次の本が刊行されています。
写真家 白洲次郎の眼 愛機ライカで切り取った1930年代
牧山桂子・著、渡辺 倫明・編集
小学館
2022/5/11
3520円
写真とは全く関係のない分野の著名人が、戦前にプライベートで写真を撮影していた。そんなケースは、実は数限りなくあることでしょう。さらに、「著名人」をはずせば、さらにケースが増えることでしょう。そもそも、日本戦前の写真の場合、写真史上、代表作として紹介されている写真作品でさえ、アマチュアの写真家の作品が多いのですから。
そういった著名人や著名人でない人の写真作品が紹介されることは、今後も増えていくのではないかと思いますし、そうあるべきだと考えています。
一方で、このようなケースでは、何をどう選んで紹介していくべきなのか、難しい点があります。あれもこれもを取り上げるだけではきりがありません。紹介の初期の段階ではそうなることは仕方ないと思いますが、いつまでもそれだけというわけにはいきません。網羅性なども十分に視野に入れて、単にバラバラと紹介していくことを超えた研究が求められます。個人的には、すでに求められる時期になっていると考えます。
どうぞよろしくお願いいたします。
次の展覧会が間もなく開催されます。
写真史家・金子隆一の軌跡
会期|2022年6月28日(火)-7月31日(日)
会場|MEM(NADiff a/p/a/r/t)
MEM 13:00–19:00 ※ただし、7月7日〜9日は13:00-18:00
月曜日定休(月曜日が祝休日の場合は営業し、翌平日休業)
NADiff a/p/a/r/t 13:00–19:00 月、火、水曜日定休(7月18日(月・祝)は営業)
https://mem-inc.jp/2022/05/12/kaneko_jp/
いやこれはすごい。何という企画だ。企画の発想自体がすごい。MEMはすごい。
そして、展覧会カタログも刊行予定だそうです。
展覧会カタログ
『写真史家・金子隆一の軌跡』 四六版、159頁、MEM、2022年6月28日刊
せっかくですので、公表されている本展の関係者のお名前を挙げておきます。いずれも、日本の写真史や写真研究を担ってこられた錚々たるメンバーです。
発起人代表
築地仁(写真家)
発起人 [五十音順]
飯沢耕太郎(写真評論家)
伊藤俊治(美術史家/東京藝術大学名誉教授)
伊奈英次(東京綜合写真専門学校校長/写真家)
笠原美智子(石橋財団アーティゾン美術館副館長)
島尾伸三(写真家/作家)
関次和子(東京都写真美術館事業企画課長)
高橋則英(日本写真芸術学会会長)
竹葉丈(名古屋市美術館学芸員)
田沼武能(一般社団法人日本写真著作権協会会長)
中森康文(テート、国際美術〈写真〉シニア・キュレーター)
丹羽晴美(東京都現代美術館事業企画課長/学芸員)
松本徳彦(公益社団法人日本写真協会副会長)
協力
金子節子
展示協力
東京綜合写真専門学校、PGI
施工
小林丈人
主催
金子隆一追悼展実行委員会
実行委員 [五十音順]
アイヴァン・ヴァルタニアン(GOLIGA)
石田克哉(MEM)
高橋朗(PGI)
高橋瑞穂(MEM)
藤村里美(東京都写真美術館)
三井圭司(東京都歴史文化財団)
山田裕理(東京都写真美術館)
最後に1点。
まず最初にとりあげられるべき「写真史家」が金子隆一さんだということは間違いないと思います。ただ、日本の写真史の研究は、当たり前ですが、金子隆一さんだけで成り立ってきたわけではありません。
とここまで書けば、もうおわかりですね。そう、次は是非、「日本の写真史家展」を開催していただきたい。しかも、もっと大きな規模で。夢のような企画です。
「インターネット上の展覧会カタログ」とは、刊行した展覧会カタログをインターネット上で公開するということ? だとすると、「展覧会カタログ」についての著作権の問題が生じるのでは?
いいえ違います。書籍で刊行された展覧会カタログのインターネット上の公開についても、今後検討したいと思うのですが、ここでは、書籍という形態で刊行することなしに、インターネット上で直接「展覧会カタログ」に該当する内容を公開できないか、という視点です。もう、「展覧会カタログ」という冊子体を刊行する必要性がないのではないか、という視点です。
ここで問題となりうるのは、大きく次の2点でしょう。
1.書籍形式の「展覧会カタログ」には、作品図版がかなり自由に掲載できます。少なくとも、「著作権的に掲載不可能」という例を多くは見たことがありません(それがなぜ可能なのかもよく理解できていないのですが)。これに対して、インターネット上で公開すると、図版が掲載できない場合が増えるのではないでしょうか?
2.書籍という形態で制作しなくなった場合、「展覧会カタログ」を販売できなくなるわけですから、美術館の大きな収入源を喪失させることになるでしょう。それでも大丈夫なのか? 印刷費や輸送費などがなくなるというメリットを考えても、かなり厳しいのかもしれません。
さて、この2点、どうしたら解決できるのでしょうか?
これから考えて行きたいと思います。
インターネットをはじめとしたさまざまなデジタル的な仕組や手法により、情報は探しやすくかつ入手しやすくなり、世の中はとても便利になりました。
しかし、この場で何度もそのような趣旨を書いているように、そういった仕組・手法がいくら発展しても、その中のコンテンツの内容が充実していなかったり、そもそも情報がなかったら何にもなりません。そして、実際に、情報が存在するのにネット上になく、わざわざ国立国会図書館や美術館の図書室に出かけねばならないこともあります。それでも、これはましな例で、ネット上では情報が発見できない(Googleの問題もありますが、これは後日)、または情報が存在せず、情報自体を自分で捜し歩き、全体をまとめ構築しなければならないことすらあります。
懸念は、仕組や手法のほうにあまりに偏った力の入れ方をしているのではないかということです。極端に言えば、仕組・手法さえ用意すればそれだけでいい、あとは別の問題だ、内容はあとからついてくればいい、ついてくるだろう、という感じさえするのです。
かつて、バブル経済のころ、「箱物行政」と呼ばれた現象がありました。これが、現在、ネットの世界で繰り返されているのではないかと、強く懸念します。反省をしていないのでしょうか? 同じことだと理解できていないのでしょうか?
現在、「内容」について全く顧慮されていないわけではありません。しかし、偏りは極端です。そして、「箱物行政」の時代でも、もちろん「内容」にも一定の対応はなされていたのです。要するに、同じなのです。
今後、もう少し具体的に書いてみたいと思います。
次の本が最近刊行されました。
舞台の面影──演劇写真と役者・写真師
村島彩加
森話社
2022/5/31
¥4,950
著者のご専門は、むしろ演劇なのですが、それにしても、予想外の切り込み方で驚きます。本当に、当方の想像力の貧困さを実感します。
時期的には、昭和初期まで降りてきているのですが、サブタイトルにある「写真師」という言葉が気になります。近代的な演劇写真まで射程に入っているだろうか、実物を拝見して確認するしかないですね。なお、最後の章に出てくる「安部豊」とは、演劇評論家のかたです。
新進気鋭の研究者の今後に期待です。
最後に目次を掲載。
【目次】
第一章 演劇写真の始まり──演劇写真の先駆者・内田九一とその周辺
第二章 役者絵と演劇写真──『魁写真鏡俳優画』と内田九一
第三章 散切物と写真──『勧善懲悪孝子誉』に見る北庭筑波像
第四章 写真版権と演劇写真──塙芳野と九代目市川團十郎
第五章 上演と写真──森山写真館と五代目尾上菊五郎
第六章 演劇写真と絵画──影絵・石版画・油絵
第七章 鹿島清兵衛と『歌舞伎新報』
第八章 絵葉書と素人写真師
第九章 『演芸画報』誕生──印刷技術の発達とグラフィック雑誌
第一〇章 回顧とアーカイヴ──「劇に関する展覧会」と演劇図書館の試み
第一一章 七代目松本幸四郎の「変相」と写真
第一二章 五代目中村歌右衛門の「狂気」の演技と写真
第一三章 死絵と写真集──安部豊の仕事