次の本が刊行予定です。
増補 20世紀写真史 ちくま学芸文庫
伊藤俊治
筑摩書房(2022/12/12発売)
価格 ¥1,430(本体¥1,300)
ただ、以下のとおりの増補内容のようですので、20世紀前半を対象とするこのスレッドにとっては、当該増補部分は、大きくは関係ないのかもしれません。
出版社内容情報
写真の歴史を通じて、20世紀の感受性と人間という概念の運命を浮かび上がらせた名著が、21世紀以降の新しい道筋までを書下し大幅増補して刊行。
ただ、写真史にとっての「基本書」ですので、ご紹介いたします。
以前ご紹介したかもしれませんが、インターネット上で浪華写真倶楽部(団体自体が現在も存続中)のウエブサイトというものが存在して、戦前の会報(1929年の1号から1943年の34号まで(ただし、29号は「欠」))も掲載されています。
さすがに会報の全ページが掲載されているわけではありませんが、戦前の会報のうち「印画」(写真作品図版)は、ほとんど掲載されているのではないでしょうか?
https://naniwa-shashin-club.com/index.php?pagina=13&jiki=senzen
掲載されている内容が貴重だということは無論ですが、こういうように掲載していただくということ自体が、非常にありがたい。
他の戦前の美術・写真関係の雑誌・会報などについても、図版・記事などを掲載していただきたいところです。極端な話、目次だけでもいいのです。大きな手掛かりになりますので。
戦前の日本の美術・写真の情報は、未だにあまりに少なすぎます。あらためて、国立国会図書館の「国立国会図書館デジタルコレクション」の今後にも期待したいですが、それだけではいつまでたっても足りないでしょう。
個別の資料を所蔵なさっている各図書館、図書室等の機関の皆さんには、独自の公開を、ぜひ、ご検討いただきたいところです。
ちなみに、これら浪華写真倶楽部の戦前の会報を見ると、その多くの部分で、小石清が非常に積極的に、中心と言っていいほどのかかわりをしているという印象を受けます、あまりそういうことを知らなかったので、非常に意外です。
他方、「光画」(1932年~1933年)には小石清の作品が1点も掲載されていないということが以前から不思議だったのですが、この時期、会報に限らず、浪華写真倶楽部の諸活動に、かかりきりだったということなのかもしれません。そのため、それ以外の活動のための余力がなかったということかもしれません。確かに、作品傾向としては参加していてもおかしくない「丹平写真倶楽部」や「アヴァンギャルド造影集団」にも参加せず、「浪華写真倶楽部一筋」とでもいうような状況にあったわけです。
ただ、皮肉かつ意外なことに、このように「ストイック」であった小石清が、徐々に日本政府のほうに絡めとられていくことになります。
次の展覧会が開催中です。
鉄道と美術の150年
東京ステーションギャラリー
2022年10月8日(土) - 2023年1月9日(月・祝)
https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202210_150th.html
また、同展の展覧会図録という位置づけで、次の書籍も刊行されています。
鉄道と美術の150年
東京ステーションギャラリー
左右社
2022/10発売
価格 ¥2,970(本体¥2,700)
一見、このスレのテーマとは交差しないようにも思えますが、例えば、上記の東京ステーションギャラリーのウエブサイトを見ていただくと、次の作品が含まれていることがわかります。
田中靖望《機関車》1937年(プリント2017年)、名古屋市美術館
また、戦後の作品になりますが、同展のチラシ(2種あるうちの1種?)に使われている作品は、次のシュルレアリスティックな雰囲気をもつ作品です。
中村宏《ブーツと汽車》1966年、名古屋市美術館
さらに、出品作品リストを見ると、
https://www.ejrcf.or.jp/gallery/pdf/list_202210_150th.pdf
戦前の写真作品だけでも、上記田中靖望に加え、淵上白陽、古川成俊、岩佐保雄、石川光陽の作品が含まれています。
非常に面白いですね。確かに、もともと、東京ステーションギャラリーは写真作品の展示に力を入れていて、過去にも戦前にも活躍している写真家の写真展を何回か開催して来ておりますので(桑原甲子雄(1995年)、植田正治(1993年他)、山本悍右(2001年)、石川光陽(2010年)など)、今回の展示で写真を選択するということは、不思議なことではありません。2006年には「昭和の鉄道写真100景-復興から高度成長へ」という企画すらありました。
ただ、この企画に、戦前の写真作品が含まれているということが、すぐにわかるでしょうか? 何らかの手段で、容易にわかるような宣伝をしていただきたいところです。当方の場合には、むしろ、書店で左右社の本をたまたま見て、やっと気づいたというところですね。
本展のチラシに、少なくとも田中靖望の写真作品図版が掲載されているではないか、それを見ればわかるではないか、とは言えますが、そのチラシは、いったいどこで入手できるでしょうか? 東京ステーションギャラリーの前でしょうか? 例えば、東京ステーションギャラリーにすぐに手が届きそうな、東京駅の構内だったら、どこにチラシが置いてあるでしょうか? 言わんとしているのは、改札を出なくても、チラシを入手できるところがあるか、あるとして、その場所が、多くの人にすぐにわかるようになっているのか、ということです。少なくとも、当方は、東京駅構内の丸の内北口改札あたりで探しましたが、発見することができませんでした。目と鼻の先に東京ステーションギャラリーがあるのですが、改札を出て切符を無駄にしたくなかったので、改札に阻まれて、結局チラシを入手することはできませんでした。
もちろん、あらゆるJRの駅にチラシを置くべきだなどとは思いません。しかし、会場の前だけにしかチラシがない(あるいは、他にはどの場所にチラシが置いてあるのか不明である)という状態なのだとしたら、本来チラシは会場に来てもらうための配布しているものなのに、会場に来ないとチラシがもらえない、という本末転倒の状態になっていることになります。
すぐそばなのですから、少なくとも東京駅構内に目立つような場所(できれば、複数の場所)にチラシを置くなど(その場所を目立たせるために本展のポスターも活用すればいいと思います)、今後は、もう少し、宣伝に工夫をしていただきたいところです。
最後に、「ウエブサイトに情報を掲載しているからいいではないか」という考えもあることでしょう。しかし、この考え方には、その内容を膨大な情報の中から果たして発見できるのか、という問題があります。が、そのことについては、まだ十分に整理しきれていないため、後日、書いてみたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
少し前ですが、次の本が、昨年2021年の末に刊行されています。
日本の絵本100年100人100冊
Japanese Picturebooks: 100 Years, 100 Illustrators, 100 Books
広松由希子
玉川大学出版部
2021年
7700円
装丁:中浜小織(annes studio)
協力:三嶽一(Felix)
編集・制作:株式会社 本作り空Sola(https://solabook.com)
日本の絵本の歴史100年を、100人100冊の絵本で紹介する本。見開き2ページで1冊という、とても見やすい本です。それぞれの絵本について、作者、出版社等の情報も掲載されており、英語表記もあり、基礎的な資料として十分なつくりとなっています。
絵本は、画家、デザイナー、そしてイラストレーターがクロスオーバーする、ある意味、ルールもほとんどないような、自由で不思議な世界。また、原作者というか、「おはなし」を作っている人が別にいる場合も多いという、非常に複合的な世界です。
この本は、見ているだけでも楽しめますし、「ああ、この絵本昔見たことがある」という自分の記憶や体験とも重ね合わせることもできます。
目次がネット上にあるかと探してみましたが最初の部分しか発見できませんでした。これくらい、出版社がデータを持っているはずですから、全部掲載していただければいいのにと思います。足りない部分を補って、以下、1950年まで掲載いたします。
(1950年で区切らなければならない理由が、絵本の場合、より乏しいように感じますが、全部を入力するほどは元気がありません。)
1.1912 杉浦非水『アヒルトニワトリ』 小さな宝石箱
2.1913 岡野栄『おひなさま』 手工と絵ばなし
3.1923 竹久夢二『どんたく繪本1』 夢見る文字なし絵本
4.1925-28 村山知義『3びきのこぐまさん』 時代を超えるモダン
5.1927 武井武雄『おもちゃ箱』 おもちゃ王国の隆盛
6.1929 深沢紅子『ヨイコチャンノニッキ』 ハイセンスな児童画
7.1930 川上四郎『オトギカハリヱ ソンゴクウ』 三拍子のアニメーション
8.1934 谷中安規『王様の背中』 夢と奇想の版画
9.1937 夏川八郎(柳瀬正夢)『米』 輸入と創造
10.1937 初山滋『たべるトンちゃん』 線と戯れて
11.1941 恩地孝四郎『マメノコブタイ』 戦意とギャップ
12.1942 小山内龍『山カラキタクマサン』 素朴と憂い
13.1946 黒崎義介『トケイノハナシ』 安心を伝える仙花紙絵本
14.1948 茂田井武『あたらしい船』 万物が生きている
15.1950 由良玲吉『中を見よう』 現代絵本の夜明け
(中略)
絵本年譜(1870-2020)
索引
参考文献
参考文献を見ていましたら、『こどもの本・1920年代展』(1991年)が掲載されていて、懐かしく感じました。
2020年代の視点から、戦前の部分をもっと深彫りするような著作もお願いしたいところです。
なお、最後に、絵本というものは、よくご存じの方も多い思いますが、視覚的な要素とともに、その背景にある「教育思想」が重要であり、実は、その教育思想に尽きてしまう可能性すらあるという点に言及しておかねばなりません。しかし、ここでは、当方の力不足もあり、その点についてはこれ以上立ち入らないこととといたします。「教育思想とデザイン」、何と深く広大な世界であることか。
20世紀前半の写真を一言で言うと「近代写真」となりますが、(欧米における)「近代写真の始まりとは?」、そういう展覧会の企画はいかがでしょうか?
そのためには、そもそも近代写真とは何か?、を検討せねばなりません。
一般に、アルフレッド・スティーグリッツが「近代写真の父」と呼ばれることが多いと思います。有名な「三等船室」(The Steerage)は1911年ですから、この頃には、「近代写真」が始まっていたといえるでしょう。
ただ、これは、近代写真=ストレート・フォトグラフィ=ピクトリアリスムではないもの、という定義を前提にしているのではないでしょうか? この流れに、ポール・ストランドがおり、f64のアンセル・アダムスやエドワード・ウエストンが続くと。
しかし、それだけでいいのでしょうか?
例えば、眼をヨーロッパに転じてみるとどうでしょうか?
ヨーロッパで「近代写真の父」に該当するような写真家がいるでしょうか?
そもそも、ヨーロッパの場合、「近代写真」はストレートフォトグラフィだけではなく、むしろ、フォトグラム・フォトモンタージュといった技法を大きく活用した、極めて造形的・幻想的・構成的な作品も含まれています。
有名な、1929年の「Film und Foto」 (Internationale Ausstellung Film und Foto、ドイツのシュトゥットガルトで、ドイツ工作連盟の主催で開催)の写真部門でも、その両方の傾向の作品が含まれていました。後者の造形的・幻想的・構成的な作品の傾向のほうが強いといってもいいくらいです。
アメリカでもそういった造形的・幻想的・構成的な傾向の作品はありますが、20世紀前半においては、ヨーロッパに比べて明らかに弱い。しかも、アメリカでは、ストレート・フォトグラフィよりも時間的に相当に遅れて現れてきたといえるのではないでしょうか? アメリカのこの分野の写真家名は、1920年代、1930年代では、挙げることが難しいように思います。ヨーロッパから亡命してきた美術家たちの到着を待たないといけないのかもしれません。または、第二次世界大戦後を待たないとだめかもしれません。ヨーロッパにおけるこの分野の非常な豊かさとは対照的なアメリカの状況は、何を意味するのでしょうか? もしかすると、アメリカにおいては、フォトグラム・フォトモンタージュなどは「近代写真」という一般的なイメージからはかけ離れているという可能性すらあります。
こう書くと「ストレート・フォトグラフィ」と「フォトグラム・フォトモンタージュなどを用いた造形的・幻想的・構成的な作品」の2つの傾向は明確に分けることができそうにも見えます。しかし、シュルレアリスム(≒ノイエザッハリッヒカイト)という視点から見ると、そう簡単に分けられないのではないかという感じもします。そこにあるものをあるがままに撮影していたとしても、その画面から、シュルレアリスム的なもの、ノイエザッハリッヒカイト的なものが自然と立ち現れることがままあるからです。
さあ、そこで、ヨーロッパの「近代写真の父」が誰かですが、あるいは、ウジェーヌ・アジェなのかもしれません。アジェ本人は、冷静なまなざしで、パリの街角を撮り歩いただけのつもりだったのかもしれませんが、その作品からは、シュルレアリスムやノイエザッハリッヒカイトの色彩が濃厚に感じられること、周知の事実です。いずれにしろ、明らかに、ピクトリアリスムからは隔絶した世界です。なお、アジェがパリを撮影したのは、19世紀から20世紀への世紀の変わり目の頃からですが、他方、近代的なフォトグラムの創始者をクリスチャン・シャド(クリスチャン・シャート)のSchadgraphとするなら1919年ごろ、フォトモンタージュのほうは、(起源はキュビスムのコラージュにあるとしても)未来派かダダから始まったとみて、早い方の未来派のアントン・ブラガーリア(Anton Giulio Bragaglia)のFotodinamismo futuristaなら1911年、しかし、シャドやブラガーリアを「近代写真の父」と呼ぶことはあまりないのではないでしょうか? そうだとしたら、それは何故なのでしょうか?
このような視点で、欧米における「近代写真の始まり」を探る企画。開催していただけないものでしょうか?
欧米2地域が「近代写真」において、どういう関係にあるのか、影響をどう与え合っているのか、何故欧米でかなりの違いが生じているのか(もしかすると、ヨーロッパでは「近代写真」というくくりも困難な状況なのかもしれません)、など非常に興味深いことです。また、「日系」という観点から、アメリカでのサダキチ・ハートマンの「近代写真」における役割にも言及していただきたい。スティーグリッツよりも前に、近代写真の成立にある種のかかわりがあるようなのですが、実際にどのような役割を果たしていたのか、詳細に紹介していただきたいところです。
どうぞよろしくお願いします。