美術品の価値というものは、どのように判断されるのでしょうか? 個人的な好き嫌いは、その個々人の自由でしょうが、そうではなく、世の中一般が認める価値というか、似ているようで違うのだろうと思いますが、美術館などが蒐集・所蔵するかどうかの判断の基礎になるような価値についてです。
ピカソ、マティス、カンディンスキー、デュシャンなどの例を挙げるまでもなく、20世紀前半の美術は、すでに、美術館の主要な所蔵品の一部を成す、「ハイ・アート」となっています。
(いやいや、すでに、20世紀後半の作品でも、一部は「ハイ・アート」になっています。)
ここでの「ハイ・アート」とは、美術館に足を運ばなければ見ることができないとか、書籍の写真図版でしか見ることができないとか、入手することなど価格から考えても思いもよらないとか、そういう意味合いです。
このような美術作品に対する価値判断も、時間とともに確立されてきたのだと思います。
例えば、「ダダ」などは、第一次世界大戦下の状況で、美術そのもの、というか、世界そのものを否定するような動きだったわけですから、それが、美術の枠内で高い評価を受けて、その作品や資料が美術館に所蔵されるなど、当時ダダにかかわった人々にとっては、思いもよらないことだったのではないかと思います。
個人的な疑問としては、このような価値判断が確立されていく過程がよくわからないということです。ケースバイケースであろうというのが、答えにならないような答えなのかもしれませんが、そうだとするならば、その過程そのものが、美術史的に探究する価値があるのだろうと思います。
「ダダ」という分野がわかりやすい例ではないかと思いますので、再度「ダダ」について書きますが、「ダダ」が美術館という「権威」の傘の下に入って行った経緯・過程はどういうものだったのか、それを時系列的に、または、地域別に探っていく、そういう企画があってもいいのではないでしょうか?
そして、いきなり世界中にまで風呂敷を広げるのではなく、20世紀前半の中でも、日本の近代美術に限定してもいいでしょう。
そして、「ダダ」とは異なり、前衛作品・前衛運動であるにもかかわらず、作品が成立した当初から、運動が行われていた当時から、ある程度の評価を勝ち得ていたケースもあります。例えば、もともと「権威」を持っていた(有名な)画家が、前衛的な作品を発表したから評価を得た、という一見奇妙な、しかし、実は通常よく起こりうる現象も見られると思います。逆に言えば、無名な画家が同じようなことをしたとしても、当時はもちろん衆人の耳目を集めるような機会はなかっただろうし、「再評価」のような取り扱いを受けるまでに非常に長い時間がかかる、ということも実際起きていると思います。なお、ここでいう「権威」とは、日本で考えるならば、例えば、「○○芸術大学教授」であるとか「二科会会員」であるとかです。
以上のような観点から、近代美術に限って「美術品の価値の確立していく過程を探る」というような企画をご検討いただきたいものです。
その実態は、個々の美術運動や、極端には、1つの美術運動の中でも個々の作家によって大きな差が出る場合があります。そのような場合には、それらを比較しつつ、何故、そのような差が生じるのかという点にも、ぜひ焦点を当てていただきたいと思います。
よろしくお願いします。
No.2137において、「今後も開催される可能性が低い企画」のうち、古典(回顧展)として、次の3つを挙げていました。
・マレーヴィチ展
・グリス展
・タンギー展
これに対して、個展(回顧展)として、次の3つを追加したいと思います。
・アメデエ・オザンファン展
・カルロ・カッラ展
・ピエール・ロワ展
1人目は「キュビスム」の範疇で、2人目は「未来派」の範疇で、3人目は「シュルレアリスム」の範疇で、それぞれ紹介されることが多いのですが、特に最初の2作家はその範囲にはとどまりません。
オザンファンは、以前ご紹介した2019年の「国立西洋美術館開館60周年記念 ル・コルビュジエ 絵画から建築へ―ピュリスムの時代」の中で若干取りあげられていたのですが、不十分でした。
https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2019lecorbusier.html
「出品作品リスト」を確認することができます。
https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/pdf/2019lecorbusier_list.pdf
また、カッラは、未来派だけでなく、むしろ、形而上絵画を取りあげていただきたいところです。デ・キリコと比較してみることが必要でしょう。さらにその後の、プリミティブな表現の時期も面白いと思います。
デ・キリコは、「形而上絵画」を時期を離して再三再四描いており、いわば「形而上絵画」に一生囚われていたのだと思いますが。これに対して、カッラの場合、「形而上絵画」を、言い方は悪いかもしれませんが、さっさと捨て去り、その舞台からは降りてしまいました。したがって、その後、アンドレ・ブルトンやシュルレアリスムのメンバーとの接点もあまりなかったのではないかと思います。そういった点も含めて、カッラにおける形而上絵画の意味、役割等について大きく取り上げ、論じていただきたいと思っています。
最後のピエール・ロワ(または、ピエール・ロア)は、以上の2人に比べても、さらにマイナーと言えますから、日本での展覧会(個展・回顧展)企画、書籍刊行は、ほぼ不可能でしょう。母国のフランスを含めて、海外でも、今まで展覧会、書籍ともほとんど存在しないのではないかと思います。しかし、実は、シュルレアリスム運動の最初期から、その作品はシュルレアリスムとして評価されていたのです。にもかかわらず、理由は不明ですが、マイナーな存在にとどまっています。残念なことです。もしかすると、情報が不足しているからかもしれません。確かに、ネット上でも、ピエール・ロワについての情報が、まとまっては存在しないようです。Wikipediaでも(外国語版を含めて)、たいした情報はないようです。
なお、Googleの画像検索などでは、彼の作品(と思われるもの)が多数発見できますので、お試しください。
以上、よろしくお願いいたします。
MEMがまたParis Photoに出展します。
名古屋:前衛写真の系譜―戦前戦後を通して
展示作家:後藤敬一郎、高田皆義、田島二男、服部義文、山本悍右
Paris Photo 2024 ブースC30
会期:2024年11月7日~10日(プレビュー11月6日)
会場:Grand Palais (3 avenue du Général Eisenhower, 75008 Paris)
まだ、MEMのサイトには情報が挙がっていないようですが、おなじみの写真家たちです。
また、まだ十分な情報とは言えませんが、次のページに概要が掲載されています。
さすがに訪問はできませんが、楽しみな企画です。
日本でも、「帰国展」のような形で、同様の内容の展示がなされないものでしょうか?
それにしても、この企画を見ていると、以前もそうでしたが、時期的に1945年で切断しているという、当方の美術の見方(写真に関しては、当方にとっては、この「切断」の考えは飯沢耕太郎さんの影響が大きい)に疑念が生じます。
最後に、MEMによる次のページもご参照ください。
Japanese Modern Photography (JMP)
https://mem-inc.jp/japanese-modern-photography/
以前もNo.1973、No.1974で全体をご紹介した美術出版社の「現代美術の巨匠」、あらためて調べてみました。大手出版社から刊行されている比較的新しい和書であれば、国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)で探すのが、最も確実でしょう。網羅的に確認できると思います。
https://ndlsearch.ndl.go.jp/search/detail-search
すると、前回の「18冊」とことなり20冊が発見できました。「増えた」のは次の2冊です。どうして、2冊が欠けてしまったのでしょうか? 前回は、どのデータベースを使って調べたんでしたっけ? 記憶がありません。もうわかりませんね。
ヘンリー・ムア (現代美術の巨匠)
ヘンリー・ムア [作], デビッド・ミッチンソン, ジュリアン・スタラブラス 著, 福岡洋一 訳
美術出版社
1993.3
パウル・クレー (現代美術の巨匠)
パウル・クレー [画], エンリック・ジャルディ 著, 佐和瑛子 訳
美術出版社
1992.12
なお、かつても同じことを書いていますが、美術出版社からは、このシリーズの「20世紀後半版」のような位置づけで、「モダン・マスターズ・シリーズ」というシリーズ(本のサイズも同じ)も刊行されていました。
やはりNDLサーチで検索してみると10冊を発見することができ、こちらも前よりも2冊増えています。増えた2冊のみ以下に掲載します。
なお、必ずしも20世紀後半に限られていないということは、10冊全体のタイトルを見ていただくとお分かりになるかと思いますが、シャガールに至っては2つのシリーズで重複していますね。この美術出版社の2つのシリーズの役割分担の基準は、何だったのでしょうか? これは、美術出版社の問題というより、翻訳の元になった出版における区別の問題でしょう。2つのシリーズの刊行元が全く違う出版社だったのでしょうか。
デイヴィッド・スミス (モダン・マスターズ・シリーズ)
デイヴィッド・スミス [作], カレン・ウィルキン 著, 小倉洋一 訳
美術出版社
1991.6
ロイ・リキテンスタイン (モダン・マスターズ・シリーズ)
ローレンス・アロウェイ 著, 高見堅志郎, 坂上桂子 訳
美術出版社
1990.11
それにしても、2冊ずつ抜けていたとは、いやはや…。
そして、海外のオリジナル版では日本語に翻訳されなかったものがあるのかどうかを調べること、これは無理そうです。アメリカの「Library of Congress」なら全巻所蔵しているはずだ? いや、そもそも「現代美術の巨匠」というシリーズ名すら、英語で何というのかわからないのですから、検索も難しい。かなり絶望的です。
少し前に、翻訳ものですが、次の本が刊行されています。
南光(なんこう)
アジア文芸ライブラリー
朱 和之・著/中村 加代子・訳
春秋社
2024/05発売
価格 ¥2,860(本体¥2,600)
日本統治下の台湾の写真家、鄧南光(鄧騰輝、1907-1971)の評伝というか、物語です。
巻末に南光による写真図版12点も収録されています。写真点数がこれだけでは少ないとは思いますが、日本でこのような作品が見られるような資料、それ以前に、より一般的に、台湾の戦前期の写真を対象とした和書は、寡聞にして知らず、ですから、非常に貴重な資料となっています。
春秋社というのは、写真史に関する著作など今まで刊行したことがないのではないかと思いますので、今回どういう経緯でこのような書籍の刊行にいたったのか、その点にも強い関心を覚えます。経緯の内容によっては、春秋社から近代写真史に関する書籍刊行について今後も期待できるかもしれないからです、
なお、このような作家個人についての書籍になってしまうのは(台湾における)著者の関心のありようによるものですので仕方がないのですが、個人的には、「中国と台湾の近代写真」というような、地域全体を対象としたような書籍を望んでおります。しかし、このような大きなテーマになると、むしろ書籍というより、展覧会企画のほうが適するでしょうか?
期待しておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。