精神」の図録に濱谷浩の手の作品が掲載されていました(p52、図版番号34、タイトル「大型カメラで質感描写の実験」、1932年)。たまたま「虫食い」の入った作品です。これも、瀧口の言う「前衛写真」の作例だという趣旨なのでしょう。
そして、余談ですが、これを見たときに、この作品は、土門拳の作品ではなかったか? と勘違いしてしまいました。記憶のもととなった『日本写真全集3 近代写真の群像』を見てみると、確かにこの濱谷浩の作品は掲載されていて(p151、図版番号146、タイトル「手」、1932年、ゼラチン・シルバー・プリント、23.9x17.9cm)、おもしろいことに、次の掲載作品(濱谷浩の作品の裏のページに掲載されている作品)が、土門拳の作品で、やはり「手」を題材とした作品だったのです(p152、図版番号147、タイトル「陶工 菊揉み」、1938年、ゼラチン・シルバー・プリント、29.3x23.9cm)。これが、当方の頭の中の混同を引き起こしたのでしょう。
なお、『日本写真全集3』のこの濱谷・土門の2作品が掲載されているセクションは、「『光画』とリアル・フォト」というタイトルで、「前衛写真」を対象としている部分ではありませんが、他に、
・飯田幸次郎・看板風景(図版番号140、『光画』1932年刊1巻1号より)
・名取洋之助・外国行通信写真の一部(図版番号145、『光画』1933年刊2巻10号より、たくさんの位牌が並んだ場面を撮影した作品で、雑誌「光画」に掲載された唯一の名取作品)
なども含まれており、瀧口的な「前衛写真」観の視点から見ると、実は、ストレートな作品なのに、前衛的な味わいがあるという趣旨も含んだ作品選択だったのかもしれないと、感じます。
20世紀前半の街並みの写真や鉄道写真というものがたくさん残されていますが、これらの作品を、新興写真や前衛写真の観点や視線から見ることは可能でしょうか?
そのような作品の写真史上の位置づけについては、当方の中では未だに明確な着地点を持つことができない状態です。
このような写真作品は、ほとんどの場合、単純に対象を撮影しただけですので、特殊な撮影方法や撮影後の現像・定着・焼付などにおいて特別な手法を用いている場合でなければ、新興写真や前衛写真ととらえることはむずかしいことが多いのではないかと思います。
ただ、ストレートフォトグラフィであっても、前衛写真になりうるので、一概に、街並み、鉄道の写真でも、「新興」性、「前衛」性が否定されるわけではありません。また特に、鉄道は、「モダニズム」を経由して、「新興写真」への親和性はかなりあります。街並みにおける「建築」も「モダニズム」に近い。
「新興写真と街並み・鉄道」といったような観点から、街並みの写真や鉄道写真を紹介していただけるような企画を期待したいと思います。
鉄道と美術の150年(2029)もご参照ください。
次のようなページを発見し、安井仲治展の担当者が登場しておられました。
https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/nakaji-yasui-interview-202310
日本の写真史をなぞる存在。写真家・安井仲治の魅力とは?「生誕120年 安井仲治」展を企画した3館のキュレーターが語り合う
2023年10月6日〜11月27日:愛知県美術館:中村史子(愛知県美術館学芸員)
12月16日〜2024年2月12日:兵庫県立美術館:小林公(兵庫県立美術館学芸員)
2024年2月23日〜4月14日:東京ステーションギャラリー:若山満大(東京ステーションギャラリー学芸員)
なお、中村史子さんは、No.2082でご紹介したとおり、すでに中之島美術館にご異動のようです。
他方、河出書房新社からこの安井仲治展の図録として刊行されている「安井仲治作品集」には、以下のように記載されています。
企画構成
兵庫県立美術館(小林公、尾﨑登志子)
愛知県美術館(中村史子、鵜尾佳奈)
東京ステーションギャラリー(若山満大)
共同通信社文化事業室(石原耕太)
この本については、素晴らしい内容ですので、後日またご紹介したいと思っています。
ちなみに、石原耕太さんとは、ツァイト・フォト・サロンの故石原悦郎さんとは関係ないですよね?
「前衛」写真の精神:なんでもないものの変容
瀧口修造・阿部展也・大辻清司・牛腸茂雄
について、展覧会図録に該当する書籍をじっくりと見ることができましたので、以下ご紹介いたします。
まず、担当の学芸員ですが、解説の執筆者として紹介されている、以下の皆さんということなのだろうと思います。
木原天彦(渋谷区立松濤美術館)
児矢野あゆみ(新潟市美術館)
上池仁子(新潟市美術館)
庄子真汀(千葉市美術館)
藁科英也(千葉市美術館)
八木宏昌(富山県美術館)
今までお見かけしたことのないお名前ばかりで、「写真」を担当できる方が増えていることがわかり、心強いことです。
次に、目次(完全版)を掲載します。以前、No.2075でご紹介した目次は、中途半端なものとなっており、申し訳ありません。それにしても、ネットでは完全な目次を常に掲載していただきたいものです。
目次
雑誌『フォトタイムス』にはじまる――瀧口修造、阿部展也と大辻清司―― 大日方欣一(写真/映像研究 九州産業大学芸術学部教授)
第1章 1930‐40年代 瀧口修造と阿部展也 前衛写真の台頭と衰退
(コラム)瀧口修造 写真との出会い
はじまりのアジェ
(コラム)瀧口修造と阿部展也の出会い 詩画集『妖精の距離』
阿部展也、美術作品を撮る
『フォトタイムス』における阿部展也の写真表現
(コラム)阿部展也の大陸写真
「前衛写真協会」誕生とその時代、その周辺――「前衛写真座談会」をきっかけに
第2章 1950‐70年代 大辻清司 前衛写真の復活と転調
(コラム)前衛写真との出会い
大辻清司、阿部展也の演出を撮る
大辻清司の存在論のありか――「APN」前後の動向を手がかりとして
(コラム)瀧口修造――ヨーロッパへの眼差し
(コラム)阿部展也の1950年代写真
『文房四宝』――モノとスナップのはざまで
私(わたくし)の解体――「なんでもない写真」
第3章 1960‐80年代 牛腸茂雄 前衛写真のゆくえ
桑沢デザイン研究所にて
(コラム)大辻清司のもとで――高梨豊の60年代
日常を撮ること
『SELF AND OTHERS』(1977)
紙上に浮かび上がるかたち 牛腸茂雄と瀧口修造
(コラム)瀧口修造のデカルコマニーについて
(コラム)牛腸茂雄の自筆ノート
『見慣れた街の中で』(1981)
あくなき越境の射程――遠ざかる主義の時代の地平から 松沢寿重(新潟市新津美術館館長)
学生の頃 畠山直哉
作家の言葉――自筆文献採録
写真と超現実主義 瀧口修造 1938年
前衛的方向への一考察 阿部展也 1938年
大辻清司実験室⑤ なんでもない写真 大辻清司 1975年
見慣れた街の中で 序文 牛腸茂雄 1981年
年譜
主要参考文献目録
作家解説
作品リスト
(以上目次)
このうち、第1章の部分を見ますと、(阿部展也による)フォトタイムスの表紙や、阿部展也、永田一脩、濱谷浩、小石清、坂田稔らの作品とメセム属(一部)、が紹介されていますが、「前衛写真協会」についての紹介が、不足していると言わざるを得ません。この本1冊分くらいの量で、「前衛写真協会」だけを紹介する、そんな文献が今後刊行されることを期待いたします。
正直なところ、それくらいの書籍を制作できる、情報の集積はすでにあるはずです。ただ、情報がばらばらに置かれており、かつ、専門の研究者だけしかアクセスできないような状態の資料もあるのではないかと思います。それを、誰でも、まとめて見ることができるような状態にしていただきたい、ということです。また、「前衛写真協会」に関する論説を書ける、あるいは書きたい方も多くおられることでしょう。
なお、今まで刊行されている。いくつかの書籍・展覧会カタログでも「前衛写真協会」は紹介されていますが、それらと重複があっても構わないのです。逆に、ある書籍に少しだけ、ある展覧会カタログに少しだけ、瀧口修造を研究する中で少しだけ、というような現在の、情報が点在していて参照が非常に不便な状況を改善すべく、この1冊を見たらば「前衛写真協会」のすべてがわかる、そういう書籍を希望しています。「前衛写真協会」の各メンバーについては、「前衛写真協会」前も、「前衛写真協会」後も併せてご紹介いただくことで、各メンバーにとっての「前衛写真協会」の意味や意義も見えてくるのだと思います。
そして、「前衛写真協会」の思想を浮かび上がらせるためには、その「敵」ともいえる、関西の「浪華写真倶楽部」や「アヴァンギャルド造影集団」の動向を、「前衛写真協会」の視点で紹介する必要もあります。どのような作品が「やりだま」に挙がっているのか? 逆に、関西では、なぜ瀧口修造などのような思想を持ちえなかったのか? いや、実は持っていたのかもしれない、では持っていたとしたら、それはなぜ写真作品として表出しなかったのか? いや、表出していたのかもしれません。その辺り、情報があまりになさすぎます。その点を考えるためには、例のフォトタイムスの「座談会」(フォトタイムス1938年9月号、「前衛写真座談会」(出席者(順不同):瀧口修造(前衛写真協会々員)、阿部芳文(前衛写真協会々員)、永田一脩(前衛写真協会々員)、村野四郎、福澤一郎、澁谷龍吉、今井滋(前衛写真協会々員)、小石清、花和銀吾、坂田稔、樽井芳雄、今井清、服部義文、奈良原弘、田村榮、15名))の、さらなる分析も必要です。また、「前衛写真協会」に所属はしていなかったが、同様の考え方をしていた写真家が当時はいなかったか。いや、いたはずです。少なくとも、この時期の「浪華写真倶楽部」や「アヴァンギャルド造影集団」の「前衛的」な(テクニックを駆使した作品を極端に重視する傾向の)作品に対する批判はあったはずです。もしかしたら、関西にすら批判は存在したかもしれません。
さらに、「前衛写真協会」に影響を与えた海外の作家については、アジェばかりが取り上げられますが、アジェだけではないはずです。また、同様の考え方を持っていた同時代の海外の写真家もいるはずですが、いったい誰でしょうか?
このように、話題は尽きません。はたして1冊に入り切るだろうか、というくらいです。
ちなみに、大日方欣一さんは、p9にこう書いておられます。「前衛写真協会(写真造形研究会)の短期に終わった活動についてここで検討する紙幅上の余裕がないが、」。
最後に、奥付の情報を掲載いたします。
2023年4月29日発行
編集:千葉市美術館 富山県美術館 新潟市美術館 渋谷区立松濤美術館
デザイン:須山悠里
デザイン協力:鳥屋菜々子
翻訳:クリストファー・スティヴンズ
校正:山田真弓
発行人:姫野希美
発行所:株式会社赤々舎
印刷製本:日本写真印刷コミュニケーションズ株式会社
最後の最後に、次の回もご参照ください。
安井仲治展関連の情報を細切れにご紹介していて申し訳ないのですが、当方も、情報を次々と得ているためで、ご諒解いただきたくよろしくお願いします。
No.2078でご紹介した中村史子さんですが、以下の情報を参照すると、菅谷富夫館長の大阪中之島美術館に転勤なさったようです。
ということは、中之島美術館での写真展企画、個人的に以前から書いているような、同館の貴重な収蔵作品を縦横無尽に駆使した「戦前期の関西写真を集大成する企画」も本当に期待していいのかもしれません。3年以内とは申しませんが、5年以内にぜひ。
他方、愛知県美術館では、写真関係は、鵜尾佳奈さんが担っていかれるのでしょうか?
なお、愛知県美術館のトークイベントも、お近くのかたはぜひご参加ください。
https://www-art.aac.pref.aichi.jp/exhibition/000409.html
■トークイベント「安井仲治をめぐる6つの言葉」
安井仲治は、38歳の若さで没するまでの約20年という短い写歴のあいだに、実に多彩な作品を発表しました。多彩ゆえに活動全体を捉えがたい写真家・安井仲治の実像に迫るため、写真を専門とする三名の学芸員を招き、6つの言葉をキーワードに安井仲治について語っていただきます。
[登壇者]竹葉丈(名古屋市美術館学芸員)
芦髙郁子(滋賀県立美術館学芸員)
中村史子(大阪中之島美術館学芸員)
司会:鵜尾佳奈(愛知県美術館学芸員)
[日時]2023年11月5日(日)10:30-12:30
[会場]アートスペースA(愛知芸術文化センター12階)
[定員]先着180名
[スケジュール]
10:30- 展覧会概要・イベント主旨説明 鵜尾佳奈
10:40- 「アマチュア×オールラウンダー」 中村史子
11:00- 「芸術写真×デザイン」 芦髙郁子
11:20- 「ドキュメンタリー×非常時」 竹葉丈
11:40- 休憩
11:50- 登壇者によるディスカッション
※申込不要・聴講無料。開始時刻に会場にお集まりください。